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後宮生活困窮中   作者: 真魚
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第四章 身を持ち崩した娘たち 二

ようやく謎らしい謎が始まりそうです

月牙の法狼機服が効を奏したのか、門衛は何も言わずに三人を通した。

 門の内の町並みは風変わりだった。ほとんどの家が赤いレンガ造りの二階建てで、窓枠が白く屋根瓦が黒っぽい。道を歩いているのは殆どが法狼機人で、たまにいる双樹下人も法狼機風の身なりだ。法狼機人を目にするなり道端によけて頭を低めているところを見ると、みな召使なのだろう。


中央の広い四つ辻に差し掛かったところで、後ろからずっと被さっていた日傘の影が離れていった。振り向けば雪衣が足を止めて左手を見つめていた。

月牙は小声で訊ねた。

「どうしたの雪?」

「外壁が見える」

「え?」

「あの屋根と屋根のあいだ、外壁が見えている。法狼機ども、外壁の一部を壊して居住区を拵えたんだ。海都は円い都だったのに」

 雪衣がうつむいて傘の柄を握りしめる。

「どうしてそんな身勝手が許されるんだ。どうして奴らにだけ」

「雪、落ち着いて――」

 月牙が周囲の視線を気にして宥めようとしたときだった。


 前方からふいにドン、という音が響いた。


 巨大な何かが落下したような、太い竹が突然爆ぜたような、腹の底に重く響く大きな爆発音だ。月牙は咄嗟に雪衣を抱き寄せた。

「――頭領、必要ですか?」

 小蓮が刀の包みを掲げて小声で訊ねてくる。月牙はさっと左右に視線を走らせてから首を横に振った。

「いや。たぶん大したことじゃない。誰も焦っていないようだから」

 そのときまた前方から同じ音が響いた。

 道行く人が足を止め、額に掌をかざして音の向きを仰いでいる。視線の先に石壁があった。

 三階屋ほどの高さのある切り石の壁だ。階段で上まで登れるようになっている。雪衣がしばらく見つめてから言った。

「見に行ってみよう」



 石壁の上部は二丈近くの幅があった。立てば眼下に青々とした川面が見晴るかされる。

「北小江だ」と、雪衣。「右手に見えるのが大橋だ。橋の向こうで大河と合流しているはずだ」

「それじゃ、向こう側の広い水面は?」

「あれは海だよ」

 川に面する壁の端に石の台座が据えられ、上に奇妙なものがあった。

 木製の車のようなものの上に斜めに横たえられた大きな金属の筒だ。口が川のほうを向いている。傍に白っぽく見えるほど明るい色の髪をした法狼機人がいた。門衛と同じような服装だが、青い上着の胸に二列の金色の釦が並んでいるところを見ると、もう少し高位の武官なのかもしれない。

 月牙たちが大筒を見つめていると、視線に気づいたのか法狼機人が顔を向けてきた。膚は日に焼けた赤銅色で眸は空色だ。齢はよく分からないが、少なくとも老いては見えない。口元に笑い皴のある感じのよい顔立ちをしている。

「太太は船見物かの? 法狼機服がよう似合うておいでじゃのう」

 不意に法狼機が口を聞いた。

 タゴール風の訛りのある妙に古風な双樹下語だ。

 月牙が絶句していると、眉尻を下げて困ったように笑う。

「驚かせて相すまぬ。某アンリ・ル・メールと申す。この頃南蛮天水から通詞として領事に召し出されたのじゃが、某の双樹下語はまことに通じるであろうか?」

「問題なく通じています。とても古風ですが、そのぶん優雅で上品です」

「然様か」法狼機人は嬉しそうに笑って双樹下風に頭を低めた。「ご覧じろ、川口から船が参るぞ」

 見れば確かに小北江の河口から船体を黒く塗った三本帆柱の船が近づいてくるところだった。

「ルス・ルージュを掲げておるゆえ、リュザンベールの船じゃ。遠洋船ではないの。南香波からの定期郵船であろう」

 アンリ・ル・メールは間違いなく双樹下語を話しているのに、月牙には単語の半分ほどしか分からなかった。困惑しながらおざなりに頷いていると、ル・メールが興味深そうに訊ねてきた。

