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後宮生活困窮中   作者: 真魚
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第六章 昨日の友は今日の敵? 四

杜九龍とだけ連れ立って扉の外へ出ると、目の前に広がっているのは瓦屋根付きの築地に囲まれた一辺一町〈約100m〉ほどの石畳の広場だった。壁沿いにいくつもの小屋がかけられ、前には露店が並んでいる。

「ここまでは通行手形が必要ないからな。旅芸人なんかはここいらで寝起きすることが多いんだ」

 日暮れ間近の門前の広場は賑やかだった。差し掛け小屋の前から煮炊きの煙が上がり、脂と魚醤の入り混じった香ばしい匂いが漂ってくる。南東の一角に大きな厩があり、そちらからは獣の臭いがした。

「こっちだ」


 九龍が人混みのあいだを抜けて右手へ歩いていく。衣類を満載した大きな平たい籠を頭に載せた洗濯女たちが三人、連れ立って前を歩いている。その背に続いていくと、左右に並んだ高床小屋の向こうに、鮮やかな朱色の柱を備えた二層門が見えた。

 外砦門とよく似た東華風の美々しい門である。庇の上に飴色の額がかかって、勇壮な筆跡で八文字が書かれている。



 海都河津宿駅東門



 門前にはマスケットを担った武官が一人だけいた。洗濯女三人が通ったあとで杜九龍が進むと、月牙に目を止めて訝しそうな顔をする。

「おい九龍、誰だその役者みたいな色男は」

「ああ、これは俺の親類だ」

「へえ。名前は?」

「あ――志雲だ。嶺西の杜志雲。父方の祖父さんの従弟筋でな。こっちに出てきたから駅長に挨拶だけでもしたいんだと」

「結構な遠縁だな。似ていなくて当然か」

「似ていないか?」

 九龍はちょっと不服そうに答えた。九龍は九龍で結構な色男なのだが、いかんせん月牙とはタイプが違う。そもそもなにより性別も違う。



 門を抜けるとなだらかな石段が始まっていた。やや先を三人の洗濯女が上っていく。適当な距離を保ったまま後へと続き、踊り場のような小さな広場まで上る。

 左側に何件か茶店が並んでいた。右手にはまた築地があり、扉のない円い入り口を抜けた先に、碧い瓦で葺かれた黒木の六角堂が建っていた。軒に架かった金縁の額に「海都道祖神廟」と刻まれている。

 ややあって後ろから軽い二つの足音が近づいてくる。


「おっかさん大丈夫かい?」

「いやだねえ蓮々、年より扱いして。ほれ、ここが海都の道祖堂さ。立派なもんだろう」


「判官様か? 御足労を――」

 九龍が振り返りざま硬直する。

 築地の円い門を潜ってきたのは、衣類を満載した大きな平たい籠を頭に載せ、色褪せた藍色の筒袖の裾からにょっきり足を突き出した洗濯女の母子だった。どちらも髪はボサボサで、顔も脛も土埃でくすんでいる。

「いやその、人違い、」

「じゃないよ、生憎。で、使者は何処に?」

 雪衣が焦れた声で訊ねたとき、



「――判官、使者はここにおるぞ」



 思いもかけず堂宇の中から重々しい声が響いたかと思うと、翡翠色の扉が内側から開いて、同じ色合いの袍をまとった男が現れた。



男が姿を現したとき、月牙は一瞬、堂宇に祀られている彩色された木彫りの道祖神象でも動き出したのかと思った。

 齢の頃は五十がらみが、でっぷりと肥った大柄な体躯をくすんだ緑の絹の袍で包み、髷に銀糸で菱紋を縫い取った黒繻子の頭巾を被せて、根元に巻き付けた翠の紐を、円い翡翠の環に通して両端を額に垂らしている。五位の地方官を表す「翡翠の環」だ。双樹下では「翡翠の官」は駅長の代名詞である。


「――駅長どのか?」

 雪衣が乱れ髪を大まかに指で梳きながら訊ねる。

 男は扉を後ろ手に閉めながら重々しく頷いた。

「いかにも。そちらは――主計判官どのなのか?」

 駅長の顔つきは当然ながら疑わしげだった。雪衣は籠を下ろし、衣類の下から一本の羽矢を取り出してさしあげながら応えた。

「いかにも、卑官、趙雪衣と申す。王太后宮の奏上により尚書省より内位正五位を賜り桃梨花宮内宮北院主計所判官を拝命いたしておる。京洛よりの使者ありとてこの矢を受け取って参った。長よ、火急ゆえ互いに虚礼は省いてはいかがか? 即刻使者に合わせよ」

「――承った。ああ、卑官、林如水と申す」

 駅長は気おされたように頷くと、九龍に目を向けた。

「九龍、門番を頼むぞ。校尉以外は通すな」

「は」

 九龍が短く答えて入り口の外へ出ていく。

「判官、あがられよ。供の二人もな。今は駅長の旬末の祈祷の時間ゆえ、みだりに踏み込むものはない」


 促されるまま階へあがり、翡翠色の扉を開ける。

 堂宇の祭壇には一対の蝋燭が燈っていた。

正面に鮮やかな彩色の道祖神の木造がある。

 祭壇の前に藍色の毛氈が敷かれて、その上に二つの人影があった。

 一つは小柄な白髪の老女だ。白っぽい裳衣をまとって、水を満たした盥のなかで布を洗っている。もう一つの人影は一見少年のように見える。


 藍色の上衣にくくり袴、髷には黒い頭巾。

 立てた両膝を抱くようにして坐り、膝の上に顔をうずめ、背を丸めて眠り込んでいる。その背に白い小さな翼が見えた。


 ――箙の口から扇のように広がる白鷺の羽矢が。


「――桂花姉さん……!」

 小蓮が堪えかねたように呼ぶ。

「桂花」

 月牙も口にしていた。


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