第七章 ついに最後の謎解きを 一
さて、少々時間が遡る。
桃果殿から給された銅製の駅鈴を腰にくくった桂花が、背後から迫る竜騎兵先発隊と文字取り競い合って海南街道を南へ疾駆していたとき、海都からはおおよそ四十里北を東西に流れる蘭江の北岸を、同じく腰に駅鈴をくくった騎馬の使者が西へとひた駆けていた。
こちらの道の名は海西街道。
京からじかに発する四大街道のひとつで、京と蘭江河口の大港湾都市嵐門をつないでいる。総距離は四八里で、三駅目にあたる蘭北宿駅までは海南街道と道を同じくしている。
まるで沈む日と競うようにその道を疾駆する騎馬の姿は恐ろしく人目についた。
まずは馬の毛色だ。
尻のあたりにほんの少しだけ灰色が混じった、殆ど純白に近い白葦毛である。純粋の白馬は双樹下では王宮に献じる決まりだから、この毛色は宮の外で望みうるもっとも白い馬だ。
次には騎乗する人の服装である。
王宮は海都租界に住まう「法狼機」全般が国内を無許可で移動することを禁じているため、今の時点では絶対にありえない仮定ではあるが、もしもリュザンベール人の誰かがその姿を見かけたら、
「白いブーツと黒いキュロット。金ボタンつきの青いフラックコートで、腰にサーブルを帯びて、首に真っ白いクラバットを巻いているようだった」
と、形容しただろう。
京洛地方の情報通なら、それがこの頃定められた竜騎兵の将校服であると見抜けたかもしれない。
白馬の乗り手は、これだけは双樹下風の編み笠を目深にかぶっていたため、これだけ目立つ身なりだというのに、やはり隠密の使者のように見えた。
桂花にとっては不運なことに、海西道は海南道より十二里も短い。
白馬の使者は海西道を四日で走り抜き、嵐門の都督府の正門の前へと騎馬のまま乗り付けた。
名にし負う半独立自治都市たる大河河口の海都と異なり、嵐門は京から派遣された都督がしっかりと統治の実権を握った、いってみれば双樹下王宮の官港みたいな港湾都市である。都督は港では絶対権力者だ。
その都督の住まう府の前に不届きにも騎馬のまま乗り付けた使者は、依然として馬から下りないまま声高に呼ばわった。
「嵐門の都督よ、開門を願う! パレ・ド・ラ・レーヌから急使だ! 我らが王妃に火急の危機が迫る旨、取り急ぎ南香波へと伝えるべく、今この国にいらせられるレーヌ唯一のご外戚たる忠実なるル・フェーヴル太尉から書状を言付かってきた!」
白馬の馬上で朗々と名乗るのは響きのよい女の声だった。
門前にたむろしていた嵐門の一般庶民が遠巻きにおそるおそる、しかし興味も津々と見守る。
呼ばわり終えた使者は、多少気が抜けたのか、遠くから注がれるいくつもの視線には気づかず、編み笠を外して額の汗を拭った。
観衆たちは声もなく驚愕した。
笠の下から現れたのは、白いというより薄赤い感じの膚をした彫りの深い女の顔だった。上気し、汗を浮かべたその顔を、熟れた小麦を思わせるつややかな栗色の編み髪が冠のように取り巻いていた。
――法狼機女? 法狼機女だぞ――
さて、嵐門から南香波まではそれほど遠くない。
嵐門都督の強権によってことなく船に乗せられたル・フェーヴル大尉の手紙は、桂花が海都租界に向かうのと大体前後して、南シャンパー随一の国際港湾都市たるクラナダマールに所在するリュザンベール王国東方領土管轄総領事館へと届けられた。
〈閣下、サールーンから速達です。首都のル・フェーヴル大尉からです〉
〈ふんふん。となると、例の王妃毒殺未遂事件の犯人がようやく捕まったのかな?〉
封書の署名の筆跡は間違いなくアルマン・ル・フェーヴル当人のそれである。赤い封蝋に押された印章も間違いない。
〈やれやれ、これでようやく連日の胃痛から解放されるよ〉
銀製のペーパーナイフで封書を開いて便箋を開くなり、総領事はウゲ、と潰れたカエルのような声をあげた。背後に影のように控えていた秘書役の二等書記官が心配そうに訊ねる。
〈犯人が国外に逃亡でも?〉
〈いや、一応まだサールーン内にはいるみたいだ。つまり、なんでだかさっぱり分からないけど、海都のリュザンベール租界に〉
〈――――は?〉
書記官が絶句する。
同じく茫然としていた中尉が気を取り直して訊ねる。
〈ええと、閣下、失礼ながら状況を確認したいのですが〉
〈うん。僕もしたいよ〉
〈今お話しなさっているのは、例の、リュザンベール人の王妃を毒殺しようとした後宮の美人女官三人組のことですよね?〉
〈そうだね。美人かどうかは知らないけど〉
〈東方のハレムの女官といったら妖艶な美人に決まっているでしょう。しかも二人は例の有名な男装の女兵士だとか――ああいや、それはいいのですが、つまりですね、リュザンベール人王妃を毒殺しようとして王宮に追われている後宮女官の三人組が、領事裁判権での保護を求めて、当のリュザンベール租界に逃げ込んでいると?〉
〈うん。そう書いてある〉
〈ええと――何で?〉
中尉が礼節を忘れて訊ねる。総領事はとがめるのを忘れて答えた。
〈ル・フェーヴル大尉の主張では、ラウル・シャルダンがそもそもの黒幕だったからだそうだ〉




