13.カミングアウト
状況を整理しよう。
1。匂いに誘われて、ダリアの指から流れる血を舐めとった。
2。さらに血が欲しくなり、抱き寄せて彼女の首筋に噛み付こうとした。
3。意識が飛んでいるザイラの目を覚まさせる為、ダリアが腹を殴った。
───よし。
「申し訳ございませんでした」
極東の島の最上級の謝罪であるという、『土下座』。これをザイラはダリアに披露していた。
甘い香り───ダリアの血の匂いに誘われ、我を失っていたザイラのした事を整理し、もはや謝罪はこれしか思いつかなかったのだ。
(どう状況を整理しても、変態でしかない・・・!)
そもそも何故、血の匂いが花の蜜のような匂いなのか。血が苦手なのでは無かったのか。色々と疑問は尽きることがないが、最優先はダリアへの謝罪だろう。
地面に頭を擦りつけていると、ダリアの溜息が聞こえてきた。
「・・・まずは顔を上げて貰えるかな」
そう言われ、恐る恐る顔を上げる。頭を完全に下げていたザイラは気が付かなかったが、ダリアはザイラのすぐ目の前に膝をついていた。普段なら気がついたのだろうが、今はだいぶ動揺しているのだ。予想外に近い彼女との距離に、ザイラは固まる。
ダリアはそんな彼に苦笑を浮かべた。
「ほら、身体も起こして。謝罪はもういいからさ・・・私も不用心だったし」
ね?と手を差し伸べる彼女に、ザイラは懐の広い人だと感心する一方で、手は丁重にお断りして自分で立ち上がった。
「ダメですよ、船長・・・俺、たった今貴女を襲いかけたんですから。原因がわからないですし、不用意に近づくのは危ないです。むしろ離れてください」
自分で言うのも悲しいが、事実である。しかし、ダリアは不思議そうな顔をして立ち上がるが、離れようとはしなかった。
「原因って、まさか本当にわからないの?」
「え?」
どういう意味か聞こうとして、ザイラは次にダリアの口から出た言葉にそれ以上は言えなくなった。
「貴方、ヴァンパイアなんだよ」
遠くでウミネコの鳴く声と、街のざわめきが風にのって聞こえてくる。ザイラは何度かダリアの言葉を頭の中で復唱した後、深く息を吸い、それを長く細く吐き出した。
「・・・随分、軽く言いますね。ヴァンパイアって、伝説上の化け物じゃないですか」
血を求め人を襲うという、不老不死の化け物。狼男やゾンビのような、実在するかも怪しいモンスターである。しかし、各地に伝承が残っているのも確かで、昔から畏怖の対象で対応策なども伝えられてきた。実在する可能性もなくはないだろう。
自身がそれであると言われると、信じられない気持ちの方が強いが・・・ダリアはそのような冗談を言っているようには見えないし、もし冗談ならもっと早い段階で申し出ているだろう。
「しかもそれが本当なら、貴女は俺を殴った後すぐ逃げなきゃ駄目でしょう」
ダリアは驚いたように目を見開く。指から流れる血を舐め、さらにそれを貪ろうとしたのだ。命の危険である。それなのに何故ここに残り、ザイラ自身にヴァンパイアであることを伝えるのか。
意図がわからずダリアを見据えていると、彼女はくしゃりと笑った。
それは、泣くのを我慢して無理に笑ったような、そんな顔で。
ザイラは予想外のことに、思考も動きも固まってしまった。
「・・・本当に。記憶が無いのに、なんで同じことを言うのかなぁ」
ふらりと、ダリアは自分を見下ろすザイラに近づく。そしてザイラが止める間もなく、その頬を挟むようにそっと手を添えた。
「・・・"ヴァンパイアは化け物ではなく、種族の1つ。生きる為に血は必要だけど、必ずしも人から摂取する必要は無いし、なんなら普段の食事で摂る分だけでも賄える。その牙を人に突き立てる時は、その人を自分の支配下に置く契約を結ぶ為"・・・だから、たとえ我を失って血を飲んだとしても、貴方が私の命を奪うことは、まず無いんだよ」
まるで小さい子どもに言い聞かせるように、ダリアは淡々と、そしてハッキリと口にしていく。
「・・・なんで、そんなに詳しいんですか」
ピットーリ師匠の所有する本にだって、そんなことは何処にも書いてなかった。なぜ彼女はヴァンパイアに関して詳しい情報を持っているのか。
・・・いや、本当はもう気付いている。気付いていて、ザイラは答えを出すのを恐れていた。
ダリアは目を細め、微笑んだ。
「そりゃあ、貴方に教えてもらったもの」
儚くも見える彼女の笑顔に、ザイラは自らの手を固く握りこんだ。
ダリアはずっと、ザイラを名前で呼ばなかった。いつも呼ぶ時は「新人くん」で、それは入団してすぐに気がついた。まだ仲間だと認めて貰えていないのだろうかと、密かに悩んでいたのだが───
"・・・ざいら?"
先程、男二人から助けた時に初めて呼ばれた名前。正直、嬉しかった。不意をついて出た自分の名前に、仲間と認めて貰えた気がして。
けれども、
「・・・知り合い、だったんですね」
親しい間柄だったなら、話は変わってくる。
「うん。幼馴染だったよ」
するりと手が頬から離れ、そのままくるりと背を向けて欄干の方へ歩いていく。そんな彼女を、ザイラは何も言えずに見つめる。
「いやぁ。流石に10年も共に過した人に、こうも綺麗さっぱり忘れられてると、堪えてさ。言うに言えなかった・・・うん、でもまぁ、」
振り返ったダリアは、ザイラの目をしっかりと見据える。そして、ふわりと微笑んだ。
「無事で良かった。本当に・・・海賊になった甲斐があったよ」
ダリアは風に煽られて乱れた髪を軽く押える。
なぜ海賊になったのか。
理由が自分を探す為であった事に、ザイラは言い様のない想いが込み上がってくるのを感じた。
危険な事へ首を突っ込んだ、憤り。
自分を諦めることなく探してくれた、感謝。
そして───思い出すことができない、申し訳なさ。
正直、何から伝えればいいのか、どれが正解かは解らない。けれども、これだけは伝えなければならないだろう。
ザイラは一度固く目を閉じ、ゆっくりと開いていく。
「ありがとうございます。記憶が無くても、仲間として受け入れてくれて」
彼女はきっとピットーリからの手紙が届いた時点で、ザイラに記憶が無いことを知っていた。それでも会って、さらには入団も許可し、今日まで初対面として接した。
きっと、想像よりもずっと彼女を傷付けただろう。ただの幼馴染を、海に出るという危険を冒してまで探すものか。過去の自分がヴァンパイアであることを明かしている点を考えても、とても親しい間柄であったことは想像にかたくない。
ダリアはザイラが考えている事がわかったらしく、苦笑を浮かべた。
「記憶が無くても、ザイラはザイラだってわかったからね。真面目なところも、その良くも悪くも聡いところも・・・」
自身の胸に手を当てて、そっと瞼を閉じるダリア。
「覚悟は出来たよ。随分待たせたけど・・・やっと、今の貴方と向き合える」
ゆっくりと上げられた瞼の下から現れた鳶色の瞳。一瞬だけ、灼熱の炎を思い浮かべるような赤が見えたような気がして、ザイラは目を瞬かせる。けれども、それ以降ダリアの瞳は赤く見えることは無かった。