第五章 謎解きは茶碗とともに 八
第五章の最終話です
投降後、部分的に少し修正。
一部の登場人物同士が通訳なしでは意思疎通できないという設定、気を付けていないとちょくちょく忘れそうになります
ちなみに、「リュザンベール語」はそのままフランス語ですが、「双樹下語」は中国語ではなく、日本やベトナムや韓国あたり、漢字文化圏の周縁国が、自国語に漢字を当てて発音している、というイメージで書いています
「中国」にあたる海禁令下の東方の大文明圏はべつにある感じ。
叫びが終わると沈黙が落ちた。
シャルダン領事は気を取り直すように茶を一口飲んでから、わざわざ拳を顔の前に並べ、七本の指を一本ずつあげていった。
「七?」
ぎこちない双樹下語で告げて雪衣を指し示す。
雪衣は頷いて同じ仕草をしつつ、これも同じほどぎこちないリュザンベール語で訊ねる。
〈七?〉
領事が深く頷く。
両者は顔を見合わせたあとで、それぞれの拳をぎりぎりと握りしめた。
〈ねえ判官、七足す七は十四ですよね?〉
「ええ領事、我々の指も十本ですからね。双樹下であれリュザンベールであれ、七足す七は十四に決まっています」
〈じゃ、差額の四割はどこに消えたんでしょう?〉
「何処ってそりゃ、決まっているじゃありませんか」
お偉方二人が坐った目つきでクツクツと喉を鳴らして嗤う。
陪席者三名は声もなく怯えた。
〈ル・フェーヴルですね?〉
「我々の呼ぶところの法安徳です」
〈あの小男、まさか横領ですか――〉
雪衣が椀の茶を飲み干し、ダンと叩きつけるように置く。「領事、そうなりますと、あの師範の証言になんかボウフラ一匹ほどの重みもありませんよ? 私利私欲で横領なんかする輩が身内の過失だか犯罪だかを正直に報告するもんですか」
〈全く持ってその通り。私もそう思います〉
シャルダン領事がうなだれながら応え、不意に立ち上がったかと思うと、背筋を正して双樹下風に深々と頭をさげた。
〈判官、申し訳ない。我々の同国人があなたの国に対して卑劣なふるまいをした〉
「領事、顔をあげてください。あなたが謝る必要はありませんよ」
〈ありがとうございます。しかし、ル・フェーヴルが信じられないとなると、首都にある製造番号はどう確かめればいいのか――〉
〈領事、私とアンリを早めに向かわせるわけにはいきませんの?〉と、玉夏が控えめに申し出る。
そのとき、外から扉が叩かれた。
一同がびくりとする。月牙は咄嗟に箙を下ろすと、刀とともに長いテーブルクロスの掛かった円卓の下へと押し込んだ。
直後に領事が命じる。
「少尉、開けてやってくれ」
この場所はル・メール邸である。来訪者を招き入れるのはアンリでなければ不自然だ。
「いかがした蓮々、新たなお客人かの?」
アンリがぎこちなく笑いながら扉を開ける。
外に立っているのは勿論小蓮だった。来客対策なのか、出たときには背負っていたはずの箙が背中に見えない。
「領事様、外にお使者が」
〈使者、領事館からの?〉
「はい。武具をおもちで、アンリ様と同じ装束をお召しです」
〈領事館付きの陸軍少尉か。たぶんディランだな。彼は何と?〉
「色々仰せでしたが、私に聞き取れたのは〈領事を呼んでくれ〉とだけ。それから――」と、小蓮は一瞬口ごもってから続けた。
「お手に、白鷺の羽矢をもっておいででした」
「羽矢?」
月牙は思わず問い返した。小蓮がこわばった顔で頷く。領事は雪衣と顔を見合わせ、数秒無言で眉を寄せ合っていたが、ややあって頷いた。
〈分かった。ともかく会ってみよう。――マダム・ル・メール、どうかドアを開けたまま、いかにも楽しい御茶会らしく歓談なさっていてください〉
〈できるかぎり、やってみますわ〉と、玉夏が引きつった顔で応え、わざとらしいほど明るい声で揚げ菓子の作り方を説明し始めた。
領事がまた頷いて階段を下り、玄関扉を開けて外へと出て行った。
ちらりと見えた玄関前に、リュザンベール軍人らしい青い上着が見えた。
玉夏によるタゴール風ひよこ豆の揚げ菓子の説明が終わって、月牙がうろ覚えの胡麻団子の製法の説明にとりかかったとき、シャルダン領事が白い羽矢を手にして居間へと戻ってきた。
〈使者はひとまず帰しましたから、どうかご安心を。判官、これを見てください〉
と、雪衣に羽矢を差し出す。
「これを、領事館からの使者が?」
〈ええ。持ってきたのは領事館付きの陸軍少尉です。彼が言うには、今まさに陸門をサールーン人の武官が訪れて、〈租界の客人に渡せ〉とこの矢を託してきたのだそうです〉
「租界の客人――とは、私たちを指すのでしょうか?」
〈分かりません。しかし、これはあの名高いサールーンの女兵士の白い羽矢――あなたがたの武芸妓官の羽矢ですよね? どうです判官、本物だと思いますか?〉
後ろ手にドアを閉めながら雪衣へと差し出す。
「そんなこと私に訊かれたって分かりませんよ。餅は餅屋です」
雪衣は受け取るとすぐに月牙へ手渡した。領事が眉をあげる。
月牙は領事のあの観察するような視線におなじみの苛立ちを感じながら、手渡された羽矢を隅々まで確かめた。
「柘榴庭、本物か?」
「ええ判官様。――小蓮、自分の箙を持ってこい。矢の数を確かめるんだ」
「はい頭領」
小連が階下に駆け戻って、台所に隠してあったらしい箙を持ってくる。
他の三人が注視するなか、二名の妓官は絨毯の上に膝をつき、各々の箙から矢を引き出しては数えながら床に並べた。
一本。
二本。
三本。
数えながら、月牙は不意にこの数がずっと終わらなければいいと思った。このひと時の平穏が、このままずっと終わらずに続いてくれればいい――
--しかし、もちろん矢はすぐに数え終わった。
「二十本すべてあるようです」
「私も、です」
「となると、この海都にもう一人別の武芸妓官が来ているということになる?」
「そうなるね。しかし、何のために? そもそもどうして我々が租界にいると分かったんだろう?」
「そこはいま考えたって仕方ないよ」と、雪衣が肩を竦める。「ともかく行ってみよう」
「一緒に来るつもりなの?」
「もちろん」
〈少尉、君も行け〉
シャルダン領事がひそめた声で命じる。玉夏が急須を手にしたまま不安そうに立ち尽くしている。箙に矢を戻しながら、月牙は今しがたまで存在していた欠けのない小世界が音を立てて砕けてゆくような気がしていた。
「――玉夏さま、お世話になりました」
雪衣に続いて部屋を出たとき、背後から小蓮の泣き出しそうな声が聞こえた。
「小蓮、息災での。つつがなく務めを果たせよ」
玉夏の柔和しい声も聞こえる。
雪衣は全く振り返らずに階段を下りていたが、玄関の前で足を止めると、やおら背後を振り仰いで叫ぶように言った。
「領事、何が起こっているにせよ、七足す七が十四であることだけは間違いありません! 私は諦めませんからね! あなたも諦めないでください!」
叫びの後すぐには答えが返らなかった。雪衣が泣き笑いのような表情を浮かべてドアに手をかけたとき、
「――判官様、領事が分かったと仰せじゃ!」
玉夏が上から泣き声交じりに答えた。




