第三章 壺を割ったら謝れよ 六
カスドースは平戸の銘菓です。
宴席には本当にあらゆる料理が揃っていた。
甘酢に浸した揚げた蟹や芭蕉の葉に包んで蒸しあげた糯米団子といった海都料理はもちろん、豚肉の角煮を挟んだ饅頭や海老入りの茹で餃子のような東華風の料理や、サフランで黄色く色をつけた米を炒めた西域風の料理もある。
なかに変わった菓子があった。卵黄のたっぷり入った黄色い揚げ菓子で、表面に氷砂糖の欠片が塗してある。生地そのものにも砂糖が使われているのか、口に含むと強烈な甘みが脳天へと突き抜けるようだった。
「珍しいお菓子ですねえ。さすがに海都です。知らない美味しい食べ物が沢山ありすぎます」
小蓮が陶然と呟くと、揚げ蟹を手づかみで食べていた福々しい顔の趙氏――雪衣の何にあたるのかは分からないが、顔の系統からして間違いなく趙氏だとは分かる――が嬉しそうに頷いた。
「そうでしょう、そうでしょう。海都は美食の町です。世界中すべての美味しいものが食べられるのですよ。小姐が今召し上がった菓子はカスドースといいましてね、はじめは租界の菓子屋が売り出したのですが、今じゃどこの料理屋でも作ります」
と、傍で静かにカスドースを口に運ぼうとしていた雪衣が、菓子の一片を手にしたまま微かに眉をよせた。
「叔父さん、その租界というのは、前に手紙でうかがった外北門近くの法狼機人の居住区のことですよね?」
「ああそうだよ。雪がいたころにはまだ無かったのだっけ?」
「なかったはずだよ。できたのは六年前だもの」と、別の若い趙氏が口を挟む。「雪姉さん、租界に行ってみたいの?」
「いや、その租界に住んでいる法狼機人は、双樹下の国の法でも海都の市の法でも裁かれないと小耳にはさんだのだけど、本当の話なの?」
「ああ、領事裁判権というやつだね」と、年かさの趙氏が顔をしかめる。「租界には法狼機人の領事がいてね、法狼機人が犯した罪はみんなそっちで裁くことになっているんだ」
「だから連中やりたい放題だよ」と、若い趙氏が舌打ちをする。「去年来た新しい領事は結構まともな裁きをするらしいけど、前のは酷かった。法狼機が露店からものを盗んでも若い娘に悪さをしても、使用人を殺したときさえほんの少しの罰金で済ませちまったって話だ」
雪衣が顔をしかめ、一口齧っただけのカスドースを皿に戻してしまった。
「なぜそんな無法がまかり通るんだ? タゴール人だって西域人だって、壁内に会所を置いている限りはみな同じ法を護っているのだろうに、新参者の法狼人だけどうして特別扱いされる?」
「決まっているだろう、マスケットだよ!」と、今度は年かさの趙氏が舌を鳴らす。「法狼機は一部の船主にだけ銃を売るんだ。船主は銃が欲しくてたまらないから何でも言いなりになってしまう」
「それに火薬もね。マスケットを買ったら火薬が要るから、買っちまったら買っちまったで、またずっと言いなりになるしかない。それが奴らの手なんだ。雪姉さんは知らないの? 奴ら、王宮にだって同じことをやっているだろうに。例のあれだよ、左宰相の発案で編成し直されたっていう近衛騎兵部隊。名前は、ええと――」
「竜騎兵、ですか?」
月牙が思わず口を挟むと、老若の趙氏はギョッと目を見開き、はにかみと好意的な興味の入り混じった目つきで羽矢を見上げながら頷いた。
「ええ妓官様、その部隊です。妓官様は、あの恐ろしい三〇〇のマスケット部隊というのをご覧になったことが?」
「いえ、寡聞にしてまだ」
「そうですか――」と、年かさの趙氏が甘酢に汚れた指を卓の掛け布で拭いながら嘆息する。「噂はこちらにまで届いていますよ。法狼機人の正后が新しい宮殿を造らせて、その周りをマスケット部隊に守らせているのだそうですね」
そのとき月牙は初めて気づいた。
右京区の新梨花宮を護っていたあの風変わりな装束の武官――あれが竜騎兵だったのだ。
「なあ妓官さま、内宮仕えの雪姐姉さんがそんな粗末ななりをして金策に走り回るほど後宮が困窮しているのだって、結局はあの法狼機女の我儘のせいなんだろ?」
若い趙氏が忌々しげに言ってから一息で杯を干し、ふらつく手を酒壺に伸ばしながら続ける。
「法狼機は蛭だよ。この国の生き血を吸って肥え太っている。やつらが肥れば肥るほど俺たちは貧しくなる。今の主上がどうしても法狼機女を傍に置くっていうなら、いっそのこと河東の――」
「――弟弟、それ以上は言うな! 口にするだけで叛逆罪だぞ!」
雪衣が鋭く咎める。
「正后様が新宮へお移りになられたことと、今の宮の困窮とは、直接には関わりないんだ。新梨花宮の建造費はすべて梨花殿領から出ている。そこのところは肝に銘じておいて欲しい」
若い趙氏は一息に酒を干すと、坐った目で虚空を睨みつけた。「分かったよ雪姉さん。表立っては言わない。姉さんにだっていろいろ立場があるんだろうからさ。だけど覚えておいてくれ。もし後宮があの法狼機女を本気で追い出したいなら、国中に味方はいくらでもいるってことをね」
「ねえ月、さっきの弟弟の放言は酒の上のことだ。できれば聞かなかったことにしてもらえるとありがたいな」
宴が果てた後で雪衣がそう頼んできた。月牙は心外に思った。
「念を押すまでもないよ。私が雪の身内を告発するとでも?」
応じると雪衣は情けなさそうに笑った。
「悪いね。あの手の話題に関しては、紅梅殿の者は神経質にならざるをえないんだ」
河東の――
若い趙氏が口にしかけた言葉の後がどう続くか、月牙にももちろん分かっていた。
主上がどうしても法狼機女を選ぶというなら、甥御さまたる河東の侯子にご譲位なさればいいんだ。
大河の東に自治的な所領を有する河東藩侯の夫人は先代国王の公主である。
今の紅梅殿の督はこの公主の生母なのだ。




