第八章 もちろん愛はあったさ 五
この二人の友情? は、「我は王軍 友は敵軍」の三銃士みたいな気分で書いています。
三銃士たち、意外と互いを妄信していないところがいい。
蹴破った扉の隙間から建物の内に滑り込む。
内部はがらんとした大広間だった。
床に毛足の長い赤い毛氈が敷き詰めてある。
今しがた入ったばかりの扉の左右にずらりと並んだ縦長の格子窓から幾筋もの光の帯が差して、人気のない広間の手前半分を明るく染め上げている。
陽の届かない向かい壁に目を向けたとき、月牙はぎょっとした。
一対の扉のあいだに開いた黄金の窓枠の背にして、碧い衣の正后様が独りで立っていたのだ。
「正后様――」
かすれた声で呼ばわっても相手は微動だにしなかった。
裳裾の上に白い手のひらを重ね、衣と同じ碧い眸をまっすぐに前に向けている。
柔らかそうな金色の巻き毛に縁取られた貌を茫然と仰いだとき、月牙は違和感を覚えた。
――仰ぐ? 私が正后様を?
記憶の中にある正后様の背丈は雪衣とそう変わらなかったはずだ。
いま目の前に見える「正后さま」はあまりにも丈高すぎる。
そう気づいたときようやくに分かった。
これは画だ。
信じがたいほど精緻に鮮やかに、手を伸ばせば触れられそうな奥行きを持って描かれた大きな画だ。
――これが法狼機の技術か……
殆ど畏怖に近い驚嘆を感じながら歩み寄ったとき、左手の扉の向こうに人の気配を感じた。
誰かが走ってくるようだ。
――ようやくに気づいたか。
月牙は静かに冴えていく心を感じながら腰の刀を抜いた。
一拍おいて扉が開き、鋭い誰何の声が響いた。
「侵入者! 何者だ!」
声と同時に入ってきたのは思った通りの姿だった。
竜騎兵の指揮官と同じ装束をまとった麗明だ。
栗色の髪を編んで頭に巻き付け、背には箙だけを背負い、見覚えのない細身の諸刃の剣を構えている。
「久しぶりだな麗明。いつもの刀をどうした?」
切っ先を向けながら淡々と告げる。
麗明は驚愕していた。
髪と同じく色の淡い目を見開き、不意に現れた幽鬼でも見るような顔で月牙を眺めつくした。
「月牙――」
「違う。頭領だ!」
叫びがてら間髪入れず刀を振りかざす。
麗明の苦手は左側だ。
そちらを狙って肩へと刃を振り下ろすなり弾かれる。
「梨花殿さまを害するものを頭領とは呼ばん! 恥を知れアガール女!」
「黙れサルヒ女! 我々が捕らえに来たのは独り法安徳のみだ! 正后様を害するつもりはみじんもない!」
「信じられるかぁ! 聞いたぞ、紅梅殿の判官様が河東の侯子を密かにお連れしたのだと! すべては紅梅殿の陰謀だ! 御史台と組んで主上を廃し、アガール氏族を煽動して、御子もろともレーヌを殺すつもりなのだろう!?」
「誰だよレーヌ!」
「リュザンベール語で正后様だ! それくらい知っておけ!」
「知るわけないだろリュザンベール語なんて! 大体どうして柘榴庭が紅梅殿の陰謀に骨がらみ加担するんだ!」
「何を今更空々しいことを! 判官様とのただならぬ仲は誰でも知っているわ!」
「ただならぬってどういう仲だよ! そっちこそ法安徳とはどういう仲なのさ!」
「げ、下世話な憶測を!」
「その反応怪しすぎる!」
一瞬の動揺を狙い合う罵詈雑言の応酬とともに、カッカッカっと堅い音を立てて刃が交じりあう。
互いの手の内を知り尽くした二人の妓官は、強靱で敏捷な二匹の獣のように、大広間を縦横無人に跳ね回りながら、互いを追いかけ、逃げ回り、打ちかかり、払い、除け合いながら文字通りの真剣勝負を続けた。
――まずいな。力業での勝負になると私の分が悪い。
月牙の真骨頂は跳躍力と瞬発力だ。腰を低めて間合いをとりつつ、ハッハと荒い呼吸をして乱れた息を整える。
麗明が剣を向けながら舌なめずりするように嗤った。
「体力のなさは相変わらずだな! 跳ね回るのもそろそろ限界じゃないのか?」
「そっちこそ、まだ一度だって、私を正面から捕らえられていないじゃないか!」
――一対一の正面勝負はだめだ。私はそれで麗明に勝てた試しはないんだ。
身を隠す岩陰、障害となる樹木。回廊の柱。橋の欄干。
月牙は周囲のあらゆるものを利用しながら戦う。
こういうがらんとした広い屋内での正面勝負は最も苦手なのだ。
――何かないか? 何か使えるものは?