「太太は海都の方ではないのか?」

「ええ。親類を訊ねてきました」

「然様か。よい滞在を。海都はまことによい町じゃ」

 ル・メールはまるで大事な故郷を自慢するような口ぶりで称えた。見れば雪衣が複雑な表情を浮かべていた。



 親切なアンリ・ル・メールは別れ際にカスドースを買える菓子屋を教えてくれた。

三人は買い物がてら租界を一周してから帰路についた。

「ああ驚いた。法狼機にもいろんな法狼機がいるんですねえ。判官様、南蛮天水ってどこですか?」

「タゴールのアムリットだろうね。昔からあの辺りには双樹下人が住んでいると聞く」

「あの法狼機は、そこで私たちの言葉を覚えたんでしょうか?」

「そうかもね」

 いろいろと思うことがあるのか、雪衣は心ここにあらずといった風情だった。歩きながらときどき「ル・ザン・ベイ」といった音節を呟いている。

 一方の月牙はといえば、こちらは明日からどうやって翠玉を捜そうかと沈思に耽っていた。


――あの子がこの街に来ているとしたら、身を沈めるのはやはり花街。あるいは貧民街か? 


洛東河津の北の橋詰めにあたるのは、この街ではどのあたりなのだろう。

 あとで雪衣にそれとなく訊いてみようと思いながら歩くうちに中南門が見えた。そちらのほうから大きな籠を背負った小柄な老人が駆け寄ってくる。


「ああ、あ、ええと――太太! そこの緑の法服の太太! 御捜しいたしましたよう! もうすぐ船が出ちまいます! すぐに河津へいらしてください!」


 老人は間違いなく月牙に向けて叫んでいた。

 どうもどこかの奥方様と間違えられているようだ。

月牙は慌てて首を横に振った。

「ご老体、それはたぶん緑の法服違いだ。私は――ええと、その」

 はて何と名乗ろうかと逡巡したとき、後ろから雪衣が腕をつかんできた。

「月、あれは河津門の壺売りだ」

 駆け寄ってきた老人の顔には怯えと焦りが浮かんでいた。月牙の後ろの雪衣を見とめてから、ようやく安堵したように息をつく。

 そして小声で囁きかけてきた。

「判官さま、共にいらしてください」

「誰の指図だ?」

「趙大人です」

「伯父か。分かった。信じよう」

 雪衣は短く答えると、ことさら明るい口調で月牙に話しかけた。

「さあ太太、急ぎましょう。船の見物ですっかり遅くなってしまいましたからねえ」

 老人がまたほっとしたような溜息をついて歩きはじめる。


 中南門を出て階段の上へと出たとき、月牙は危うく声をあげそうになった。


 趙家の門前に宿駅の武官がいるのだ。


 人数は十人。

 一火すべてが出動している。


 火長らしい長身の一人がマスケット銃を持っていた。

 雪衣の顔が恐怖に凍り付く。

 月牙は咄嗟にその腕を握った。

「何を見ているんです? 急いでいるのでしょう?」

「え、ええ、そうですね」

 雪衣がぎこちなく答え、ぎゅっと唇を引き結んで門前から視線を外した。

 門番の阿馬が大声で――まるでこちらに聞かせようとするかのような大声で喚いている。

「ですから、当家にもう主計判官様は滞在していないのです! 姪御様といったって九年も会っていなかったのですから他人みたいなものですよ! それがいきなり押しかけてきたうえご一族中に寄進を無心して、当家じゃ大迷惑だったのです! 朝方には発っていかれましたから、きっともう乗り合い舟で河上へお戻りですよ!」

 阿馬が叫びながらチラチラと視線を寄越してくる。

月牙は浅く頷いた。


 どういう事情かは分からないが、雪衣が捜されているらしい。

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