第2章45 爾愛の時雨刻
時は遡り、死闘を終えたアーチェインに権力者であるカイベトが会いに来た場面まで戻る。
周りには複数のテントが設置しており、その下で紙に図表を描いている者や重装備の者が忙しそうにしていた。
それらテントの一つ、救護班のテントの下ではアーチェインが簡易病床で横になっている。
それぞれが最善を尽くそうと動く中。
アーチェインの状態を目で確認しながら、カイベトは口を開いた。
「――その怪我、暫くはまともに動けそうにもないな」
「そうっすね〜。すみません」
「いやいい。例の奴は他の者に調査させている。お前は十分に休め」
「そう言ってもらえると羽をゆっくりと伸ばせるので有難いです」
全身包帯ぐるぐる巻きのアーチェインは、両耳のピアスを鳴らしながら唯一動かせる首を縦に振る。
正直喋るのにも体力を大きく使ってしまうものの、わざと空元気を出した。
そうでもしないと不安で押し潰されてしまいそうだったから。
別に優秀な人材は豊富にある。優秀なアーチェインが抜けようとも代わりは沢山存在するのだ。
それに、その代わりの者は隠密行動に長けた者であり、カイベトが直々に引き抜いた。
――不安などない。
カイベトは心内でそう自分に言い聞かせながら、次の話題に移る事にした。
「――それにしてもシシメミナトはまだ尻尾を出さんか。得体もまだ知れぬのに」
「中々厳しいと思いますよ? 貴方の目的も気持ちも分かりますが」
確かにミナトには未だ謎が数多く眠っている。
開放という物を仕舞い込む技法。そしてなんといっても、常軌を逸した身体能力。
ミナトは全く魔力を有していないにも関わらず、神秘的な力を行使している。もしかしたら廻神教の一員かもしれない。
――それでもミナトは文字通り命を懸けて人を助けた。それは事実なのだ。
そういった背景もあり、人の情を全面に出してしまったアーチェイン。
引き続きミナトの観察は必要かもしれない。だが、カイベトの様に理不尽な憎しみをぶつける必要はない。
甘えともとれる発言。
――それを聞いた瞬間、カイベトの目に狂気が宿る。
「……奴に会ってからというもの、ずっと種は撒いてきた。なのに何故だ? 何故、何故行動をおこさない俺は何も間違ってはいないっ!! シシメミナトを貴様の生徒に入れたのも監視の為だナタをくれてやったのもそれで人を殺めると思ったからだ!!」
「落ち着いてくださいカイベトさん。そんなの上手くいく筈がないでしょうよ。少しは冷静になって――」
徐々にヒートアップしていくカイベトを落ち着かせようと、ゆっくりと穏やかに話しかけるアーチェイン。
しかしカイベトはその優しさにすら腹が立ち、大剣を逆手に持って床に突き刺した。
轟音と罅が周囲の地面を伝わり、振動が周りの人間の作業を停止させる。
それに従って集まる人々の視線と恐怖。しんと静まり返る空気。
息を呑むアーチェインが言葉に詰まる中、カイベトは顔をぐっと押さえる。
そして食い込んでしまった爪が額に食い込み、そこから血が流れていくのを感じながら苦しむ様に呟いた。
「あの時、あの時俺は――」
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何度もフラッシュバックするあの瞬間。
あれは雨が嫌に肌に張り付いてくる夜だった。
親友と仲間達と結成した組織で秘密裏に進めていた捜査が実を結び、ついに廻神教の一員を追い詰めたのだ。
――失敗など万が一でも起こる筈がない。
誰もがそう確信し、早る気持ちを押さえながら確保に向けて泥道を走る。その最中の出来事であった。
突如、黒の外套を頭から被った謎の男から襲撃を受けたのだ。薄気味悪い笑みを浮かべ、妙な言葉遣いをしていたのを今でも覚えている。
しかし何よりも印象的だったのが、優に3メートルを超える刀を片手で持っていた事だ。
その刀は薄い月灯でこちらの顔を優々と照らしており、本能的な恐怖を嫌でも呼び起こされた。
