婚約破棄、ハードボイルド公爵令嬢。
「フィリス、マーロウ公爵令嬢。 お前との婚約を破棄するっ」
レイモンド王太子は大声で言った。
「そして、こちらのハンフリー男爵令嬢と婚約するっ」
「真実の愛に目覚めたのだっ」
傍らには、ピンクブロンドの小柄な令嬢。
王太子の周りには、側近候補が三人。
騎士団長の息子、宰相の息子、大商人の息子。
令嬢を守るように並んで立っていた。
私は、食べかけの合成ハムと薄いチーズの挟まれたサンドイッチを皿に戻した。
人生は油断ならない。
会場の片隅で、街のドラッグストアで売っている安いサンドを食べる時にも邪魔は入るものだ。
「ふう、真実の愛……か」
肩までの銀髪をはらう。
紅い瞳を少し細めた。
軽いため息。
ウイスキーを、片手でとくとくと氷の入ったグラスにそそぐ。
安いウイスキーをなめた。
「ぐっ」
安酒が胸を焼いた。
卒業式のパーティーで婚約破棄された者にふさわしいまずくて苦い味だ。
今の私にふさわしい。
さぞや周りの令息や令嬢から道化のように見られている事だろう。
スカートのポケットからおもむろに煙草を取り出した。
”ゴロワース”と書かれた煙草にマッチ。
オイルライターは駄目だ。
オイルの匂いが煙草にうつる。
カラリ
マッチ箱を少し振る。
「おいっ」
王太子の怒りの声だ。
シュッ、シュッ、ボッ。
マッチで煙草に火を点ける。
「ふうう」
気だるげに周りに紫煙を吐いた。
「で?」
ついと煙草で指差した。
しばらく放置され、怒りで顔が真っ赤の王太子に短くを声かける。
「こ、この、お前はこちらのハンフリー男爵令嬢につきまとったな」
「きづいたらこちらを見てるんです~」
令嬢が王太子に媚びたようにしがみつく。
なかなかに厳つい胸部装甲だ。
ちらりと自分の胸を見る。
「ふっ、世の中は公平だというのは間違いだ」
おっと話がそれた。
「さらに、教科書やノートを勝手に破いたり捨てたな」
「いじめられたんです~」
尾行を気づかれていたのか。
ノートや日記の中身は確認したが、見たことをばれないようにしていたはずだ。
言いがかりだな。
「ひとつ言っておこう」
「意味もなく後ろをついていったり、破いたり捨てたりはしていない」
「おまえっ」
「なんだその態度はっ」
「いつも通り感じが悪いですねえ」
上から、騎士団長に息子、宰相の息子、大商人の息子というところだ。
この世は、コーヒーフィルターの中の出がらしのコーヒーのようなものだ。
私は、コーヒーフィルターに茶色くにじんだシミを見るような目で三人を見る。
「ふっ」
そろって価値が無いということだ。
「こいつうっ」
バキイッ
おっと、騎士団長の息子に殴られた。
口の中に広がる鉄臭い味。
口の傍に赤い血が流れる。
しかし倒れない。
「はあ。 依頼主に報告することが増えた……な」
小さくつぶやいた。
「もういいっ、フィリス、マーロウッ」
「ハンフリー男爵令嬢をいじめた罪でお前を国外追放とするっ」
ハンフリーが王太子の腕の中でニヤリと笑う。
周りの三人も楽しそうにニヤリと笑った。
「……わかった」
「婚約破棄と国外追放の件、了承しよう」
背を向けて会場の出口にスタスタと歩き出す。
「あ、あのっ、どうしてあなたはそんなに強いの」
小さな声だが不思議と会場中に響いた。
依頼主の令嬢の一人だ。
確か、宰相の息子の婚約者。
「強くないと生きていけない」
少し振り向き苦く笑う。
今度こそ会場を後にした。
会場を出た後、十年落ちのビュイック(アメ車)を運転して隣国に出た。
今頃は騎士団長の息子、宰相の息子、大商人の息子、そして王太子と、ハンフリー男爵令嬢との浮気の調査報告書が、それぞれの婚約者の家に届いている事だろう。
「一対四の肉体関係を伴った浮気……か」
隣国の雑居ビルの一室。
飾り気のないスチールデスク。
空っぽの引き出しには、安ウイスキーの瓶が一本。
机の上には灰皿と煙草とマッチ。
”フィリス、マーロウ私立探偵事務所”
オフィスの扉にシンプルな文字でそう書かれている。
浮気調査の依頼者は、側近のそれぞれの婚約者と王陛下。
公爵令嬢という身分ゆえに高位貴族の調査も可能。
フィリスは、自分の婚約者の浮気調査をしていたことになる。