第十八話 後編 壁地獄
一方桃と狛がガンリョウと戦闘を開始する少し前。
勇魚とハヌマンはというと、侵入した先々に出現する行き止まりによって足止めを食らっていた。
「くそっ、右に行っても左に行っても、戻っても行き止まり……、どうなってやがるこの砦……」
「私たちが先ほど侵入したときには、こんなではなかった筈ですよね……」
焦りと疲労を顔に滲ませる勇魚とハヌマンの口から愚痴が零れる。
侵入したはいいが、砦の内部は先ほどと様変わりしていた。
まるで此方の突入を拒むように入り組んだ空間となった砦内部は、どうやら巨大な空間の中を壁で仕切った迷路になっているようだった。
確かに元から入り組んではいたが、ここまでの迷宮では無かった。
それに気づいて目印を付けながら進んだはいいが、なかなか奥へ進ませてくれない。
「やっぱり、壁を破って進むか……?」
「しかしいくつ壁を破ればいいか分からない以上、私たちの拳の方が限界を迎える可能性もあります」
壁を拳で破るのは容易い、とまではいかないが不可能ではない。
此処に侵入したときと同じ要領で何度か思い切り殴れば破れるが、それを何十、何百ともなれば別だ。
助けに行く前の時点でこちらの手がイカれてしまうなど、笑い話にもならない。
「だよな……、せめて鈍器になるものがありゃいいんだが……」
「先ほどから印を付けながら歩いていますが、壁が突然出現したりするので思う様に動けないですね……」
「そうやって俺達を辿りつかせないよう誘導してるんだろうさ」
「誘導?そんなことが可能なんですか?」
「少し前に妹と桃が河童に襲われた事件があってな。その時の河童も妙な能力を持っていたらしい。桃の言ってた通り今回の件も妖怪が関係してるなら、そういう力があってもおかしくねぇ」
「成程、しかしそうなると」
「ああ、尚の事桃達の所に急がねえと……、となるとやっぱある程度は壁壊しながら行くしかねえ……」
ある程度破壊する基準を決めて進むしかない。
勇魚とハヌマンが共通の認識をもって再度動き出す。
「勇魚様、壁を壊す基準はどうされるのですか?」
「壁を作って妨害するってことはだ、逆に言えばそっちには行ってほしくないって事じゃないかと俺は思うんだ」
「成程、つまり壁が生えてきたところを破れば……!」
「そうと決まれば行くぞハヌマン!」
「はい!」
方針が決まれば勇魚の行動は早い。
勇魚自身はどちらかと言えば考える事に対して苦手意識があるが、勘の良さと判断力、決断力は恵比寿からも褒められる事が多い。
そしてハヌマンも、今のところは知識が追いついていない。
国にいたころは労働と近所の子供たちの世話、奴隷時代も当然勉強などできるはずもなく、書物や座学に触れたのは蘇芳に来てからだった。
だからこその自覚。
今の自分が最も貢献できるのは、丈夫に産まれた身体を使う事だった。
(ああ、頑丈な体に生まれることが出来てよかった……)
弟を奴隷商の暴力から庇う時、この体が頑丈な事を感謝した。
そして今、人として生きる道へ戻るきっかけをくれた桃を助ける為に、その桃にとっての大切な誰かを手助けする為に、自分はこの丈夫な体を使っている。
これまで自分が生きる意味は弟を守ることだけだったけれど、今回桃に付いてきて、ハヌマンは自分の中で守りたいものの存在が増えていることを自覚した。
片目の光は失ってしまったけれど、それ以上に大切なものが増えたのだ。
「勇魚様、壁を破るのは私にお任せを」
「ハヌマンお前……、これまでも結構やってただろ、大丈夫なのか」
「ええ。私、頑丈なのが取柄なので」
勇魚よりも前に出て、ハヌマンは拳を振るい道を拓いていく。
たとえ拳から血を流しても。
ただ一心不乱に、桃の元へ行くために。
「俺も負けてらんねえ」
勇魚もハヌマンに刺激され、更に前に出た。
互いが互いを刺激し、競い合う様に二人は壁を破っていく。
いつの間にかその顔からは、焦りと疲労は消え失せていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「さあ、第二幕といこうか」
崩れ落ちる破片と舞い上がる土埃から現れたガンリョウ。
その姿は最初と比べれば大柄な人間の範疇だが、桃達が感じる威圧感は先ほどよりも遥かに強い。
それはガンリョウ自身が口にしたように、これまで埋まっていた下半身が自由になったからなのか、あるいはもっと別の理由か。
「まだいけるか、狛」
「勿論!」
戦いの口火を切ったのは狛だった。
これまでと同じように低い姿勢で駆けだした狛は、素早くガンリョウの元へ接近する。
