ショート ある小説家の戦い
私は文字を書いている。原稿用紙が積み重ねられた机に向かい、周囲の観客に見守られやけに熱いスポットライトの下、書き続けている。奥のテーブルには金属の光沢を放つ大きな箱が鎮座しており、前面のパネルには様々な文字が一瞬表示され高速でめくられる紙芝居を見せられている気分になる。
このスタジオにはざっと200人の人間が居て、その半数は科学者だった。言語学者と作家も来ており、中には見知った顔がいくつかある。きっと、この戦いを最後まで見届けるつもりなのだろう。声援は一切なく、戦っているのは私ただ一人だけだ。
「新進気鋭の小説家」と書かれた座席に座らされもう3時間が経過する。手を上げれば新しいペンや飲み物が補充され、肩に手をやれば椅子が勝手に動きマッサージを開始する。自宅にもこんな環境が欲しいがそれは戦いに勝った後の話だろう。
人工知能の発展は目覚ましいものがあり、人間が判断しなければならないものは過去の情報を元に合理的に判断を下されるようになった。車の操縦や大型旅客機など人命に関わる部分から進歩していき、そのうち複数拠点間の物資輸送……テレポート技術が誕生した。乗り物に人が乗る必要が無くなり多くの人が職を失ったとされるが、その空き時間は音楽や映画などの芸術に充てられるようになり街は娯楽にあふれ幸福指数とやらも向上し、犯罪の件数もガクンと下がった。つまり、娯楽により平和になった人間が娯楽を生み出すようになった……私もその恩恵を受けた人間の一人であった。
自由になった人は自分の代わりに絵を書かせたり音を作らせたりと人間がやるべき事までも人工に押し付け始め、その結果がアレである。様々な文豪の著書が一箇所に集められ、ジャンル別に作られた人工知能同士を横に繋ぎ、どんな話が読みたいかを伝えるだけで瞬時に手元に届く……いわば物語のオーダーメイドが出来るようになる、その試作品があの机の上の箱の正体だ。
試作品、ということは完璧ではない。どこに欠陥があるかのテストが必要となる。それを判断するために私と複数人の審査員が会場へと呼ばれ、こうしてテレビで放送されている。興味のある人間であれば手元の端末かなにかしらに映し出された物を眺めているに違いない。こうやって会場まで来る必要がないというのに、ここに来る酔狂な人間を除けばの話だ。私は書き上げたものを横へと一枚重ねて次の一枚へと取り掛かる。
何かの警告音のような音が鳴り響く。武器を持った過激派がテレビ局に押し入ったのではないだろう。机の上の箱が蛍光グリーンに輝いていることから何かしらの作業が終わったのだろう。私はまだ半分も書き終えていないがそろそろ審査員が眠りだしそうだ。残像が見えると錯覚させるような手の動きを更に加速させるが、摩擦熱には勝てない。右手の小指が焼ききれぬうちに金属布の手袋を口へと咥え、左手で執筆を続けながら右手へと装着する。
司会者も最初のうちは五月蝿くマイクへと叫んでいたが今はそっぽを向き、スタッフと打ち合わせをしている。よそ見をしなくても周辺視野でそれぐらいは分かってしまうだろう。目線をマス目に置いたままの状態で参考資料を開いたりするには、これぐらいの修行は積んでおかなければならない。一度書き始めたら最後までペンを置かない、「一筆書き」と呼ばれる分野で私よりも優れたものは居るまい。寝れば記憶が飛び、食えば厠に行かなければならない。短時間で文字を効率的に原稿用紙へと叩きつけてすぐさまに終わらせるのが、流儀となっていた。
ようやく物語の終わりが見えてきた、と一瞬油断した。額から鼻先を伝い落ちた汗が、原稿のど真ん中に着地する。すぐに丸めて後ろへと放り投げ一字一句違わぬように書き直す。体への負担など気にしていては負けてしまうだろう、という気持ちが心のどこかにあり、焦りという文字が左目の瞼の裏に張り付いている。たとえ目が乾いたとしてもこの目は開き続けなければならない。
