第十六話 分断の罠
救出中の喧騒とはうって変わって、外は驚くほど静かになっていた。
桃が魔法で作った砦を囲む壁の外へ続く水の階段を使い、おっかなびっくりで降りていく村人たちを見守りながら門の様子に目を凝らす。
此方からでは死角になってよく確認ができないが、幹久達が上手くやってくれているのは確かなようで、村人の避難に邪魔が入る様子はない。
「村人たちと先に避難しても良かったんだぞ?」
「私は村人たちを助けに来たんだよ?先に避難なんてできないよ。それとも、女は邪魔?」
すこし非難めいた視線を向けて聞いてきた狛の言葉を、桃は即座に否定する。
「狛が今武器を持っていないからだ。性別なんて関係ない。それとも格闘術の経験もあったり?」
「う、格闘はあんまり……。でも剣ならそれなりに使えるつもりだよ!?」
「知ってるよ。勇魚達が一階で何人も刀傷を負った見張りを見つけてるし、俺も何人かそういうのを見たから」
「私がやったかなんてわからないじゃない」
「俺達以外に乗り込んだって聞いてるのは狛だけだ。それに俺達の中に刀を使う奴は居ない」
「そうなんだ……。桃は?私を助けてくれた時、水の魔法使ってたよね」
「俺は剣と水魔法だな。魔法に関しては色々試してる最中さ」
「器用なんだね。あ、そうだじゃあ今度私の相手してよ!」
良い事を思いついた!といった様子で狛が桃を覗き込む。
その目にはありありと桃への興味が浮かんでいて、断ってもはいと言うまで聴かない雰囲気だ。
「一応聞くけど、なんの?」
「決まってるじゃない。修行の相手!」
「いいけど、すぐには無理だ。色々片付けなきゃいかんだろう」
「やった!」
そういって狛が無邪気に飛びついてくる。
一度警戒を解くと無邪気に飛びついてくるあたり、やはり犬か猫のようだ。
(……それはそれとして、少しくっつきすぎだな……)
桃がこの世界に転生してこれまで会ってきた女性は一歩引いた位置で見守るというか、控えめと言うか、こういう積極的な子は居なかった。
飛びつかれた体温に邪な感情を抱くのはよくないと思いつつ、少しばかり照れてしまう。
「分かったから、少し離れろ。あまり同じ年頃の男に抱き着くもんじゃない」
「それは分かってるって!約束ね!」
抱き着いたまま言っても全く説得力がない。
「そんな無警戒で、よく傭兵やってこれたな……」
呆れたように言った桃に、狛は口を尖らせる。
「私だって誰彼構わずこんなことするわけじゃないよ。桃が初めて」
「なんだって俺にはそんななのよ……」
「うーん。なんとなく?」
そうあっけからんと言って狛はようやく桃の身体から離れた。
いちいちそんなことで動揺するほど初心ではないが、それなりに葛藤や理性との格闘はあるので正直ありがたい。
内心で一息つけば、二階から壁の外の地面に伸びた水の階段の下で、勇魚が声を上げた。
村人の避難完了の合図だ。
「俺達も行こうか」
「うん」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
勇魚達の元には村人たち数十名が身を寄せ、待機していた。
傍ではハヌマンが目を光らせている。
ハヌマンは桃と目が合うとひとつ微笑んでから頭を下げて、再び村人たちに目を向ける。
その手には槍が握られていた。
保護したときは痩せてしまっていたが、今では体格や筋力もある程度戻り、見た目にも頼れる男になっている。
その横からは同じように槍を手にした勇魚が、水の階段を降り切った桃達の近くまで歩いてきた。
「勇魚、お疲れ」
「おう。お前もな。そっちが例の?」
勇魚が視線で指示したのは、桃の手をとったままの狛だ。
水で出来た階段を見るのは当然ながら初めてだったようで、狛は恐る恐るかつ興味津々に階段を足先でつついたりしながらも、桃の手を離さなかった。
「ああ、狛だ」
「よろしくお願いします。えと、勇魚様……でいいのかな?桃から聴いてるけど、蘇芳領主様のご子息様なんだよね?」
「ご子息様って柄じゃあねーよ。まあ好きに呼んでくれりゃいい。元気そうで何よりだが、大丈夫だったか?」
元気そうな様子の狛にあえて勇魚が聴いたのは、捕まった女傭兵の扱いを察しての事だろう。
もしなにかされているようであれば、ヤマヒコが連れてきた医療知識のある味方に村人たちを診てもらう際、狛も一緒に診てもらう為だ。
「うん、手を出される前に桃が助けてくれたから」
勇魚なりに気を使ってボカして聴いているのを察してか、狛はその質問に気を悪くした様子もなく応えた。
「そりゃあ何よりだ。お前が先に殴りこんでくれたおかげで、随分こっちは楽できたよ。村人に変わって礼を言う」
「確かに随分と楽は出来たな。花咲の爺様の陽動も大きいだろうけど」
分かってはいたが、幹久の陽動は見事なものだった。
