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後宮生活困窮中   作者: 真魚
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第七章 ついに最後の謎解きを 五 


 また右手を捕まれて廊へと出ると、思いがけない冷気が全身を包んできた。

 海都に比べると京洛はやはり北だ。

 北塞と違って息が白むほどではにものの、晩秋の朝の空気は相当にひんやりしている。

 黒木の廊から三段の階が降りて石畳の中庭へと続いている。

 そこに懐かしい姿があった。


 これも正装の小蓮である。

 こちらの袖なしは黒い綿入れで、帯には刺繍がなく、髪の花は一つだけだ。

 小蓮はぼんやりとした目つきで向かい側の棟の軒のあたりを眺めていたが、月牙が近づくのに気づくと、はっとしたように顔を向けてきた。

「頭領! うわあ、その格好久しぶりですねえ。箙と弓と刀がないのが変な感じ!」

 明るすぎるほど明るい声で笑おうとする少女が痛々しかった。月牙は思わず手を伸ばしてその頭をなでた。

「小蓮――」

「なんです頭領?」

「よくやったな。ここまで、本当によくやった」

 すると小蓮は身をよじらせて逃げながら笑った。

「お褒めにあずかるのは早すぎますって。判官様の名裁きでこれにて一件落着ぅ――ってなるのはこれからでしょ?」

「ご信頼ありがたいけど孫小蓮、今日の判官様は裁かれるほうだよ?」

 背後から笑いを含んだ声が言う。


 見れば、こちらも久々に見る白と紅色の正装姿の雪衣が、額の櫛の位置を気にしながら階を降りてくるところだった。

「ねえ月、よっぽど急いで支度したの? 右側の花が曲がっているよ?」

「え、嘘。直して」

 雪衣が背伸びして月牙の造花を直していたとき、遠巻きに眺めていた婢たちの一人が初めて口をきいた。

「お三方、そろそろお出ましを」

 


 向かい側の棟を抜けて前庭とおぼしき場所へ出ると、正面をよぎる築地塀に開いた門の前に六人の武官が待ち受けていた。ここで両手首をやんわりと赤絹の組紐で結ばれ、柔らかな黒い絹地で目隠しをされた。

「判官殿、ご無礼つかまつる」

 武官が雪衣に近づきながら心底すまなそうに言った。

 引かれるままに戸外を歩いて、何度か角を曲がると、ようやくに目的地に着いたようだった。

 目隠しを外されるなり、目の前に赤い瓦屋根を備えた勇壮な四脚門があった。

 金泥で縁取りをした厚板の額に、黒々とした文字で「御史台」と刻まれている。

 門を抜け、石畳の広い前庭を進み、三段の階を上って屋内へと入る。

 控えの間とおぼしき窓のない板の間の左右に、象牙色の袍をまとった御史台の官吏が六人ずつ並んでいる。

 正面に両開きの扉があって、左右を白い装束の武官が守っていた。

「申し主上、お求めの者どもを導いて参りました」

 先導する武官の言葉に月牙はぎょっとした。


 ――主上? 今主上といったか?


 御史台の長は「御史大夫」と呼ばれる二位の高官である。しかし、主上の敬称で呼ばれるのは双樹下では国王自身だけのはずだ。

 ――すると、この扉の向こうには主上がいるのか? 御史大夫ではく?

