*さいごの記憶
嵐が近づいているのだろう。闇夜に荒れ狂う風と、岸壁に叩き付ける波の音。独特の音をたてながら、ここに陸地があると知らせる灯台の光のおかげで、視界には困らなかった。かろうじて雨は降っていないが、空は重たげな雲に覆われているので間もなく降ってくるだろう。
風の音にも負けない声量で自分の胸ぐらを掴んで怒鳴る男は、怒りよりも悔しさの方が勝る表情で───酷く、珍しいと思った。
だってこの人は、いつだって余裕綽々で、不敵な笑みを称えているような人だったから。
深く、深く息を吸って、吐いた。
「アンタでも・・・そんな顔、するんだな」
呟くような独り言は、相手の耳に思いの外しっかり届いたらしい。
「最期に、いいこと知ったよ」
目に焼き付いたのは、驚いたように目を見開いた顔。大きく見開いた目が、数時間前まで輝いていた満月のようで───無性に泣きたくなった。
でも、それを気取られるのは癪だ。
隙ができた男の胸ぐらを掴み返し、1歩足を踏み出して力の限り横にぶん回す。
思ったよりも力は残っていたらしい。
遠心力を利用して投げたその身体は、男の背後にある潮風で脆くなった木製の柵を一部薙ぎ倒していく。その衝撃でか、もともと緩んでいたからか。自身の胸ぐらを掴んでいた手は外れ、一周まわった身体は灯台横の地面に転がった。
そして、自分の身体はその反対方向───壊れた柵を通り越して、闇夜に向かって投げ出された。
「───俺の勝ちだ、"兄さん"」
久々の呼び方に、思わず笑みがこぼれる。
反対に、男の顔が鬼神のように歪んだ。
「───っ※※※!!」
叫ぶのと同時に飛び起きて、猛ダッシュでこちらへ向かって手を伸ばしてきた。今まで見た中で最も速く、もしかしたら間に合ってしまうかもしれないと頭の片隅で思った。
けれども、男の手は自分に届く事無く空をかく。
そう言えば昔、勝ったら1つ言うことを聞いてくれると約束した事があったと、ふと思い出した。
(やっと勝てたのに、残念だ)
もう、その約束は果たされない。
来たる衝撃に備えて、静かに目を瞑る。男の叫ぶ声が、荒れる波の音と遠ざかる意識の向こうに消えた。