第八章 もちろん愛はあったさ 三
その場で開かれた即席の軍議の結果、月牙は勅使の印である白馬に乗って、王宮の表玄関たる昇陽門から外へ出ることになった。
身繕いのためにもう一度客殿へ戻り、案じ顔の雪衣と小蓮に事情を説明してから、ようやく返してもらえた箙と弓と刀を帯び、紫英の案内で昇陽門の前へと急ぐ。
門前には白装束の延尉が率いる御史台の武官が十名と、藍の衣の兵衛が十名、それから美しい白馬が一頭いた。
「柘榴庭どの、お乗りなされ」
促されるままにひらりとまたがると、延尉は意外そうな表情をした。
「では開門いたす。――昇陽門、開門せよ!」
延尉が命じるなり頭上から銅鑼の音が響いた。
ぐわああん、ぐわああんと残響を引きずる打音が七回続く。
最後の余韻が滅えきる前に、両開きの朱赤の扉がゆっくりと開いていった。
門を出れば目の前は城隍廟広場だ。
王宮自体が微高地の上に立っているため、石畳の地面は幅広い七段の石段の下だ。ちょうど柘榴庭ほどの広さの方形の広場の真ん中に台形の石積みがあって、その上に赤い瓦で葺かれた八角堂が建っている。
堂の周りにはかなりの数の人が群がっていた。
銅鑼の音が合図になったのだろう。殆ど誰もが昇陽門を仰いでいる。
月牙は自分の心臓がどくどくと高鳴るのを感じた。
初めて感じる種類の緊張のために口の中が乾いていく。
――ああ、あの朝の正后さまもこんな緊張をお感じだったのだろうか?
月牙はふとそんなことを思った。
シャルダン領事の話では、正后さまはよるべない孤児だったのだという。たった十六、七の孤児の娘が、言葉の通じない異邦で、急に正后様として振る舞えと強いられたのだ。
きっとさぞ恐ろしかったに違いない。
「みな見よ! 当代の外宮妓官の頭領を連れてまいったぞ!」
延尉がよく通る声で呼ばわる。
途端、思いがけない罵声が返ってきた。
「馬鹿野郎、大嘘つきやがって!」
「――え?」
延尉がぎょっとした顔で月牙を仰いでくる。
「御身は、その、」
「本物ですよ!」
月牙は慌てて否むと、精一杯背筋を伸ばして馬上から叫んだ。
「みな見てくれ! 御史台のお方の仰せの通り、私が外宮外砦門警衛の妓官の頭領、世にいう柘榴庭だ!」
「嘘つけその女――!」と、今度は甲高い女声が怒鳴り返してくる。「あたしら馬鹿にするんじゃないよ! 武芸妓官の頭領さまがそんなちゃらちゃらした踊り子みたいななりぃしているもんかい!」
「そうだ、そうだ!」と、景気のよい合いの手が入る。
今や広場の群衆は、怒りに両目をギラつかせながら門前に集結しようとしていた。
「そいつはどこの官妓だよ! 一人前に羽矢なんぞ背負いやがって!」
「本物の頭領さまはもっとキリッとしていなさるんだ!」
「頭領さまを出せ! 判官様を出せ!」
「ざ、柘榴庭どの――」
延尉が戦く声で呼ぶ。「これはどういう事態なので?」
「忘れていました」
月牙は冷や汗をかきながら応じた。「我々は外へ出るときにはいつも男装しているのでした」
「では、今のお姿では」
「ええ。たぶん誰にも分からないでしょうね」
「羽矢を背負っていても?」
「たぶんアヒルの羽だと思われているんじゃないかな」
答えながら月牙は必死で頭を絞った。
頼みの箙さえ証にならないとしたら、どうしたらいい?
――私が私である証――いや違う、私が柘榴庭である証か――
そこまで考えたとき、はっと思いついた。
――そうだ。簡単じゃないか。
「延尉、申し訳ない」
「?」
「抜け駆けをさせていただきますよ」
言い置くなり、月牙は白馬の腹を蹴って、七段の石段を翔ぶように駆け下りた。
「みなどけ! 蹴り殺されたくなければな!」
蹄の音も高らかに一気に段を駆け、悲鳴をあげて左右へ分かれる群衆のあいだを抜けて、電光石火の早駆けで城隍廟を一周してやる。
まわりながら声を限りに叫ぶ。
「聞け! 私が柘榴庭だ! 心あるものは共をしろ! 新梨花宮の身中の虫を退治にいくぞ!」
すると、どこかから思いもかけない声が返ってきた。
「月牙、もちろんついて行くよ!」
その声はどことなく聞き覚えのある女声だった。
たぶん宿下がりをしたかつての同輩たちの誰かだろう。
「みんな、あの人は柘榴庭だよ! 間違いなく本物だよ!」
明るい声が保証するなり広場を歓呼が満たした。
「柘榴庭さま! 柘榴庭さま! お供いたします!」
「法狼機女を殺せ――!」
――うれしげに叫びながら群衆が白馬を追う。
延尉は門前で茫然としていたが、ややあって我に返ったように命じた。
「み、みな追うぞ! 急げ、新梨花宮だ!」




