第四章 身を持ち崩した娘たち 六
大まかな話し合いの結果、浮街にはやはりまず月牙だけが行ってみることになった。
箙も弓も背負わず、刀は腰に吊るし、老李に借りた編み笠で顔を隠し、ぼろ布に包んだ緑の法狼機服を携えて堂々と路地裏を出る。
その姿は一見宿駅の武官のように見えたため、近隣住民の大半は単に宿駅の武官だと思った。月牙はそのまま堂々と河津門前の市場をよぎり、外壁添いの街路を南へ進んで木場門へと向かった。
木場門の周りは喧騒に満ちていた。上半身は裸で袴だけを履いた筋骨たくましい若い男たちが、やいのやいのと怒鳴りあいながら、門柱の間に縄を張って赤い提燈をぶらさげている。露台で指揮を執っている翠の袍の若者は何となく見覚えのある肉厚の丸顔をしていた。
小連の報告通り、あの宴席に加わっていた若い趙氏のようだ。
――小蓮、よくやったな。
月牙は内心で讃嘆した。
月牙は露台の下に立つと、一瞬の緊張をやり過ごしてから、できる限り低めの声を拵えて呼ばわった。月牙の声は女声としては低い。声で露見するかどうかは――五分五分の賭けといったところだ。
「小趙、通してくれ、木場に用があるんだ!」
「ん、誰だい?」
若い趙氏が訝しそうに顔を向け、月牙の姿を見とめて首を傾げる。
「ええと――宿駅の武官どのですか?」
「見れば分かるだろう!」月牙はいかにも苛立ったような声で応え、ええいままよと覚悟を決めて編み笠を外してみせた。
途端、若い趙氏の黒目がちの目が見開かれる。
「え――」
「――さっさとしろ!」
余計なことを口走られる前に月牙が怒鳴りつけた。「若造、お前は中南門筋の趙家の一族だろう? 官の威光に逆らって〈雪姉さん〉をかばい立てする気か?」
趙家で耳にした呼称をわざと声高に告げるなり、提灯を釣る手をとめて耳をそばだてていた若い衆たちがいきり立った。
「おい余所者、義春さんになんて口ききやがる!」
「若旦那、この北夷やっちまいますか?」
「いや駄目だ。役人は役人だからな」
若い趙氏--名は義春というらしい――が、ぎこちない声で制止すると、月牙をつくづくと眺めてから、きっと唇を引き結び、こちらも覚悟を決めたような声音で命じた。
「通してやれ」
若者たちの焼けるような敵意をはらんだ視線を感じながらアーチ状の門を抜けると、外は方形の広場だった。ジメジメとした土のままの広場の左右に高床小屋が並んで、階の下に褐色の膚を晒した半裸の男たちが腰掛けている。むっと鼻を突く異臭は腐った材木の臭いだろうか? 心持ち笠を深くして広場を抜ければ、左手に広がる水面の一面をチーク材の筏が埋め尽くしているのが見えた。
こちらが木場だろう。
そして右側は――
「……浮街か」
月牙は口の中で呟いた。
右手に見えるのはドロッと淀んだ赤土色の濠のような水面だ。
小舟の上に板を被せた浮橋が三か所に掛かっている。橋の向こうに見えるのは板屋根が無秩序に重なり合う貧し気な街区だ。それぞれの橋の左右に赤っぽい燈が見える。提灯が吊るされているようだ。
月牙がとりあえず真ん中の橋へと向かっていると、背後から女が声をかけてきた。
「お兄さん、浮街へ行くのかい?」
「ああ」
答えながら振り返れば、丸顔に厚化粧を施した小柄な小娘が立っていた。色あせた赤い衣の合わせ目からまだ小さな乳房がのぞいている。
小娘は痩せた腕に花かごを抱えていた。薄暗がりでよく見えないが、様々な色合いの花が収められているようだ。
「花は要らないの?」
「そうだな、石竹はあるか?」
「あるよ。もちろん。銀一匁だよ」
「ずいぶん高いな」
「いらないの?」
「いや、もちろんいるさ」
趙大人が壺に収めて持たせてくれた虎の子の路銀の一粒と引き換えに、萎れかけた赤い石竹の花を手に入れる。そして改めて浮橋へと向かった。
この先が浮街だ。