第四章 身を持ち崩した女たち 十二
と、それまで黙って聞いていた天翔が口を挟んだ。
「なあ頭領、判官様、何だかよく分からねえんだけど、要するにあんたたち、俺たちのマスケットを証拠品として持っていっちまうってことか?」
「そのつもりだけど」
雪衣が小首をかしげる。「何かまずいかな?」
「何もかもまず過ぎるよ!」
天翔が噛みつくように言い返す。「さっきも言った通り、小姐はカピタンから一派を預かっているんだ。カピタンは小姐もマスケットも自分のものだと思っているってこった」
「え、姉さんまさか」
「手下って意味でだよ!」と、天翔がまた噛みつく。
「そこは大問題です」と、翠玉も顔を曇らせる。「カピタンはわりとおおらかで親切なところもあるけど、カピタンなりの作法があって、それに逆らうとお終いなんです。預かり物のマスケットを勝手に他所へやったなんて知れたら、私たち全員殺されたっておかしくない」
「筋は通っている気もするけど、恐ろしい作法だねえ」と、雪衣が嘆息する。「そのカピタンとじかに交渉できるかな?」
「雪、まさか直接会うつもりなの?」
「決闘だったら月だけどさ、交渉だったら私の領分でしょう?」
「いくら何でも危なすぎるよ。ほかの手を考えるべきだ」
「他ってたとえばどんな?」
雪衣が苛立ちぎみに応じる。
そのとき外から阿祥が駆け込んできた。
「小姐、兄貴、大変だよ!」
「何だ阿祥、今忙しいんだよ!」
「だけどほんとに大変なんだ! すぐに来てくれよ!」と、阿祥が息せき切って叫ぶ。「カピタンだ! 外にカピタンが来ているんだよ!」
「え、本人が!?」
天翔が壁際の半月刀を取りながら叫ぶ。翠玉がマスケットに手を伸ばしながら訊ねた。
「お供の人数は?」
「中庭まで入ってきたのは俊永さんだけだけど、兄貴たちが言うには、外に五人は待たせていそうだって」
「分かった。阿祥、すぐに酒の支度を。天翔、お前は念のために女部屋にも報せに行ってこい」
「おうよ小姐」
てきぱきと指示をする翠玉を尻目に、月牙は油火の届かない壁の角へと雪衣を導いていった。
「判官様、どうか動かずに。小蓮、私の隣に」
「はい頭領」
少女が落ち着いた声で応えて月牙の左に並んだ。二階へ上った天翔が戻ってきたとき、戸口から嗤いを含んだ男の声が響いた。
「いよう翠玉――。なんだか賑やかじゃねえか]
声は低く天鵞絨のように滑らかで気だるげだった。前後してぬっと入ってきたのは、一目でタゴール系と分かる濃い褐色の膚をした大男だった。
強い癖のある黒髪を頭頂で束ね、上半身は裸で白い裙を履いている。鮮やかな緑の腰帯に、金鍍金らしい鞘に収まる半月刀が吊るされていた。
逞しい胸には太い金の鎖が掛かって、上腕にも指二本分ほどもある太い金の環を巻いている。厚く盛り上がる右の肩に、不似合いに可憐な赤い五弁花の刺青が施されている。
石竹だ。
「――カピタン」
翠玉がこわばった小声で呼ぶ。
「急のおこしですね。何か御用ですか?」
「そうだなあ。用が無けりゃこんなしけたねぐらには来ねえよ。可愛いお前の顔を見るのは上納金を受け取るときだけでいい」
男は低く喉を転がすように嗤い、室内をゆっくりと眺めまわした。
月牙は昔見世物小屋で見たタゴールの黒豹を思い出しだ。
大きく、逞しく、しなやかな――錆びた鉄の檻に閉じこめられた黒豹。
男の目にはその獣と同じ哀しい狂暴さがあった。
カピタンはそんな目で室内を見回し、月牙たちを見とめて眉をしかめた。
