第五話 中編 指切り
この世界は一見すると中世日本のようだが、次元穴の影響か見た目にそぐわない発展を遂げているものがある。
甘味もそのひとつだ。
前世の世界では中世ごろの砂糖は高級なものだったと桃は記憶しているが、この世界はそうでもない。
趣向品として他より値は張るが、少し大きな街で戦時でもなければ、こうして甘味にありつくことが出来る。
抹茶と饅頭のセットが大体銀貨幣2枚ほどだから、以前の世界の感覚で言えば二千円くらいか。
甘いものが好物の桃としては大変ありがたい事だった。
それは凰姫も例外ではなく、大切そうに饅頭を口にしては幸せそうな笑顔の花を咲かせている。
芋で作られた皮にしっとりと口当たりの良いこし餡は、確かに付けられているお茶によく合っている。
お茶の僅かな苦みが舌に残った甘さを洗い流し、二口三口と口に入れたくなる甘さと柔らかさだ。
「お前らホント好きね……甘いもの」
「勇魚も食べればいいのに」
「俺は別に甘いものが特別好きってわけじゃないからいいの」
そういった彼の手には持ち帰り用の饅頭の包みがある。
竹籠を薄い紙で包んだそれば鯱丸と恵比寿への土産だった。
かくいう桃も幹久と一寸への土産に持ち帰りの分を買っている。
凰姫が巾着袋から財布を出して難しい顔をしているのは、もうひとつ食べるか悩んでいるのだろうか。
「お小遣い無くなっちゃいますよ。迦楼羅様の位牌にお供えする分も買われたんでしょう?」
「姫様、あまり食べ過ぎてはお体に悪いかと……」
「そうよね……お父様からも無駄遣いは控えるように言われているもの。我慢するわ」
桃と乙の言葉に、凰姫が控えめな笑顔で答える。
たぶん本音はまだ食べたいのだろうけれど、ある程度は節制も必要だとわかっているからこその表情だった。
「別に俺が出すからいいよ。でも太っても知らねえぞ」
勇魚の一言にピシャリと凰姫の表情が固まった。
「お兄様?お言葉はありがたいけれど女性に言うことではないわよ?」
表情を変えないまま凰姫が勇魚に向き直る。
此方から表情は見えないが、これは怒らせたな……。と、桃はほんの少し後ずさった。
助けてくれ。そんな顔を向けてきた勇魚に、乙と桃は無言で首を横に振るしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ」
饅頭で小腹を満たして他にもいくつかの店を回って帰路に就く最中、横に並んで歩いていた凰姫が突然声を上げて立ち止まった。
「どうかしました?」
並んで歩いていた桃がその声に隣を見てみれば、手で口元を覆って固まった凰姫がいた。
その表情はどこか強張っていて、あまり目にすることのない表情に桃も目を点にする。
後ろで乙に慰められていた勇魚もその様子をみて、「どうした」と寄ってきた。
「お母様の位牌に備えるお饅頭、どこかに置き忘れてしまったみたい」
申し訳なさそうな声でそう言った凰姫様の手には、確かに買ったはずの饅頭がない。
「お前なぁ……、何処で置き忘れた?」
「多分さっきの金魚売りのお店……、店主さんに濡れてしまうからって言われて預かってもらっていたの」
そういえば、と記憶をたどる。
道端に店を出していた行商の男が金魚を売っている店があったはずだ。
「折角のお土産が濡れてしまうでしょう」と言って行商の男は凰姫から饅頭を預かっていたはずだ。
桃にも確かにその記憶があるから、凰姫の言う通りあの店で預けていた饅頭を受け取り忘れていたのだろう。
「ったく仕方ねえな。俺が取ってきてやるからここで待ってろ」
「私も念の為、来た道と店を戻って確認しましょう。姫様は桃殿とここでお待ちください」
「ごめんなさい。私が自分で持つって言ったのに……」
そう言った凰姫はすっかり縮こまってしまって、声色も沈んでいる。
