第四章 身を持ち崩した娘たち 三
陶器売りの老人は人目を避けながら、月牙たちを河津門の近くの路地裏まで導いていった。
低湿地らしく小石を敷いた袋小路だ。
突き当りの木戸を潜ると横長の高床小屋がある。床下に沢山の陶器が積んであった。
「判官様、妓官様、おあがりくださいませ。むさくるしい処でございますが」
階段を上ると板の間の隅に藍色の小さな塊が見えた。
小柄な老婆がうずくまるように坐って、小さい白い陶器の椀の罅割れを修繕している。
老婆は法狼機服の月牙を見るなりあんぐりと口を開けた。
「あ、あんた、そのご立派な太太は」
「婆さん、話は後だ。このお人らは儂の恩人でな。今大層困っていなさる。耳目を避ける話があるから、ちっと外を見回ってきてくれ」
「見回るって、そんなに危ない話なのかい?」
老爺は老婆が戻るのを待たずに籠を降ろすと、中から継の当たった大きな壺を取りだした。小蓮が眉をあげる。
「あれ、その壺」
「修理してくれたのか?」
「ええ判官様、私はまっとうな陶器売りですからね。お銭を頂いたのに割れた壺なんぞお売りできませんよ」
得意そうに言いながら老人が壺から取りだしたのは、白鷺の羽根矢を挿したままの一対の箙と、衣類が包まれているらしき二つの包だった。
「これは、我々の?」
「ええ妓官様。趙大人からお預かりいたしました。こちらの包みは路銀だそうです」
「ご老体。恩に着る」雪衣が頭を下げる。「今さらだが、名を聞いていいか?」
「李と申します」
「そうか。老李、本当に恩に着る。ところで、我々が何故追われているのか、趙家から何か聞いていないか?」
「いえ判官様、生憎と何も」
「ああ、それならあたしゃ聞いていますよ」と、いつの間にか戻ってきていた老婆が口を挟む。「その前に、そっちのご立派な太太が後宮の判官様で、小姐たちは護衛の妓官様なんだね?」
「いや老太婆、我々は逆で」
「月、そこは今どうでもいいだろ」雪衣が呆れ笑いを漏らす。「その通りだ老太婆。我々三人は桃梨花宮の官吏だ。桃果殿様の御用命で海都を訪れていた」
雪衣が答えるなり老婆が眉をそばだてた。
「そのご用命ってのは、西域からお銭を受け取ることかい?」
「あ、ああ、まあそうだが」
雪衣が戸惑い気味に答える。
途端、老婆がぎりぎりと眉を吊り上げるなり、壁際に走って包丁に手を伸ばした。月牙は小蓮の手から刀の包を奪うと、解いて一振りを抜き、もう一振りを小蓮に投げ渡しながら命じた。
「雪、壁際に! 小蓮、判官様の前に!」
「はい頭領!」
妓官たちの動きは数秒だった。箙を抱えた雪衣が壁を背にして立ち、その前に月牙と小蓮が並ぶ。老婆が包丁を両手に構えて怒鳴った。
「この獏連女ども、今すぐ家を出ていけ!」
「ば、婆さん声が高い、判官様に何を!?」
「判官様だが何官様だか知らないがね、わたしゃ聞いたんだよ。宿駅の厨づとめの娘っ子たちが話していたんだから間違いない。この女どもはね、こともあろうに主上の御子をお宿しになった正后様を妬んで、西域の妖術師と手を組んで、正后様のお薬に毒を盛ろうとしたんだと!」
老婆が肩をブルブルと震わせて叫んだ。
老李が青ざめる。「ええ、毒? 判官様が?」
「そうだよあんた、こぎれいな顔に騙されちゃいけない。こいつらは後宮の女狐なんだよ!」と、老婆が唾を吐く。
月牙は小声で訊ねた。
「雪、逃げるか?」
「いや、話をする。何が起こっているのか、もう少し情報を集めないと」
妓官二人が刀を向けているというのに、老婆は一歩も引かずに包丁を構えていた。滅茶苦茶な構えではあるものの気迫は十分だ。雪衣がまっすぐに老婆を見ながら口を切った。
「老太婆、それは根も葉もない流言だ。我々は」
「黙りな、ネタはあがっているんだ」
老婆が伝法な口調で遮る。「西域人の会所に出入するライチー売りから聞いたんだから間違いない。お前たち、会所から手形で頭人さまが魂消るほどべらぼうな額のお銭を引き出したって話じゃないか。たんまりお銭を抱えてこれからトンズラって腹だろうよ! お人好しで間抜けなうちの壺売りまでだまくらしおってからに!」
「ま、待ってくれ老太婆、その流言はなんだか矛盾していないか?」
雪衣が狼狽えながらも反論する。
「あぁん、なぁにが矛盾だ?」
「つまりだ、我々が西域の妖術師から毒薬を買ったとするとだ、どうして我々のほうがべらぼうなお銭を受け取っているんだ?」
雪衣が指摘すると、老婆が眉をよせた。
しばらく考え込んでから小首をかしげて呟く。
「あれ? そういえば変だねえ」
「だろう、変だろう?」雪衣が泣き咽びそうな声で応じる。老婆が包丁を握ったまま考え込む。
「すると――あんたたちのほうが妖術師から後ろ暗い仕事を頼まれたって訳かい?」
「いや、何も後ろ暗くはない。あの金銭の送り主は妖術師ではなく真っ当な薬種商人で、報酬ではなく祭のための寄進だ」
「祭?」
「媽祖祭だ。今年は大祭だから、王太后様が河上の大社までお出ましになるんだ」
「ああ、華やかな行列なんだってねえ。死ぬまでに一度は見てみたいもんだ。じゃ、それを後ろ暗いってことにして、誰かがあんたたちに濡れ衣を着せたってことかい?」
「そうなるね」
「あんたたち、敵は誰なんだい?」
「それが分からないんだよ――」
老婆は非常に論理的だった。雪衣が真剣な顔をして考え始める。小蓮が額を押さえて呻いた。
「ねえ頭領、雪衣様と老太婆はなんだか分かり合っていますけど、私にはまだ何が何だかよく分からないんですか」
「安心しろ小蓮」
月牙は請合ってやった。「考えるのは妓官の仕事じゃない」
そのとき小屋の外でガタリと音がした。
月牙は一瞬で全身が引き締まるのを感じた。
「――小蓮、判官様の傍に」
「はい頭領」
「老李、老太婆、もしも武官だったら我々に脅されたと言うようにね」
雪衣が小声で告げるのを聞きながら刀を構え、そろそろと戸口へ寄る。
外をうかがうと前庭にいたのは色の褪めた藍染めの衣をつけた老若七人ばかりの人の群れだった。服装の粗末さからして見るからに近隣住民だが手にもつ品は剣呑だ。先の尖った竹を手にした竹細工師もいれば金槌をかまえた大工もいる。一番恐ろしげなのはおそらくは魚と信じたい鮮血にまみれた前掛けをして包丁を構えた若い妊婦だ。白刃を構えた法狼機服の月牙が現れるなり一同は絶句した。
ややあって、果敢な妊婦がびくびくと訊ねてきた。
「ええとその、太太はどなたさまで?」
「見りゃ分かるだろ、旅芸人だよ!」
小屋の中から老太婆が怒鳴った。「罰当たりにもお后様が毒殺される芝居の稽古をしているんだよ!」




