量子力学の甘いくびきと遺品整理
屋根裏にあった夫の遺品、ブリティッシュ・ロックのLPコレクションを売却することにした。痛みを隠すことにかけては天才的だったポーカーフェイスの彼の。
お気に入りのアルバムは2枚ずつ、片方には未開封の特典ポスターが残る。私と知り合う前の、青春がそこにある。
金曜6時だというのに家まで来てくれたレコード屋さんは、遺影を見て「見覚えがある」という。地元の同世代だ。
メモを取るわけでもない、えんぴつを手にすることもなかった。
カバーと入れ違ったレコードとのパズルを、うっすらと微笑んで続けていく。
「いいコレクションだね」と呟いて、曲にまつわる私の思い出語りを聞いてくれた。
幾ばくかのお金をもらって送り出し、ひとり缶コーヒーを飲む。
マグを洗うのが面倒でできてしまった未亡人の悪癖だ。
テレビをつけるでもなくソファに丸くなると、ふと、鎮魂の花火の音がした。
この国の花火の日は11月5日、17世紀にウェストミンスターを爆破しようとした事件の名残り。日本の夏祭りとは趣が違う。
缶を手にしたまま、音がしている方角を勝手口から眺めた。
細々と、緑や赤の点滅が散る。その煙の向こうに透けてカシオペア座が見えた。
でも、夫の星座は季節外れ。
夫は裏返しの疑問符型の、ひまわりのたてがみをたたえる獅子座。
「ああ、だからひまわりが好きだったのか」
今さらながらに納得する。一本だけ買うなら私は薔薇を、夫はひまわりを欲しがった。
フランスのロワール地方をドライブした時に車を停めて、ひまわり畑にわけ入ったことがある。一面のひまわり。
こんな思い出なら数限りない。
星に話を戻せば、ネット上に面白い記事を見つけた。観測不能の量子力学。
「量子ひとつ引きちぎって双子にしたら、片方が見られたらもう片方も必ず『見られた』ということに気付く。片方が地球にあって、もう片方がはるか遠くの星にあったとしても、一切のタイムラグ無しに、完全同時に気付く」って。
ニコイチと言われた私たちなら、彼岸と此岸でも同じこと。
夫は射手座の私を釘付けにした。お互い「火」の星座だ、知り合った日に既にチェックメイトだったのだろう。
LPの山がなくなった空間に目を落とす。
物は整理できても、心は抜け出せない。
日本に帰ったところで、体育祭の雄姿に声援を送る子どももいない、ランドセルを買ってやる孫もない。
行きはいい。帰りは恐い。おふだをもらっても帰れない。私は恐らく、祖国には還れない。