乙が持つと申し出たところを自分で持つと言った結果、不注意で置き忘れた事に自己嫌悪しているのだろう。
その顔には申し訳なさがありありと浮かんでいて、桃も少し心配になるほどだった。
「そう落ち込まないでください姫様。勇魚達が取りに行ってくれてますし、これくらいの些細な不注意は誰にでも起こりえますから。そこの日陰で麦茶飲みましょう麦茶」
「ありがとう、桃。」
日も傾いてきて日差しは幾らか和らいでいるものの依然強く、厳しい。
桃が凰姫を日差しから庇う様に軒で陰になっている道の脇に退避させ、麦茶の入った竹の水筒を渡すとその表情に少し柔らかさが戻る。
その様子を見て少し桃は安堵し、凰姫の隣に並ぶ形で壁に背を預けた。
「姫様は少し真面目過ぎです。蘇芳の姫君として襟を正すのもいいですが、もう少し周りの人間に甘えても罰は当たりませんよ」
「それを桃に言われるなんてね。あなただって似たようなものよ?」
思えばこんなにも凰姫が気を張るようになったのは、の凰姫達兄弟の母が亡くなってからだった。
凰姫達兄弟の母迦楼羅は、数年前病で亡くなった。
同盟を結んでいる梔子領主の妹であり、政略結婚としてやってきた身だったそうだが、恵比寿との仲は睦まじかった。
本が好きで、蔵書の中から絵物語を選んでは勇魚達と共に読み聞かせてくれたのを桃もよく覚えている。
「俺は御館様にも蘇芳のみんなにも恩がありますし、自分の居場所を守りたいだけです。なんだかんだ自分に甘いし結構人を頼ってますから、その分少し気張るくらいが丁度いいんですよ」
「そう言っていつもなんだかんだで訓練して書類仕事をしてへとへとになって……、それは自分に甘いとは言わないわ」
「じゃあ俺がくたばった時は姫様が甘えさせてください」
「そうなる前に言いなさい。みんないつも心配してるのよ?」
「……そうですね、ありがとうございます。」
「お願いね?そうだ……」
思い立った様子で凰姫が呟いて、おもむろに右手の小指を立てて桃の手に触れる。
そしてその指をなにか促すように、けれど遠慮気味に捉えた。
その様子に桃が軽く握っていた左手の力を緩めると、凰姫の華奢な指が花の蔓のように絡む。
桃からは少し俯いた凰姫の頭を見下ろす形になって、その表情は見えない。
「指切り。ですか」
「ええ。最近はやらなくなったけど、いいでしょう?」
ほんの少しだけ彼女の耳が朱に染まっているように見えるのは、気のせいではない。
久々にこうして指切りなどを要求してみせたから、ほんの少し恥ずかしいのかもしれない。
凰姫の行動をそう捉えた桃は、そうまでして自分を甘やかそうとする凰姫の様子に、心が温かくなるのを感じた。
(――いいのかな)
そんな状況でも尚迷うのは、彼女にだけはどうにも素直に甘えられる確約ができないからだった。
桃にとって、前世は人に頼ること自体はそう珍しい事で無かった。
心臓の病から来る面倒事ゆえに、頼らざるを得ない場面が多かったのも事実だ。
それでも一応、大人としての意識はあった。
この世界に来て精神が肉体の年齢に引っ張られているのは往々にして感じていた。
それでも年下で、蘇芳に仕える身としてえ守るべき立場の彼女に対して言葉通り甘えていいのか。
なにより、凰姫の好意を受け取る資格があるのかという葛藤があって、甘えることをいつも阻んでしまう。
このまま指切りをするのは簡単だけれど、そんな半端な気持ちで約束をしてしまうのは気が引ける。
かといって指切りをしないのも凰姫の行動を無碍にしてしまうから避けたかった。
(他の人は素直に頼れるのになぁ……)
「……桃……?」
考え込んで動かなくなってしまい、いつまでも答えない事が不安になったのだろう。
凰姫が僅かに俯いていた顔を上げようとしたその時だった。
「きゃあ!!」
桃の耳に悲鳴が届いたのと身体が反応したのは、同時だった。




