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後宮生活困窮中   作者: 真魚
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第四章 身を持ち崩した女たち 四

 逃亡女官たちにとっては幸いなことに、その月は双樹下暦の第八月――中夏月上旬の第三日目だった。

 翌旬五日から三日間、国中のどこでも祝われる夏の祖霊(サルウ)祭が始まる。双樹下人の多くは――務めの都合が許す限り――この時期には故郷に帰って、同じく黄泉からひと時戻る祖霊の魂に酒食を捧げて歌舞音曲を楽しむ。そのため、海都のような大都会には、この時期はかなり多くの旅芸人が訪れてくるのだ。

「ウチに転がり込んでいるのは芸人だよ。祖霊祭の中日に内門筋のお大尽のところに招かれているのさ」

 老太婆のそんな雑駁な説明も、こと、この時期の海都であったらそれなりの説得力を持っていた。近隣住民は――法狼機服の月牙を横目でチラチラと眺めつつも、とりあえずは納得してその場から離れてくれた。


「ありがとう老太婆。実に賢いやり方だね」と、雪衣が感嘆しきりといった面持ちで礼を告げる。「老李も面倒をかける。すまないけど、しばらく軒を貸してもらうよ」

「判官様、もったいないことです」と、老李が畏まる。「どうぞご遠慮なく。はばかりながら趙大人からちょっとしたお銭も貰っておりますんで」

「お銭をもらっちまったんなら、ま、仕方ないね」と、老婆がちっぽけな肩を竦める。「祖霊祭までなら匿ってやるよ。お祭りが始まると、こんなあばら家にだって帰ってくる子どもらがいるんだからねえ」

 そう言って皴深い目を細める。

 ああ母親の顔だと月牙は思った。すると、唐突に故郷の父母や兄のことが思い出された。ふと見ると、傍らの小蓮が肩を落としてうなだれていた。月牙は慌てて頭領らしい表情を取り繕うと、小さな肩を軽くたたいてやった。

「孫小蓮。しゃんとしろ。私たちは妓官だ。そのことを忘れるんじゃない」

「――はい頭領」

 少女は真摯な小声で答えた。



 さて、翌旬の初日――


祖霊祭を二日後に控えて、夏の盛りの袋小路はうだるように暑くなっていた。

どこかの庭先で蝉が鳴いている。

その道を、長身痩躯と小柄で小太り、対照的な二人の宿駅の武官が肩を並べて歩いている。

カジャール系の顔立ちをした長身の一方がマスケット銃を携えている。年のころは三十前後か、苦み走ったそれなりの男前だ。小柄なほうはポチャっとした色白で、額からだらだら垂れる汗をえくぼのある拳でしきりと拭っている。


「ああ暑いあつい、たまりませんね。駅長もあんまり横暴ですよ、この暑いのに毎日四回の臨時巡回なんて! ねえ火長、逃亡女官の主犯は中南門筋の趙家の出身なんでしょう? なら木場門の周りだけ見張っておけばいいでしょうに」

「まあそう言うな子明」と、長身の火長がくたびれた声で応じる。「材木商組合が本気で木場門を封じる気がサラサラないのは確かだが、あそこから出たって外には木場と浮街しかないだろうが」

「浮街に出りゃ国外へ密航できますよ?」

「常日頃土も踏まずにお暮しの主計判官さまが貧民街から密航ってのは幾らなんでも無理がある。逃げるとしたらおそらくは河東だ。こっちの警戒が緩むまで潜伏してから河東行きの船に乗り込む。それが一番ありそうな筋だ」

「それはそうかもしれませんけどね、例の壺売りに居ついている三人とやらは、噂通り単なる旅芸人ですって。逃亡中の武芸妓官がわざわざ羽矢を背負います? どう考えたって不自然すぎますよ」

「俺だって不自然だとは思うが、聞こえてくる背格好が似すぎているんだよ。逃亡女官三人の特徴、お前覚えているか?」

「もちろんですとも。主計判官さまは中背で地味な寡婦みたいな拵えだけど、結構目に付く年増の別嬪。妓官の頭領はカジャール系で男に見まがう長身痩躯だけど、これもよく見れば結構な器量よしの年増。もう一人の妓官はわりと可愛い十二、三の小柄な小娘でしょ? 年増の別嬪二人に可愛い小娘一人。一緒にいたら相当目立ちそうですよね」