「おい翠玉よう、まさかその小汚え女どもが逃亡女官なのか?」
「その話を何処で?」
「何処ってお前、そこでもかしこでも噂しているじゃねえか。租界の領事が逃亡女官三人の首に懸賞金をかけたってな」
「懸賞金?」
「おう。そっちは知らなかったのか? ええと、あ――俊永、何だっけか、あの一番偉い奴の名は?」
「主計判官だ」
と、大男の後ろに影のように控えていたかなり小さい瘠せ男が答える。カピタンがうんうんと頷いた。「ああそうだ、主計判官だ。その主計判官様とやらの首に銀一〇〇両、それから、武芸妓官だったか? そっちは一人五十両。庶民の小遣い稼ぎにしちゃ結構な額だろう?」
確かにそれなりの額だった。全員合わせれば大型の壺が四〇〇個買える。私たち結構高いなと月牙は思った。しかし、雪衣は不服そうに唸った。
「なんだその半端なはした金は! 西院の内侍の夏の官服三着分程度じゃないか」
「あ――もしかして、あんたが主計判官?」
「ああ」雪衣が頷く。「そなたが石竹団の大頭目なのか?」
「そうだ。後宮からの逃亡女官ときたら、うちの可愛い翠玉のところに逃げてきているんじゃねえかと思ってな」
「ご名答だが、海都全域に名高い密航組織の首魁が、まさかそんなはした金のためにわざわざ我々を捕らえに?」
「いいや」カピタンが満足そうに笑う。「正直、俺もそんな金はどうでもいいんだがな、今のうちに法狼機と繋ぎを着けておきてえんだよ。この先もっと沢山マスケットを手に入れたとき、火薬が買えねえと困るだろ?」
カピタンが翠玉の手許の銃を見てスッと目を細める。崖際で震える獲物を見る肉食獣の愉悦の顔だ。翠玉の手が微かに震える。
「では、そんなはした金のために、私の客人を引き渡せと?」
「お前の、じゃねえ。俺に無断でお前が勝手に匿った大罪人の客人だ」
カピタンが唸るように言って翠玉に向き直る。
「懸賞金がかかったとなったら、お客人のことは他の連中も血眼で捜しまわるだろうさ。人買いの元締めだの木場の筏乗りだのもな。石竹団の名で一度匿った客人を他所に取られたとなったら俺の面目は丸つぶれだ。そういうとこ、お前分かっていねえだろう?」
「カピタン、今回は大目に見てくれよ!」と、天翔が果敢に口を挟む。「なんていったって小姐は良家の生まれなんだ。知らずにやっちまったんだから仕方ないだろう!」
「黙れ天翔。俺は翠玉に話しているんだよ」
カピタンが煩そうに応じ、まるで蠅でも払うような無造作さで、拳を握って天翔の頬を殴りつけた。
背は高いもののまだ華奢な少年の体がどうっと横に倒れる。
翠玉は一瞬だけ全身を強張らせたが、視線は向けず、唇を結んでまっすぐにカピタンを見上げていた。
「大体なあ天翔、翠玉は確かに世間知らずだが、お前は違うだろう? 俺が何のために可愛い翠玉にお前をつけていると思っていやがる? こういう勝手をさせねえためだろうが。お前がきっちり補佐しろよ。役に立たねえやつだな」
カピタンが忌々しそうに舌打ちをし、起き上がろうとした天翔の襟首をつかみ上げる。そのとき、雪衣が月牙の背後から小声で囁いた。
「――柘榴庭、私を逃がすふりをしろ」
「ふり?」
「ああ。ふりだけでいい。一時的でいいから、あの男を押さえて話をさせてくれ」
「承った」
公の口調で命じるということは、仔細は訊くなという意味だ。
月牙は浅く息をついてから、刀を抜きがてら大声で呼ばわった。
「おいカピタン! そんな子供の相手をしていて楽しいのか!?」