「終わりました」と宣言し、最後の一枚を一番上へと重ねた。審査員の一人がそれを整頓しながら印刷機へと運んでいく。これも旧時代の遺物となってしまったもので、複数の紙へと文字を印刷するという非効率的な道具であった。考えるだけでデジタル出力される昨今の作家の間では、私は過去の遺物ではなく「原始人の祖先」と言われるようになっており、その点ではこの印刷機よりも先に消滅すべき存在なのだろう。疲れた右手をさすりながら、その遺物から大量に吐き出される紙をただ眺めていた。
審査員6名の前に板状の端末と分厚い紙の束がそれぞれ置かれる。右の3名は端末を手に取り、左の3名はぎこちない手付きで紙をめくっていく。どちらを先に読んだとしても優れた作品には違いは生まれないだろうが、これが審査という形をとる以上、公平性を期すための措置なのだろう。それぞれ配られてから1時間ほどで紙媒体を机へと置き、端末は数十秒持っただけで机へと置いた。
セットの裏でがやがやとやっていた集団が表へと戻ってきて、司会者の男が興奮気味で演説を始める。どちらが優れているかどうかなんて分かりきっているのだから、さっさと審判役の6人に手を挙げさせて人間側の勝利宣言をすればいい。手を振りくるくると回る司会者を視界から追い出して審査員の顔つきに注目する。有る者は甲乙つけがたいのか握りこぶしを顎へとやり、その横の者はもみあげをいじりつつこちらを見ている。
「さぁ、それではいよいよ判定結果を……お願い致します!」
会場がどよめいた。満場一致でこの下らない箱の作品が優れているとの判定に、目の前がどんどんと明かりを失っていく。なぜ負けたのかと審査員の卓上から端末をひったくり中を覗いてみると、確かに面白い構成で読みやすく……私には出来ない表現方法がいくつも書かれていた。
「前半部分の主人公の心情、恋人を殺された下りは思わず涙が出てきました。これほどに美しい文章が目の前で作られたというのはにわかには信じがたい、としか言えません」
一人が感想を述べると他の者も次々に賛辞を並べていく。もう何も見たくないし、聞きたくもない。このまま家に籠もってペンも握らず衰弱し、起き上がれなくなる自分を想像してしまった。
最後の一人が言い終わると同時に、左半分の審査員の頭が吹き飛び、中から金属製のパーツが飛び出した。突然の爆発音に観客が逃げ惑うが、右半分の審査員は落ち着き払っていて微動だにしない。
「おめでとうございます、無事に人間側の勝利となります! それではお三方、前の方にお願い致します……」
ステージから降ろされながらスタッフへと確認する。
「おい、私の作品が人工知能よりも優れているか、という勝負ではなかったのか?」
「ええ、それももちろんやりました。貴方の作品は誤字脱字、構成において人工知能には敵わなかった、と審査員の方々が情報を送ってくれてますよ。それよりも今、どんな感じで進んでいるかここからでは見えないので、端末で見ても良いですか?」
男は私を楽屋へと案内し終えると、その場に立ったままの状態で腕の端末を見始めた。
中に大きく表示された、「娯楽判断システムの敗北、泣き崩れる科学者たち」という文字と共に、メガネの男が床を叩いている姿が映し出されていた。
「つまり、知らされていなかったのは私だけ、ということかね」
「あー、ネタばらしはこの後やる予定なので、どうか、知らなかったフリで通して頂けると。お願いしますよ、先生」
翌日の朝刊には残り3人の感想と共に、世界で初めて人工知能に負けた作家として私の顔が大きく表示されていた。
書評に軽く目を通すと、人間ならではの雑味が多く読みづらいことこの上ない、しかしただの文字の組み合わせではない「造語」は人工知能にはまだ到達出来ない領域であり、今後の課題となるだろう、と書かれていた。
新しい表現を作ったとして、それも直ぐに吸収されるのであれば、次はどうやって太刀打ちすればいいのだ、と書斎で嘆きながら。
私は静かに筆を置いた。
こってこてに使い古されたネタだからこそ書いてみたくなった。