幹久の連れていた兵はその指導を受けた兵とはいえ、ごく少数。
その少数の兵で、砦の見張りの目を十二分に引き付けた。
挑発や攻撃、逃走。あらゆる手段を用いて相手の注意を引きながら、徐々に敵の数を削っていったのだ。
結果として、砦の内外で襲撃を起こされたならず者たちは大したこともできずにほぼ壊滅した。
彼らも元兵士だったのかある程度の練度があったが、内外で騒ぎを起こされて浮足立った状態ではそれも発揮できずに終わった。
「もうすぐ爺様達も合流するだろうから村人たちは爺様に任せるとして、頭を捕まえてないんだよなぁ」
保護した村人達は大人子供含めて40名余。学校のクラスひとつ分くらいの人数はいる。
全員命を奪われることもなく保護できたのは幸いだったが、桃には気になる事がひとつあった。
砦の中を探索しても首領に該当する人物が見当たらず、見張りしかいなかったことだ。
本当にいなかったのか、それともどこかに潜んでいたのか。
「確かに。相手した中にはいなかったな」
「あ、それなら私見たかも」
ならず者の首領を捕まえていない。そのことだけが気がかりで思い悩んだところに、狛が思い出したように言う。
「私が正面から乗り込んだ時、最初のフロアの奥で一人だけ偉そうに座ってるやつがいた!」
((正面から乗り込んだのかこいつ……))
今、桃が勇魚の心の声が重なった。
ともかく、狛の言葉からやはり首領は砦の中にいることが推測できた。
狛が突撃してから桃達が潜入するのにそこまで時間差は無かったようだし、その僅かな時間で首領だけ砦を抜け出すのは少し考えづらい。
なにより、外には幹久がいる。
「見た目はどんな感じだったか、覚えてるか?」
「うーーーーん」
桃の問いに、狛は両手の指で頭をぐりぐりして唸る。
そうして暫くぐりぐりした後、少し髪が乱れた頭の狛が口を開く。
「なんか、顔色悪い感じ?というか、なんかこう岩から繰り抜いたみたいな……」
「筋骨隆々だったってことか?」
勇魚がそんな聴き方をしたのは多分、以前凰姫が話していた本の内容を覚えていたからだろう。
その本は筋骨隆々の身体を岩から削り出したようだと例えていたという。桃も読んだので覚えている。
「ムキムキっていう感じじゃないかなぁ。本当に、質感が岩っぽい?というか、血が通ってなさそうな感じ?」
「なるほど、わからん」
勇魚の意見ももっともである。が、桃としてはひとつ思い当たる節があった。
人とも、人に姿を変化させた魔物とも違う見た目をした存在。
例えばあの河童の兄弟や、自治区から一緒の覚のような。
「……妖怪、かもな」
「妖怪……、凰や桃を狙った連中かもしれないってことか……」
桃の言葉に、勇魚の目に一層闘志が宿る。
凰姫を攫った相手と違うとはいえ、同じような存在となれば無理もない。
あの誘拐騒動の後、勇魚は「俺も一緒に助けに行かなきゃならなかったのに」と大層悔しそうにしていた。
勇魚としては、真っ先に凰の為に危険に飛び込むべきは兄である自分だという認識があるようだ。
「妖怪か、私は会ったことないけど……、桃は会ったことあるってことだよね」
「ああ。あれは……」
桃が河童たちの事を掻い摘んで離そうとしたその時だった。
『正解だ』
「!!!」
その声は出所を探し始めた桃達をあざ笑う様に、含み笑いをしながら語り掛ける。
「どこからだ!?」
声の出所は相変わらず分からない。
警戒の為傍に居た狛と周囲を探るが、目の前には同じように周囲を探る勇魚とハヌマン、怯え戸惑う村人がいるばかりだ。
『おおっと、残念ながらそっちに私はいない』
この声は少なくとも目の前ではない。何方かと言えば頭の上だ。
かといって上空には何も居ない。
まさか、とひとつの考えに至った時、必死の形相で何事か叫びながら駆け寄ってくるハヌマンが見えた。
「桃様!後ろです!」
「壁!?」
桃の背後にそびえたつのは、砦を囲んでいた壁。
それがまるで意思を持っているかのように、傍まで迫っていた。
壁が動くなど意識の外だったために、桃も狛も反応が遅れてしまった。
『正解』
正確には背面頭上。
桃と狛が振り返って見上げれば、そこには壁に目と口が生えていた。
そしてそれを認識して離れようとした瞬間、逃すまいとその周囲を新しい壁が次々と取り囲む。
「桃!!」
「勇魚!来るな!!」
そこになんとか飛び込もうとした勇魚が、壁の出現に巻き込まれそうになる。
不規則に組み変わっていく周囲の流れに巻き込まれれば無事では済まないかもしれない。
それを見て桃は即座に魔法で水流を出し、勇魚を押し戻した。
「何これ!?どうなってるの!?」
「わからん!だが絶対に離れるな!」
桃は逸れてなるものかと狛の背中に腕を回し、周囲の変化が止むのをひたすら待つ。
轟音と土埃が舞う中でようやく表れたのは、周囲を石造りの壁で覆われた一本の廊下だった。




