第八章 もちろん愛はあったさ 一
最後に少しは月牙を活躍させたくなりました
御史台での裁きはいつのまにやら群臣による御前会議に転じていた。
漏刻所が正午の鐘を打つといったんお開きになる。
「女官たちは御史台の客殿で休むがいい」と、御史大夫が愛想よく告げてくる。「しばし待て。判官にはすぐに輿の支度をさせる故な」
「もったいのうございます」
雪衣が深々と頭をさげる。
どうやら罪人扱いではなくなったらしい。
四人担ぎの輿のお供をして客殿へ戻れば、顔の白布を取り払った白装束の婢たちが満面の笑顔で迎えてくれた。
「判官様、妓官さまがた、ことなくご放免でございますね! おめでとうございます。ささ、奥に昼餉の支度がございますから」
顔が見えるようになった婢たちは明るく親切だった。
真昼の陽に燦々と照らされた明るい中庭をよぎって奥の棟へあがれば、広々とした板の間に黒檀の卓子が据えられ、極上の河東青磁の小皿がびっしりと並べられていた。
「うわあ、すごいご馳走ですねえ?」
小蓮が目を丸くする。
月牙はその献立に違和感を覚えた。
濃厚そうな白い米の粥と川魚の佃煮。
青菜の入った澄んだ湯。
この三品はまあ順当な昼食という気がするのだが、そのまわりを取り囲む小皿や鉢の内容が、王宮内の客殿で饗されるにはなんとなく場違いである。
たぶん海都風なのだろう白身魚の揚げ物。
洛中名物の飴色に煮染めた鶉の卵と蜜をからめたむき栗。
北部風の捻り揚げ菓子。
これもかなり北部風の豚肉の串焼きは食紅で真っ赤な色をしている。
美味しそうだが上品ではない。
なんというか、市井の露店で商われるちょっと高めの軽食を思わせるのだ。
「これはみな外から買ってきてくれたの?」と、雪衣がすまなそうに訊ねる。「こんなに沢山、ずいぶん高かったでしょうに」
「いえいえ判官様、厨の通用門に物売りが押しかけているのですよ」と、一番年かさに見える婢が誇らしそうに言う。「みんな判官様や柘榴庭さまに召し上がってくださいって。洛中の者は誰もみな判官様がたの味方です。ご無事のご放免となったら、今頃もうあちこちの裏門の前で祝杯があがっていますよ」
「あ、ほら、お酒もここに!」と、若い婢がはしゃいだ声で告げる。
「どうぞお召し上がりくださいませ。もうみな毒味もすませてありますからね」
「雪衣さま、念のためわたくしめが、もう一度お毒味いたしますよ!」
「うん。じゃあたのむよ小蓮。できるだけ手早くね」
雪衣が嬉しそうに笑って応え、婢の差し出してきた杯を月牙に渡してきた。
「ではまず柘榴庭に。今日までの護衛、まこと大義であった」
「ありがたい御言葉にございます」
月牙はわざと堅苦しく応え、玉の杯に満たされた冷たい酒を飲んだ。
護衛任務のさなかの妓官は、やむを得ない必要に駆られるとき以外は、基本的に禁酒だ。
久々に口する芳醇な酒は五臓六腑に染み渡った。
飲み干してしまってからようやく、北塞風の黍の酒だと気づいた。
「積もるお話もございましょうから、わたくしどもは外に控えております。お若い妓官さま、毒味がお済みになりましたら、後のお給仕をお願いできますか?」
「ええ、もちろん喜んで」と、小蓮が口をもごもごさせながら頷く。
婢たちは笑って庭へと出て行った。
「小蓮、給仕なんかいらないよ。勝手に楽しくいただくから」と、雪衣が待ちかねたように鶉の煮染めに手を伸ばす。月牙は真っ赤な串焼きをとった。
焦げた砂糖の風味の効いた甘い味付けだ。
「いやあ、思いがけない大ご馳走だねえ」
そうしてありがたく小祝宴を楽しんでいたとき、強ばった顔をした婢が不意に入ってきた。
「判官さま――」
婢が震える声で呼ぶ。
とろんとしていた雪衣の表情が一瞬で引き締まった。
「どうしたの? 何か悪い知らせが?」
「門前に兵衛が来ています。柘榴庭さまのみ、今すぐに御史台へ戻るようにと」
瞬間、雪衣の顔が恐怖に強ばった。
「月だけ? そんな、なんで?」
「雪、落ち着いて。必ずしも悪い報せとは限らないよ。単に用があるだけかもしれない」
月牙は大急ぎで鶉の卵を丸呑みしてから、これも怯えた表情をした小蓮を鋭く叱った。
「孫小蓮、妓官らしくしろ! 判官様、どうやら護衛任務はまだ果てていなかったようです。祝杯はまたの機会に」
口早にそれだけ告げてから、強ばりきった顔の婢の後を追って客殿を出る。婢たちの好意的な態度からして、ここにおけば雪衣は心配ないだろう。