その速さはこれまでの戦闘の疲れを感じさせず、衰えは見られない。
「たぁああ!」
その接近に、ガンリョウの反応は間に合わない。
その視線が狛を再び捕らえた時には既に、未だ無防備に構えるその胴を袈裟懸けに斬りつけていた。
だがしかし、その手ごたえは良くない。
生身の人間であれば肋骨を切断し内臓にまで達したであろうその一線は、がりがりと岩を削るような音と共に僅かな傷跡を付けるのみだ。
「さっき以上に硬いっ」
手に感じた衝撃に対して顔を顰めながら、狛が一旦下がって距離を取る。
一方の桃も同様に逆側から斬りかかったは良いが、似たようなものだ。
再度【水刃輪】を纏わせる手もあるが、ふたつ同時の魔法使用は疲労が激しい。
相応の集中力を必要とされることもあるが、それによる頭の疲労が何より辛い。
今の桃では長時間使用することは難しいものだ。
桃は剣を振り抜いた勢いはそのままに、遠心力を付けて回し蹴りを浴びせた。
「効かんよ!剣も駄目ならそんな蹴り等効かないのは分かるだろう。私を倒したいなら先ほどの様に魔法を使ったらどうかね」
「分かってるっての……っ」
表情を変えることもなく蹴りを受け止め、桃を殴り飛ばしたガンリョウが淡々と告げる。
即座に飛び退いて勢いを殺していなければまずい一撃だった。
先ほどから攻撃してこないのは、防御行動すらとらないのは自分自身の硬さに対する自信の表れだろう。
剣など、刀など、拳や蹴り等恐れるに値しない。
全て受け止めて疲労したところをゆっくりと潰していけばいい。
そんな余裕の表れなのだ。
「桃!大丈夫?」
「大丈夫だ。それよりも狛、あいつの頭上に注意を引き付けられるか?ちょっとやってみたいことがある」
「わかった。そういう事なら任せてよ」
「頼んだ、足下に気を付けろ」
「ん?わかった!気を付ける!」
狛は元気よく返事して駆けていく。
以前戦った妖怪である河童と戦った時は一人きりだったから、今はその後姿がありがたく、頼もしい。
「俺の魔法で援護する!!」
「了解!!」
桃が水のマナで生み出したのは無数の水の弾丸、【鉄砲雨】。
それはまさしく横殴りの雨のように、しかし意思を持っているかの如く的確に狛を避けながらガンリョウへ殺到した。
「ようやく魔法を使って来たか……!ならばこちらも、【石垣嵐】……!!」
対するガンリョウの周囲からも、土のマナが吸収されていく。
形となった力は石垣となり、嵐に巻き上げられる瓦礫のように不規則に飛び回って水弾を弾いた。
しかしすべてを防ぎきれるわけではない。破壊力はあちら側が上のようだが、数はこちらの方が遥かに上だ。
防ぎきれなかった水弾はガンリョウへ悉く命中していく。
「はははっ!それほどの量の水を生み出すとは!恐れ入る!だがまだだ!まだ足りない!」
ガンリョウの身体に命中し弾けた水は、やはり攻撃力が足りていないのだろう。
当たった場所は幾らかの陥没痕ができるがさしてダメージにはなっていなさそうだ。
「さすがに剣よりはマシみたいだな……、だったらまだまだぁ!」
狛が石垣の嵐を躱しながら接近を試みているのが見える。
攻撃の為だけではない。
桃は狛の援護の為、視界を潰すため、或いは注意を逸らすために間断なく水弾を撃ち続ける。
その石と水の雨嵐の中を、狛は潜り抜け、走り抜けていく。
そしてその中で飛び回る石の流れを読むと、今度は軽やかにその石を足場に跳びあがった。
そして徹底的な水弾の撃ち込みが功を制し、ガンリョウの意識は今まで注意を向けることが出来なかった狛へと向いた。
「上か!」
「でえええぇい!!」
気が付いた時にはもう遅い。
ガンリョウが見上げた先には飛び上がり、刀を構える狛。
体重を乗せた刺突がその額へ襲い掛かり……パキンと音を立てて折れた。
「くっ!」
「狛!奴の頭をそのまま蹴り飛ばせ!」
「なにを無駄な……おおおぉう!?これは、水っ!?氷!?」
瞬間、上に気を取られたガンリョウの足下に殺到するのは大量の水流。
勿論、水流の発生源は桃だ。
水流はまるで大蛇のようにガンリョウの足元に絡みつき、その足元を浮かせて重心を不安定にさせる。
そしてこれまでの水弾で水浸しになった地面は凍結したことで滑りやすくなっている。
狛に頭を蹴り飛ばされたことで、重心をずらされたガンリョウの体制が大きく崩れた。
「塗壁は、足下掬われるのが弱点ってなぁ!」
当然、その大きな隙を逃す手はない。
大きく体制を崩し、背中から成す術もなく倒れたガンリョウに狛と入れ替わる形でのしかかる。
桃の手には既に普段の二倍の大きさの水刃輪。
(ここで……首を落とすっ!!)
