第八十二話 忠義の臣
一方、狛が勇魚達の元へと駆け付けたのと時を同じくして、京極丸では桃とハヌマンの部隊が攻撃を行っていた。
既に京極丸の門扉は破られ、小丸へと入った別動隊の兵達も加わったことで、京極丸は早々に陥落の危機へと陥っていた。
桃達を残し先に本丸へと向かった酒呑童子の援護と京極丸の完全な陥落の為、桃とハヌマンは二人の将と対峙している。
一人は歓吉。そしてもう一人は桃にとっても予想外の人物、人寿郎であった。
「あ!待て!」
予想外の遭遇に一瞬思考が止まりかけたが、次の瞬間桃は声を上げた。
人寿郎は此方の姿を認識するなり、一目散に京極丸の奥へと走り去った為だ。
まるで誘うような動きに警戒しつつも、周囲に敵の兵は見当たらない。
そもそもこの京極丸の中は見通しが良く、兵を伏せるのにも向いていないのだ。
桃は自身の中での警戒指数を上げながらも、最奥へ行かれる前に仕留めるのが最善と判断して、人寿郎の後を追い始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方、それを尻目に数合打ち合っていたハヌマンと歓吉は、一旦互いに距離を取って牽制の姿勢を取っていた。
人寿郎を助けに行けないもどかしさを感じつつも、歓吉はハヌマンの三節棍の猛撃を両手に携えた二本の小太刀でどうにか凌いでいた。
状況としてはハヌマンが押している様子であったが、歓吉も歓吉でハヌマンの攻撃を捌き続ける為に決定的な一撃を与えられない。
(どういうことだ……?)
元々二刀流は防御に重きを置いた動きが多いが、それにしたって奇妙だった。
ハヌマンとしては余計な時間をかけるわけにはいかないと攻めを重視している一方で、歓吉に不思議と焦る様子は無い。
人寿郎を追う素振りも見せない人寿郎を意外に感じて、ハヌマンは遂に自ら人寿郎に問いかけた。
「追わなくていいのか?君の主だろう」
「そりゃあこっちの台詞だがや。お前の主が返り討ちに会う可能性もあるんだで?」
「……確かに。だが私は桃様が後れを取ることは無いと信じている。桃様の強さを、私は良く知っている。仮に伏兵がいたとしても、桃様ならば何とかするさ」
ハヌマンは歓吉の言葉を静かに肯定した。
戦では何が起こるか分からない以上、桃の実力があってもその身の安全が保障されているわけでは無い。
ハヌマンとて追いかけられる状況なら追っていただろう。
それをしないのは、目の前に歓吉が立ちふさがって来たからだ。
この男と直接相対して、ハヌマンはこの男を止めねばと感じていた。
それは歓吉が持つ武力へ脅威を感じたからではない。
ハヌマンが脅威を感じ、なにより止めねばと強く思ったのは、歓吉が人寿郎へ向けている感情に覚えがあったからだ。
その上で、感じる奇妙なかみ合わせの悪さがあった。
歓吉の人寿郎に対する忠誠心は本物だ。それは間違いない。
しかしそれがどうにも、あの人寿郎には向いていないような感覚がある。
歓吉は桃が「返り討ち」される可能性も示して見せたが、実際の所人寿郎がそれを実現できると思っているわけでは無いだろう。
死に場所を定めた人寿郎が、桃との一騎打ちに挑む邪魔をさせないために、という心遣いかと言えば、そうも見えない。
「随分と信頼しとるんじゃのう。自分の身を守れる強さを持つ主ってのは、楽そうで羨ましいわ」
「ならばなぜ追おうとしない?お前も人寿郎が桃様に勝てるとは思っていまい」
「……かもしれん。だが儂も人寿郎様も、半端な気持ちでここに立ってるわけじゃねえんだわ。命に代えてもここは守り抜いたるでぇ」
実質『人寿郎は桃に勝てない』と宣言したにも等しいハヌマンの言葉を、歓吉は否定しなかった。
それと同時に、強く奮い立たせるような言葉で、命を取す覚悟である事を躊躇いも無く言い放つ。
手の血色が無くなるほどに小太刀を強く握りしめ、目を剥いてハヌマンを睨むその形相は、さながら怒り狂った猿魔のようであった。
否、文字通り姿が変わっている。
小柄ながらその手足は筋肉で大きく太く。
髪と髭は鮮やかな赤茶色に染まり、犬歯は鋭く大きく変化していた。
魔力を身に纏い、牙を剥くその姿は蘇芳に来てから書物で知った『猩々』という魔物に似ている。
しかしその迫力に押されることも無く、ハヌマンの頭の中ではただ一つの言葉が強く響く。
「……『命に代えても。』か。果たして人寿郎は、本当にそれを望んでいるのか?」
「抜かせ!」
歓吉が吼える。
ハヌマンもまた、三節混に風の魔力を纏って飛びかかってくる歓吉を迎え撃った。
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(……なんで人寿郎が前線に……。前線へ出られるだけの実力とまではいかなかったはずだが……)
何故大将である彼が、兵糧を守るためとはいえこんなところまで出張っているのか。
一応は先の戦で耳にした歓吉と人寿郎の会話から察せられる彼の性格からすれば、考えられない事ではない。
大将や兵を率いる立場の者が前線に出ることで、士気が上がるという利点はある。
だがそれは大将自身が全線で戦えるだけの力を持っている事が前提だ。
己の身すら守れないのであれば、他の将兵に余計な心労と手間を煩わせるだけであり、それは却って兵の士気を損ねてしまう事に繋がりかねない。
本来は無謀な内乱を企てているといえ、人寿郎が己を過信して味方の士気を挫くような男なのであれば、これまで戦ってきた兵や妖怪達に忠義を向けられるとは思えない。
(……いずれにせよ、人寿郎の可能性がある以上は首を落とさないと。か……)
程なく追いついた桃は、剣を手に人寿郎の背に斬りかかる。
人寿郎は振り返ると同時、どうにか武器を振るってその攻撃を受け止めた。
(……すこし動きが良くなってる……?)