 横目で見れば雪衣も相当驚いているようだった。

 そのとき、扉が内側から開いて、聞き覚えのある若い男の声が響いた。

「入れ」


 両開きの扉の先に広がっているのは広々とした板の間だった。

 左右に様々な色調の袍をまとった高官らしき男たちが直立不動で立ち並んでいる。

 正面に天蓋付きの床几が据えられ、薄紫に金糸で蝶の刺繍を施した薄絹が左右に垂れている。その椅子に、これも見覚えのある若い男がかけていた。

 袖をゆったりと仕立てた白い緞子の上衣と深紫の袴。髷に被せた頭巾を止める組紐も同じ色だ。

 深紫は国王の禁色だ。背後で小蓮がヒュッと息をのむのが分かった。

 若い男――第十七代双樹下国王暁成は、肘掛けに右肘を預け、手の甲に頬をのせて、つまらなそうな風情で床几にかけていたが、月牙に目を向けると無造作に頷いた。

「柘榴庭は本物だ。厩で何度も見かけている」

 ああ、なるほど――と、月牙はようやく理解した。

 後宮は男子禁制である。この「表」の世界では、逃亡女官三人の真偽を確かめられる人間は一人国王自身しかいないのだ。


 ――もっとも私たち外宮妓官は、わりとよく洛中をうろうろしているんだけどね。


 上つ方にはそのへんは関係ないのだろう。

 国王は今度は雪衣に目を向け、しばらく眺めてから頷いた。

「紅梅殿の判官も、本物ではないかと思う。そっちの小さいのは知らん」

「さようでございますか」

 国王の言葉に真っ先に相槌を打ったのは、月牙から見れば玉座の右手に立った背の高い青衣の男だった。

 目にしみるほど鮮やかな瑠璃色の袍をまとい、髷の根元にも同じ色合いの組紐をかけ、黄金の留め具の環に通して、房状の先端を額に垂らしている。

 年頃は三十の半ばほどか、色が白く眉が黒々と太く、厚みのある唇がくっきりと紅い。黒曜石を思わせる炯々と輝く目をした迫力のある容貌である。身なりからして文官であることは間違いないが、金色に輝く甲冑をまとって白馬にでも騎乗したらじつに画になりそうな姿だ。

 ――主上の隣にいるとなると、相当の高官ではあるんだろうな。それにしちゃ若い気がするけど。瑠璃の袍っていうと、ええと――

 月牙が考え込んでいると、当の男がじろじろとぶしつけな視線を向けてきた。犬猫を見るような目――どころではない。机か椅子を見る目だ。

「これが当代の柘榴庭でございますか! 前評判とはずいぶん違っていますな」

「炎卿、柘榴庭にどのような前評判があるのだ?」

 と、国王が当人の目の前で訊ねる。

 男はどうやら左宰相の槙炎卿であるようだった。

 竜騎兵の改組者にして、すべての事件の黒幕かもしれないと雪衣が最後まで疑っていた相手だ。


 ――もしかしたら、雪はまだこの男を疑っているのかもしれない。


 そう思うと全身に緊張が走った。

 槙炎卿はまたもじろじろと月牙を眺め回してから、低く喉を鳴らして嗤った。

「なかなか華々しい噂ですよ。北塞の蕎月牙といったら、その美貌で往時の北塞の都督をたぶらかして後妻に収まり、二年後に夫が横死したのちには、大家にとどまろうと画策して義理の息子を誘惑しようとしたのだとか。前歴からしてもっと毒々しい妖婦を想像していたのですが」

「柘榴庭にそんな前歴が? 全く知らなかった。これはよく馬の世話をするから気に入っていたのだが」

 国王が興味深そうな視線を向けてくる。完全に単なるものを見る目だ。

 月牙は全身がカッと熱くなるような屈辱感を覚えた。


 ――小蓮はどんな顔をしているだろうか?


 怯えながらも気になって目を向けてしまう。

 少女は意外な表情(かお)をしていた。

 驚愕でもなければ軽蔑でもない。混じりけなしの怒りを湛え、小さな肩を怒らせて玉座を睨みつけていた。


 ――あの子は蔑まないのだ。私の前歴がなんであろうと、頭領として敬ってくれるのだ。


 そう思うなり全身が、今度は感動で熱くなった。


 ――そうだ。私は柘榴庭だ。柘榴庭は「私たち」でもあるんだから、みっともない姿は見せられない。


 月牙がすっと背筋を伸ばして正面から槙炎卿をにらみ返した。

 瞬間、男が一瞬無防備な驚きの色を浮かべた。玉座の国王が眉をあげる。

「柘榴庭、そう睨むな。朕とてそなたは疑っておらん。疑うべくは――」

 と、その瞬間、国王の若々しい細面が一瞬で紅潮した。



 両目が爛々と輝いている。



 一瞬、歓喜の表情のようにも見えてしまったが、その口元の戦きですぐさま考えが改まる。

 

 この表情(かお)は怒りだ。

 主上は今怒りに戦いているのだ。


 そう察した途端に背筋が寒くなる。

 同時に国王が鋭く叫んだ。



「紅梅殿の判官! 一人そなたのみよ!」


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