「喰らえ!!」
「なめるなぁ!!」
伸し掛かれた状態で尚、ガンリョウは石垣を撃ち出した。
桃の水弾と似たようなものだろう。
石垣は慌てて行った魔法の為か石垣嵐のそれよりも大きさは小さい。
それでも桃の肩を打ち据えて僅かに狙いをずらされた。
「っ……!」
狙いをずらされただけではない、手へ直接纏う様に作る【水刃輪】は、下手をすれば自分の身体をも傷つけかねない。
それでもずらされた狙いをどうにか制御して飛び退きながら攻撃を当てたのは、ガンリョウの胸だった。
「惜しいっ!!」
狛が悔し気に声を上げる。
攻撃を当てた胸にはこれまでと違って明確に大きな傷が付いていた。
どれほどのダメージがあるのかはわかりづらいが、それでもあの大きな傷は大きな一歩だ。
「……っ!やはりその魔法、危険だな。私の身体をここまで傷つけるとは」
相手もそれを分かっているらしい。
胸に一文字を描くように付いた大きな傷を撫でながら、ガンリョウは不敵に微笑む。
恐らく次の一撃は先ほど以上に苦労するだろう。
だがやるしかない。
「狛!もう一度行くぞ!」
「わかった!」
「そう何度も同じ手を食うと思ったかね」
再度攻撃を加えるために駆けだした桃達を見て、ガンリョウが土のマナから魔力を取り込み始める。
何か来る。狛と桃がその気配を感じ取って、駆け寄る軌道を変えようとしたその時だった。
「壁!?」
畳返しの様に床がめくれ上がる形で出現した壁に行く手を塞がれる。
それを逃れようと後退、あるいは左右に走ればさらに行く手を塞がれてしまう。
遂には部屋の入口、扉まで追いやられ、狛とまとめて四方を壁に追い込まれてしまった。
(これは……っなんかヤバそうだっ)
壁自体は分厚くない。が、目の前に突然湧いて出ればブレーキがかかる。
捕まれば格好の的という事が分かっている。
四方を壁に囲まれ逃げ場のない状況はまずい。
「捕まえたよ」
壁越しに声が届く。
傍までガンリョウが寄ってきたのだろう。
壁を作り、組み換え、平時であれば作った壁から此方を覗くことも、話しかけることもできる。
恐らくはそれが塗壁の固有の力なのだろう。
砦を短時間で築くことが出来たのも、タイミングよく此方を攫うことが出来たのも、この力のおかげという訳だ。
「いやはや。カワベエ達が失敗するわけだ。奴らは未だ新参者の未熟者だった。それでもそこらの人間にどうにか出来るような連中じゃあない。君たちは。特に桃君。君の魔法は実に厄介だったよ。だがそれもお開きだ」
周囲の土のマナが濃い魔力に変わっていくのが分かる。
壁越しに感じられる圧迫感に対して、桃の心と頭とが、けたたましく警報を鳴らす。
早く出なければ。
急いで水のマナを取り込み、魔力へと変える。
(早く……!間に合え……!)
「命までは取らないから安心しなさい。四肢くらいは使い物にならなくするかも知れないが」
淡々としたガンリョウの言葉に、タイムリミットが近づいている事が嫌というほど感じられる。
桃の背後には元々あった部屋の扉、他三方には桃達を追い込む為にガンリョウが出現させた壁。
二人の人間がいる為に剣や刀を思い切り振れるだけのスペースは無い。
狛も動けないことに悔しそうに唇をかんでいる。
まさに魔法が間に合うかどうかが分かれ道だった。
「それでは残念無念。【塗壁・危機一髪】」
そして、冷たく無慈悲なガンリョウの声が響いた。




