第十三話 前編 桃のお願い
「帰ってきたところ早々に悪いが、お前には隣の瑠璃領へ行ってもらう」
「瑠璃領……ですか?」
蘇芳領に戻ってきた桃は、すぐに領主の間へと呼び出されていた。
今回の顛末を聴取されるものかと思っていたところ、開口一番にこれである。
「正確には瑠璃領と蘇芳領の境にある逢魔自治区だが、あそこの管理は瑠璃領主がしているからな。実質瑠璃領みたいなもんだ」
「それは勿論行きますが……なんでまた?」
瑠璃領は女性の領主が治める領であり、蘇芳から見て北東に位置する。
現在キナ臭くなっているカムナビの国内情勢を鑑みた先代の領主によって三角同盟が結ばれている領の一角であり、魔法やマナの研究、学問に精通しているものが多い領だ。
ただ、同盟関係にあるとはいっても用事もないのに行くような場所ではない。
今回の事後処理を差し置いての急ぎなのかと疑問が浮かんで桃は恵比寿に問いかけた。
「お前が捕まえた河童の兄弟な、情報を全く吐かん。なんで自治区にいるある人物の力を借りたい」
「ある人物?」
「まあ人物というか……覚という妖怪でな。頭の中を読む力を持つんだよ。相手によっては精密に読み取ることは難しいようだが、肯定か否定かが分かるだけでも十分だからな」
そこまで聴いても桃合点がいった。
情報を吐かないのであれば、頭の中を読んでしまえばいいということだ。
無理な尋問や拷問によって得られる情報はあまり信用ができないために避けていたが、これならば質問して頭の中を読むだけでいい。
「しかし、大事な任務を経験の浅い俺が行っていいんですか?」
「勿論お前ひとりじゃねえよ。それにこれもひとつの経験だ。それに……」
「それに?」
「凰が誘拐された件ともつながっている任務だ。凰を攫われた失態をここで取り戻してこい」
「……!ありがとうございます!」
「更に言うと、お前が猪退治の任務の後俺の所に持ってきたあの奇妙な金属の板切れな。あれも瑠璃の領主なら何か知ってるやもしれん。このついでに奴さんにも聴いておこう」
「本当ですか?お願いします」
桃は期待からほんの少し前のめりになった。
恵比寿の言う板切れとは、以前次元穴の近くで拾ったスマホらしき機械の事だ。
何か分からないかと恵比寿に預けていたのだが、思わぬところから答えが出てきそうだ。
「とはいえ今回の事後処理や瑠璃領への連絡もあるからな。出立は半月ほど後だ」
「分かりました。準備しておきます」
「それと、今回の出来次第ではお前も一人の将として扱う」
「早くないですか?」
「勇魚はもう既に一人の将の扱いだ。知っての通りうちは人員不足だからな。お前も早いうちに一人前として働いてもらう」
「分かりました、がんばります」
やっぱり事後処理もやらなきゃいけないか、そしてもう独り立ちかと桃は心の中でため息をつく。
当然と言えば当然だが、今回の件は他国にも関わることだ。
事後処理にしたって、他国も絡んでいる以上セコイの身柄の取り扱いなどを話し合わなければならない。
「まあ、今回は今回で功績がでかいからな。またなにか報酬を与えないといけないわけだが……」
「では、俺からひとつ希望をいいですか」
「なんだ」
「この仕事の出来次第で一人前として扱っていただくにあたって、保護された奴隷の一人、俺の郎党にいただけないでしょうか」
即座に返した桃の言葉に目を丸くしたのは、今度は恵比寿の方だった。
ハヌマンの引き抜きを願い出た理由は他でもない。
桃自身のエゴだ。
あの兄弟。とくに片目の視力を失ってしまったハヌマンの今の気持ちを想像すると、桃にはどうしても放っておけなかった。
かつての桃が罹っていた心臓の病は先天的な障害だったから、途中から体の一部を失ったりした人間の辛さは正直想像がつかない。
