第五章 謎解きは茶碗とともに 四
私はとてもレトリバーが好きです
ル・メール少尉の妻は華玉夏といった。タゴールのアムリット生まれの双樹下人で、夫ともども通訳を務めるためにこの頃海都へ呼ばれてきたのだという。
夫妻の通訳を介して雪衣が現状を説明する。
「――我々にとっての事件の発端は、初夏月上旬に、外宮外砦門を警備する若い武芸妓官の一人が、タゴール人のルーシャンと名乗る男に騙され、婢三人を連れて駆け落ちしたことでした」
〈その若い武芸妓官が後宮内に不審人物を引き入れ、彼がひそかに仕込んでいった毒物が後になって発見されたと。そのような理解ですか?〉
「ええ。その通りです。ここまでの推理に何か矛盾を感じますか?」
〈いえ特には。仮定としては十分ありえると思います。その若い武芸妓官の名は?〉
「京洛生まれの呉翠玉といいます。没落した良家の娘で、生家は醜聞を嫌って内宮上層部に賄賂を送り、後追いで正式に宿下がりを請うという形で駆け落ちの事実を隠蔽しました」
〈すると、その駆け落ちの記録は公文書には残っていないのですね?〉
「ええ。単なる正式の宿下がりと記されているはずです」
〈しかし、本当は駆け落ちだった〉
「その通りです。結論から申しますと、呉翠玉はこの海都にいました。タゴール人のルーシャンは、翠玉が可愛がっていた婢三人を無断で奴隷として売り、翠玉だけを連れてタゴールへ密航しようとしたのです。翠玉はそれに気づき、婢たちを守るためにルーシャンを殺しました」
〈若い娘が、自分の駆け落ち相手を?〉
「若い娘にだって良心はあるのですよ。我々にとって重要なのは、この死んだルーシャンがマスケットを持っていたことです」
シャルダン領事が目を瞠る。
〈それが、あなたがたの持参した証拠品なのですか?〉
「ええ」
雪衣は頷いた。「柘榴庭の話では、今この国に出回っているマスケットなる武器は、皆すべてあなたがたリュザンベール人を介して入手されたものなのでしょう? ならばあの武器の出所を探れば、この冤罪事件の背後にいる何かに繋がるはずです。私はそう考えました」
〈なるほど――〉
領事はしばらく無言で考え込んでいたが、じきに口を切った。
〈その呉翠玉という娘は、今は何処にいるのですか?〉
「艀に残してあります。呉翠玉は二人の婢と一緒に、その、まあなんです、古着の買取と修繕みたいな仕事を始めてこの街で生計を立てています。あの娘を公の裁きの場に引き出すのは、できればやめて欲しい」
〈なぜです?〉
領事が訝しそうに訊ねる。
途端、思いがけず玉夏が眉を吊り上げた。
〈お言葉ですけど領事、そんなの当たり前でしょ? かわいそうに、自分の女中を守るために駆け落ち相手を殺した若い娘ですよ? 公の席になんか出したら見物人がどんな目で見ると?〉
〈全くです。一度は道を誤ったとしたって、今は自分で働いて身を立てようとしているんでしょう? そんなけなげな良い子を証言台に引きずり出して辛い話を繰り返させるなんて! ラウル、友人として言わせてもらいますけどね、いくら法律のためであれ、それはあんまり情のないやり方ってもんですよ!〉
善良そのもののレトリバーみたいなル・メール夫妻が両側から涙目で咎めたてる。
領事はふてくされた顔をした。
〈分かった、分かりましたよ! 三対一じゃ私に分が悪い。その娘については、情を知る皆さまがたの希望通りできるかぎりは表に出さない方針でいきますよ。で、マスケットのほうは?〉
「そちらも艀に残してあります。ところで領事、もうひとつお願いがあるのですが」
〈なんでしょう〉
「我々を伴ってきたタゴール人水夫はカピタンと名乗っています。この海都でいろいろと後ろ暗い仕事に手を染めている男ではありますが、我々にとっては恩人です。報奨金はどうか払ってやって欲しい」
〈ああ、それは勿論です。少尉、ご苦労だけど使い走りを頼むよ。金はすぐには払えないから、とりあえずは私の署名入りの手形を渡しておいてくれ〉
〈承りました〉
領事が小さな円い卓子の上に背を屈め、羽つきの筆をサラサラと動かして紙片に何かを書きつけた。書類仕事に慣れ切った官吏の手際だった。