そこから後の記憶はぼんやりとしている。
それ程に必死だったのか、それとも思い出したくないからなのかもしれない。
だがしかし、ただ一つ覚えている単語がある。
―― "水胎殺月天保" 。
その言葉と共に放たれた一振りで親友と自分以外の全員が、死んだ。
何が起こったのか、何をされたのかは全く覚えていない。だが、その有様は酷いものであった。
異常に膨らんだ胸、赤紫に染まった肌、半分飛び出た舌と目玉、鼻と口から止めどなく溢れ出す血。
それはまるで、井戸底で孤独に溺れ死んだ赤子の様であった。
先程まで友人だったモノが辺りに散らばっている。気付けば自分の左腕からも血が大量に流れ出している。
そして自分は何かを親友に叫ぶと謎の男に向かって突撃していった。
瓦解していく。
謎の男は親友を追いかけようとしたが、なんとか斬り合って阻止する。
しかし、相手の実力は本物だ。かつて英雄とまで称されたカイベトが防戦一方になる程に。
――どれぐらいの時間が経ったであろうか。
目を覚ますと、全身ズタボロの死にかけが一人 泥水の上で転がっていた。
寒さか痛みか、とにかく震えながら立ち上がってみると遠くで爆発音が鳴った。
暗くなっていく視界の中でふらふらとその方向へと歩いていく。
暫くすると、自分と同じぐらい傷付いた親友が開けた場所で棒立ちになっていた。
それはまるで大切なおもちゃを目の前で壊された子供の様であり、兎にも角にも隙だらけだった。
未だ状況は悪化したまま変わっていない。
故に声をかけようとしたその瞬間――、
「逃げろ。罠、だ」
――その言葉と共に、親友は破裂した。
ゆっくりと星形の血霧が霧散していき、純白の骨が音を立てて崩れ落ちる。
残ったのは今一つ現状が理解出来ずにいる情けない自分と雨の音だけ。
「ぁあ ぁ」
全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた。
何故。
何故だ。何故死んだ目の前で。見てる前で。匂いで吐きそうだ狂いそうだ怒り死んでしまいそうだ。
何がいけなかった。完璧だった十分だった万全だった。付けいる隙間などない。瓦解していく。あぁ瓦解していく。何故だ何故だ何故だ何故何故何故――、
呪蛇の罰果
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「――――」
性格を変えてしまう程のトラウマを鮮明に思い出してしまい、胸を強く押さえるカイベト。
アーチェインは心配して声をかけようとするが、ギッと睨んで黙らせてしまった。
朝日を迎える度に感情のコントロールが鈍くなっていくのが分かる。
油汗の温度を首筋に感じながら、カイベトは次の指示を出した。
「……近く、エレヴァートルで模擬戦がある。そこにシシメミナトを参加させろ」
「なっ今更急に言われても……! それに何か問題が発生すれば間違いなく国際問題に発展します! 第一、そんな事しても効果は――」
「黙れッ!! 俺の言う事が聞けねぇのか!?」
「――っ! ……分かり、ました」
部下からの忠告を遮り、叫びながら胸ぐらを掴み上げるカイベト。
例えシシメミナトが無実であろうとも、廻神教徒である可能性が僅かにあるならば許す事はない。廻神教はこの世に存在してはならない。
――その為ならばなんだってする。
一方、周りから集まる視線と巻き込まれるかもという恐怖心がその場を支配する。
それを感じて冷静になったカイベトは「すまない」と一言告げると、手を離してよたよたと帰ってしまった。
「あの人はもう、長くないかもしれないな」
カイベトが英雄と呼ばれていた時は、敵すらも味方につけてしまう程に偉大な男だった。アーチェインも例に漏れず、彼に惹かれた。
――だが最早、初めて会った時の頼もしい背中はそこに存在しない。
憂いの目を向けるアーチェインの心臓は、焦燥感という汗で濡れていた。
© 2022 風ビン小僧