数合の打ち合いの後、身体の位置を入れ替えながら互いに一旦距離を離す。
その後人寿郎は無闇に距離を詰めず、此方の様子を観察するように受けに徹し始めた。
吉祥によれば、人寿郎は手厚く教育を受けてきたわけでは無いらしい。
その情報の通り、彼の戦はどこか拙いものだった。
戦い方も拙い印象で、事実先の戦ではそこまで苦労せず重傷を負わせられていたが、今回はそうもいかないようだ。
とはいえ、これまで未熟であった人寿郎に吉祥が一時的に追い詰められ、此処まで戦いが長引いたのにはやはり理由がある。
雪女の話や先の戦での歓吉の様子を鑑みれば、人寿郎はカリスマというより人徳で人を束ねるタイプの人間だ。
だからこそ、寡兵であっても兵達は此処まで食らいついて来る。
彼は決して戦上手でないが、それでも兵達の強固なまでの連帯感と士気故に、連合軍もここまでてこずったのだ。
此処までの戦いで此方にも被害があり、犠牲があった。
半端なところで手を打つ問う事は出来ない。
内乱の火種を抱えたまま戦いを終わらせることは出来ない。
人徳の力とは時にカリスマよりも恐ろしい、というのが桃の認識だった。
現に人寿郎を慕っていた者達は戦の趨勢が決まった後もここまで付き従い、見捨てるそぶりすら見せずにこちらへ食らいついてきている。
そこに外部からの勢いが加われば、今回以上の乱が起こるかもしれないのだ。
だからここでその芽を摘む。
人寿郎の身体には既に大小無数の傷。
幾らその実力を上げたと言っても、一朝一夕に桃へ追いつけるはずもない。
やがて甲高い金属音がして、人寿郎の手にある剣が弾き飛ばされた。
その後鈍く重い音。
桃が剣を弾き飛ばした姿勢からそのまま人寿郎を捕まえて、腕を捻り上げた後でへし折った音だ。
「うっ……ぐぅああああっ……!!」
人寿郎はそのまま倒れ、折られた腕を抑えて転がり悶絶した。
苦悶に歪んだ表情と声が、桃の耳に叩きつけられた。
それでも必死で息を整えながら、人寿郎はどうにかして立ち上がろうとあがき続ける。
荒く息を吐き出し、肩を上下させてこちらを見つめる人寿郎は、これ以上痛みを顔へ出さないよう必死になって呼吸を整えていた。
限界であることを、悟らせない為だろう。
桃は改めて人寿郎その顔を見つめる。
総大将という割に地味な兜を被った人寿郎の表情は硬く、痛みと恐怖が見て取れた。
しかし自らに迫る死を恐れながらも、目の前の男の表情に後悔はない。
あるのは悲壮なまでの頑なで純粋な覚悟だ。
未だその目から闘志は消え失せず、その命が風前の灯火であると油断して隙を見せれば首筋を食い破りにかかってくる。
そんな目だ。
「分かっているとは思うが、今度は逃すつもりは無いぞ」
「……」
人寿郎の言葉は無い。
此方に一切の油断がないことを悟ったのか。
ひとつ改めて大きく息をつくと、人寿郎は折れていない方の腕を見つめて、拳を強く握りこんだ。
「ぅうううぅうぁあああ!!!」
もはや言葉になっていない叫び声。
ひび割れるようなその声とふら付く足取り。
強く握られつつも弱弱しい拳が、桃の元へと向かってくる。
「……」
それに対する桃の答えは、ただ一つ。
人寿郎の肩口から真っすぐけさが袈裟懸けに剣を振るう事。
人寿郎は拳を構えたまま何も言わず、動かず。
ただほんの少しの遅れがあって、傷口から溢れ出した血液が、花びらを散らすように噴き出した。




