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後宮生活困窮中   作者: 真魚
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第五章 謎解きは茶碗とともに 三

 アーチ状の門を抜ければその先は租界だった。

 石畳の街路の左右に赤レンガ造りの二階家が並んでいる。

 中央の大辻を右手に折れると、道の左側に沿って黒い鉄の柵が設けられていた。柵の内側にひときわ大きな建物が見える。

〈領事館ですよ。ル・メール邸はこの裏手です。マダムたちはお疲れでしょうから、まずは御親戚と対面して、ル・メール邸でゆっくりお休みなさるのがよろしいでしょう〉

 領事が月牙たちには分からない言葉でしきりと何か話している。道の向かい側を歩いてくる薄紅色の日傘の肥った法狼機の老婦人が、足を止めてこちらを眺めているのが分かった。



 そこから幾度か辻を折れて導かれていったのは、両隣と寸分変わらないように見える幅の狭い赤レンガ造りの二階家の前だった。

 入り口に三段の石の階が設けられ、上に黒い木の扉がある。

 階を上っていったのはル・メール少尉だった。自然な仕草で扉をあけながら呼ばわる。


〈おーい玉夏、ちょっと来てくれ、お客様なんだ〉


 入れば中は赤い絨毯を敷き詰めた方形の一間だった。左右に一間ずつ板の間が見え、正面に黒木の階段がある。扉が閉まるか閉まらないかのうちに、右手の板の間の奥から鈴を転がすような女の声が返ってきた。


〈はいはいアンリ、ちょっと待ってくださいな、今パイ生地をね――〉

 

 明るい声で応じながら現れたのは、青地に黒の格子縞の法狼機服をまとった黒髪の女性だった。髪形も服装も法狼機人のようだが、肌の色や顔立ちは双樹下人のようだ。年頃は月牙と同年配に見える。鼻のあたりに雀斑の散った幅の広い顔は美しいというよりもとても感じがよい。短めの鼻の頭に小麦粉とおぼしき白っぽい汚れがついている。女性は領事を見とめるなりキャッと声をあげ、粉のついた手でパタパタと裳裾を叩いた。

〈え、あら、領事? あらまあどうしましょ、私こんな粉だらけで〉

〈マダム・ル・メール、すみません、お忙しいところに〉

 領事が笑顔で応じる。

〈野ばらのように愛らしいあなたと久々にお会いできて生き返る思いですよ。実はあなたに会っていただきたいお客人がいらっしゃいましてね。こちらのマダムはあなたのお知り合いですか?〉

 シャルダン領事が月牙を見やる。

 女性は――マダム・ル・メールは、月牙を見上げるなり目をしばたかせた。

〈どうです。御親戚ですか?〉

〈親戚、いえそんな、とんでもない〉と、マダム・ル・メールが粉まみれの両手を振り回す。〈わたくしども華一族がこのサールーンを離れたのは曾祖父の時代ですからね、こっちに親戚がいるかいないかももう分かりませんよ〉

〈では、この方はあなたの御親戚の宮廷女官ではないのですね?〉

〈もちろん違いますとも〉と、マダム・ル・メールがあきれ顔で応じる。〈もし親戚がいたとしたって、そんなご立派な親戚がいるとは思えません。自慢にも何にもなりませんけど、華家のひいおじいさんは賭博で一山当てた青物売りだったんですから〉

〈それでアムリットの華一族の祖となられたのですから、まさに幸運の女神の前髪をはっしと掴まれたのですね。しかし、そうなるとムッシュー・ル・メール――〉

 と、シャルダン領事は芝居ががった仕草で顎に手をあてて訊ねた。

〈結局こちらの月と狩りの女神のごとくお美しいマダムは何者なんだい? ずいぶんと秘密めかして引き合わせてくれたようだけれど〉


 ル・メール少尉は一瞬ためらってから答えた。

〈真偽のほどは知れませんが、ご本人は、王太后宮にお仕えする経理官だと名乗っていらっしゃいます。この国の言葉でいうところの「主計判官」さまです〉



〈――主計判官?〉

 シャルダン領事は瞠目した。

〈それはつまり、例のジュヌヴィエーヴ王妃毒殺未遂の容疑をかけられている三人組の女官の主犯格ということ?〉

〈ええ。ご本人は冤罪だと仰せです〉

〈それで私のもとに? それはまたずいぶん思い切った賭けに出るマダムだなあ〉

 領事が肩を竦め、閉ざされた玄関扉の前に並んだ女官三人へと目を向けた。

 月牙は咄嗟に雪衣の前へと進み出て、布を巻き付けて日傘のように偽装した刀を杖のように構えた。

 領事がすっと目を細めると、まっすぐに雪牙を見やって訊ねた。

〈あなたが主計判官?〉

「然様」

 雪衣が頷いた。

「柘榴庭、控えよ」

「は、判官様」

 敢えて恭しく応じて右へとよけると、小蓮が自然に左へ並んだ。

 左右に二人の妓官が並ぶと、雪衣がすっと背筋を正した。

 雪衣が堂々と足を踏み出した。

「リュザンベールの領事よ、御自らの出迎えかたじけない。卑官、趙雪衣と申す。双樹下国桃梨花宮内宮北院主計所の判官を拝命している。このたびは新梨花宮における正后様への毒殺未遂の真犯人に繋がると思われる証拠の品を持参してきた。御身を廉吏と見込んで公正な裁きを期待する」

 古雅な口調でゆっくりと述べ、両掌を胸の前で重ねて深々と腰を折る。

 今まで幾度も繰り返してきたのだろうと思われる、流れるように流暢な仕草だった。

 マダム・ル・メールが口元に手を当ててほうっとため息をついた。

〈領事、わたくしには巧く訳せませんが、こちらの御方は間違いなく主計判官様だと思いますよ。とっても優雅に名乗っていらっしゃいますもの!〉

〈私も同感です。冤罪を晴らすための証拠の品をお持ちだそうですよ〉

 ル・メール夫妻が太鼓判を押す。領事は頷いた。

〈あなたがたの判断を信じましょう。では改めて判官、もう少し詳しい話を伺いたい〉

〈わたくしは外しましょうか?〉

〈いえマダム・ル・メール、できればあなたは判官の話す言葉をリュザンベール語に訳してください。少尉のほうが私の話すのをサールーン語に――あ、そうだ、叱られる前に確認しておかないと。アンリ、君の大事な奥方をキナ臭そうな事件に巻き込んでしまってもいいかな?〉

〈そういうことは本人に訊いてくださいよ〉と、ル・メール少尉が呆れ声で応じた。


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