「そうだ。まさにそういう三人連れが居ついているとなったら確かめないわけにもいかないだろうが」

 目的地は袋小路の突き当りだ。

 板壁の木戸は低いため、火長は伸びあがらなくても庭を覗けた。子明も爪先立てば何とか伺える。

 子明はしばらく必死で爪先立ってから、じきに失笑した。

「なんだ、やっぱり旅芸人ですよ」



 庭にいたのは女だった。

 大きすぎる白い衣に短すぎる白い袴で男装してはいるものの、曲線的な躰の線は何処からみても女だ。それが羽矢の箙を背負い、括れた腰に革帯を巻いて、刀ではなく箒を振り回しながら一生懸命拙い剣舞の練習をしている。大きな眸と長い睫、ふっくらした唇と、顔立ちはかなり華やかだ。その顔に施した化粧が汗で崩れている。

 踊りの練習をするのに何故ああこってり化粧をするのか?

 見るからに頭の悪そうな女だ。


 木戸から覗く武官たちに気づくと、女は動きを止め、はにかんだような笑みを浮かべて小首をかしげた。

「あれえお役人様方、またご詮議ですか?」

「あ、ああ、まあな」

 火長が狼狽えながら頷く。「よく詮議をされるのか?」

「そうなんですよう」と、女が眉をよせ、ふうっと息をついて額の汗を拭う。上衣の大きさが合っていないため、襟が大きく広がって汗ばんだ鎖骨が見える。女は気にも留めずに歩みよってきた。

「この頃ね、何処へ行っても止められちまうんですよう。その矢は本物かって」

「本物では、ないのだよな?」

「嫌ですようお役人様、これはアヒルの羽根ですよ。武芸妓官様の出てくるお芝居はどこでもよく当たりますからねえ」

 女は間延びした声で答えてコロコロと笑ったが、不意に真顔になると、睫をパチパチさせながら火長だけを見あげて訊ねた。

「ねえねえお役人様、武芸妓官様が西域の妖術師と諮ってお后様を殺そうとしたっていうのは本当なんですかあ?」

「いや、ちょっと違うな」と、子明が割り込んでくる。「あの女どもはね、怖ろしいことに、ハルサーバード在住のヴァイセンブルグ領事の密命で、リュザンベールご出身の正后様を殺そうとしたんだ」

「ハルサ? ヴァ? なんだか難しいお話ですねえ。それみんな西域のお国の名前なんですか?」

「西域なのはハルサーバードだけで、ヴァイセンブルグとリュザンベールはどっちも法狼機さ」

「へええ、お役人様よく知っていなさる。お若いのに学がありなさりますねえ」

「なあに大したことじゃないさ。なんでもね、新梨花宮からの訴えで兵衛が旧後宮を探索したら、ハルサーバード出身の薬師が調合していった正后様のお薬に混ざっていたのと同じ莨菪根(ロートコン)が見つかったらしいよ」

「おい子明、話し過ぎだ!」と、火長が焦って制止する。「大姐、忘れてくれ。念のため通行手形を――」

そのとき高床小屋の中から低くかすれた男の声が怒鳴った。



「麗明、酒がもう無えぞ!」



 途端、女が怯えた顔をする。

 一拍置いて役者みたいな色男が階を下りてきた。

 汚れた白い上衣に短すぎるほど短い色褪せた藍色の袴を履き、寝乱れた艶やかな黒髪を無造作に束ねている。

 鼻梁が細く眼窩の深い、息をのむほど美しい顔立ちをした男だ。火長と同じくカジャール系の顔立ちだが、系統以外何も似ていない。


 色男は木戸の武官たちに気付くなり、不機嫌そうに眼を細めた。

「あ、お前様、違うんだよ、このお人らはね」

 女が怯え切った声で言い、役人二人にお辞儀をしてから小屋へと駆け戻っていく。色男は僅かに顎をあげて眺めていたが、女が近づくなりグイと抱き寄せて階を登っていった。


「…………」

 残された武官二人は顔を見合わせた。

「ええと、今の色男はカジャール系、でしたよね?」

「見るからにな。俺と似ているだろう」


 子明はしばらく黙ってから気を取り直したように続けた。

「あの大姐は、中背ではありましたね。まあまあ別嬪ですし」

「もうちっと化粧が薄けりゃな」

「小娘も確かめますか?」

「いや」

 火長はため息をついた。「必要ないだろう。俺たちが捜しているのは女の、三人組だ」

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