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後宮生活困窮中   作者: 真魚
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第七章 ついに最後の謎解きを 二

〈さすがにその説はあまりに荒唐無稽すぎるのでは?〉

 常識人の二等書記官があきれ顔で応じる。

 総領事も頷いた。

〈僕もそう思うよ。とにかく事実関係を確かめなくちゃね。中尉、君、ちょっといって波止場から、このごろ海都の租界から来た船客を探してきてくれ〉

〈承りました〉



 中尉はすぐに戻ってきた。

 恰幅のよい体を新調らしいつやつやした緑の厚絹のスタンドカラーのドレスに包んで、秋期とはいえ亜熱帯性気候の南シャンパーで着るには暑苦しすぎる気がする黒テンの毛皮のケープをまとった年配のご婦人である。

 総領事は慌てて立ちあがった。

〈これはマダム・ベルトラン。こちらにおいででしたか〉

 ご婦人はこの近隣で最も有力な大商会の当主の奥方だった。中尉がすぐさま円テーブルと一人がけのソファを部屋の真ん中に引っ張り出す。


〈およびだてしてすみません。どうぞおかけください〉

 マダムは鷹揚に頷いてかけた。間髪入れずに二等書記官が最上級の寧南緑茶と胡桃入りの月餅を運んでくる。マダムはゆっくり一服してから煙管も要求した。

〈早々に失礼いたします。実はひとつ伺いたいことが〉

〈何です?〉

〈この頃海都租界に妙な噂が流れていませんでしたか?〉

〈妙な、とは?〉

〈まあその、何ですか、領事の女性関係で〉

 総領事が口を濁しながら訊ねたとたん、それまで気だるげだったマダムの両目がカッとばかりに見開かれた。

〈あらあらまあまあ、あの噂がもう南香波(こちら)にまで届いていますの!〉

〈では、やはり何か噂が?〉

〈ええ、そうなんですのよ――〉と、マダムは夢見る少女みたいに頬を染めた。〈夏の末からマダム・ル・メールの親戚だというサールーン人の貴族の娘が滞在していましてね。ちょっと古いけど仕立てのよいリュザンベール風のドレスを見事に着こなして、かわいい小間使いを二人も連れた、そりゃきれいな娘だったんですよ! サールーン娘にしちゃすらっと背が高くてねえ。あの()の着ていた古風な緑の絹のドレスが、海都(あっち)じゃこの秋から大流行りしそうなんですのよ〉

 御年六十二歳のマダムにとって二十七の月牙は女の子である。

〈そ、そうですか。そのきれいなサールーン娘は、やはり領事館に?〉

〈え、何を言っているんですの? マダム・ル・メールの親戚なんですからル・メール家にいたに決まっているでしょ?〉

 マダムはあきれ果てたように応じて月餅を口に放り込んでから、またきらきらと目を輝かせて話し始めた。

〈それでですね、その娘がル・メール家にいる間中、シャルダン領事が何かと訪問してはお花だのお菓子だの届けていたのですって! 海都じゃもうずっとその噂でもちきりでしたよ。きっとそろそろ本気で求婚をしているころじゃないですかねえ〉


 総領事は困惑した。

 租界にサールーン女性がいることはいるようだが、首都からの報告とはなんとなく毛色が違っている気がする。

 マダムはうっとりと両手を組み合わせてから、寧南緑茶の残りを無造作に飲み干し、あっちの最新流行らしい緑のドレスのスカートにこぼれた月餅の皮の屑を豪快に床へと払い落としてから、しずしずと立ち上がった。

〈それではわたくしはこれで。ああそうだ、忘れていました。こっちの総領事館に届けて欲しいって、玉夏から手紙を預かっていたんでした〉

〈玉夏とは、そのきれいなサールーン娘ですか?〉

〈いやですねえ、何をいっているの! 玉夏はマダム・ル・メールでしょう?〉

 マダムは世界の常識のように言い、ドレスと共布のポシェットからひょいと取り出した封書を無造作に手渡してきた。


 差出人の名は「華玉夏」だ。

 封蝋に印はない。


 再び銀のペーパーナイフで封書を開けた総領事は、またしても潰れたカエルのような声をあげた。

〈閣下、今度はどうなさいました?〉

 二等書記官が嫌そうに聞く。

〈今度は当のラウル・シャルダンからの密書だ。空恐ろしく面倒なことが書いてある〉

〈では、先ほどマダムがお話だったきれいなサールーン娘というのが、本当に例の後宮女官だったと?〉

〈どうもそういうことらしい。シャルダン君が言うには、彼女は後宮の経理を担当する有能な実務官で、職務上たまたま、王宮の上層部が絡んだ公金横領の証拠をつかんじまったんだそうだ〉

〈ああ、それで、王宮から追われる羽目になって、マダム・ル・メールの縁故を頼って租界に逃げ込んだと。そういう成り行きなんですね?〉と、中尉がほっとしたように訊ねる。

 総領事は頷いた。

〈そういうことなんじゃないかな〉

〈では、毒殺未遂云々というのは〉

〈そっちについては何も書いていないが、順当に考えて口封じのための冤罪なんだろう。シャルダン君の主張が本当ならばね。彼はどうも相当その経理官に肩入れしているらしく、証拠をそろえた彼女が首都に戻って公式の裁判で横領犯を訴える手助けをしたいと言っている。そのために、租界にも多少の探索を入れる許可が欲しいとさ。彼自身の潔白を晴らしたいんだそうだ〉

〈許可なさるのですか?〉

〈事件があの国の王宮の内部抗争だったら、別段構わないさ。ともかくもう少し様子を見よう。本当に彼が捕らえられるような事態になったら――〉

 と、総領事はチェスを楽しむ少年のような顔で笑った。〈そのときは、本国に要請して救援の軍勢を侵攻させればいい。あの国を完全に支配下に置きたがっている歴々にとっては渡りに船ってものさ〉


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