始めから出来ないとわかっているのと、今までできていたことが突然できなくなるのとでは、辛さが違う。
桃のそんな突然の申し出にもかかわらず、恵比寿の答えはYESだった。
ただし、条件付きである。
ひと月の間に忠誠心を引き出し、相手から仕えたいと言わせること。
決して無理強いしたりしてはいけない。
相手から仕えたいと思わせるのにあたって、一緒に仕事をしたりするのは良し。
以上だ。
人を惹きつける将としての器を見せろ、という事なのだろう。
今後人の上に立つのであれば、大切な事ではある。
(ただ、相手から言わせるってのがなかなか難しいなぁ……)
どうしたものか、と桃は恵比寿から提示された条件を頭の中で復唱する。
配下に迎え入れたいという気持ちを話してもいいとは言われているが、相手がそれに従ってじゃあ配下になります。では駄目なのだ。
是非配下に加えて欲しい。そう言わせる程の器量を相手に見せられるか。
この人についていけば大丈夫だと、そう思わせるだけの言葉を相手に与えられるか。
悲しいことに、前世での桃は人の上に立つような人間ではなかった。
公務員という正真正銘正しく社会の歯車であったために、自分の器量がどうなのかなんて考えたこともない。
勝負できるとすれば生前の自分自身の経験から、助けを必要としていたり、弱っている人間の事がある程度理解できることだろうか。
現在保護した奴隷たちは、治療を施して領主館の一角に立ててある離れに匿っている。
この離れは他の領の使者が来た時の客間として使っているものだから、警備しやすい。
そんな離れの一室に、あの兄弟はいた。
「お邪魔するよ」
そういって客間に上がり込むと、真ん中には布団から裸の上半身を起こした状態で赤茶の髪の大柄な青年がいる。
その背後では同じ髪色の少年が、手拭いで青年の背中を拭っていた。
赤茶の髪の青年が桃の声に振り向くと、背中を剥いていた少年も気付いて、二人そろって桃に頭を下げた。
「邪魔だったか?」
「あなたは……、これは見苦しい所を」
「あ、桃様……!大丈夫です、すぐに終わりますから」
此方に気付いた少年ビーマは一礼してせっせと兄の背中を拭うと、襦袢を兄に渡して着るように促す。
兄であるハヌマンも弟に倣って一礼し、襦袢に袖を通してこちらに向き直った。
「改めて、ハヌマンと言います。弟共々、私たちを助けていただいてありがとうございました」
此方に向き直ったハヌマンは弟の手を借りて立ち上がり、共に深々と頭を下げる。
「礼なら浦島衆……海たちに言ってくれ。俺だけじゃ助けられなかったよ」
「しかしあなたは真っ先に助けることを考えてくれたと弟に聞きました」
「恵比寿様に判断を仰ぐと言っただけだ。助けたい気持ちがあったのは確かだが、恩を感じられる程無条件に即決したわけじゃないよ」
しかし、といった様子で食い下がるハヌマンとビーマを一旦制して、座ってもいいかと問いかける。
二人は少し戸惑った様子で頷くと、桃が座ったのに倣って再度腰を下ろした。
「正座、慣れないだろう。楽な座り方でいい。畏まった話をしに来たわけじゃないんだ」
いくら丈夫でも痛めつけられた体で慣れない座り方をし続けるのはつらいだろうと桃は楽にするよう促す。
此方はなにも畏まった話をしに来たわけではないと伝えてもこれなのだ。
セコイの元で働くのは随分と気を使った窮屈な日々だったのだろうと推察できた。
「しかし驚いた。見つけたときは瀕死だったのにもう起き上がってるし、ビーマの肩を借りながらでも立てるくらいには回復してるんだから」
「私は頑丈なのが取柄なのです」
「そうみたいだ。そんな頑丈なハヌマンにひとつ聴きたくてな」
「なんでしょう」
「ビーマ。君にも聞かなきゃいけないことだが、今後の身の振り方について、どうするかを聴きに来た」
桃の言葉に、二人は思わず表情を硬くした。




