第2章33 魔物召喚
巨躯の魔物は鈍い音を立てながら床に落下し、痛みで絶叫しながら手で顔を覆った。
急展開に頭がフリーズした少年は、這いつくばりながらも首をもたげてミナトを見る。
その理由は言わずもがな、シシメミナトが圧倒的不審者であるからだ。
この付近では見た事もない人物であり、血だらけだ。
それに髪色もこの世界では異質なものだった為、警戒するべき人物。
だがしかし、不思議とミナトの姿がぼんやりと滲んでいく。
同時に初めてミナトを見た時に抱いた不安感もじきに霧散してしまった。
それに抵抗感も危機感も抱かないままに少年は、助けてくれた恩人に声をかける。
「あ、貴方は……?」
「シシメミナトだ。大丈夫か? 立てるんだったらその子連れて逃げろ。多分これから激しくなるしな」
少年は未だ状況が理解できていないようだ。
だが、いちいち懇切丁寧に説明する暇は無い。
ミナトは振り返ると、早く立ち去るよう催促した。
自分は前よりも格段に強くなった自信と自覚がある。故にこの魔物を殺すのは簡単だろう。
だがそれでも彼らを巻き込んでしまうと寝覚めが悪い。
――どこで力を振るうか。
ミナトが決めあぐねていると、目の前の魔物がゆっくりと起き上がった。
その顔面からは緑色の血が流れ落ちており、腹が立つのであろう、荒々しい息を細かくしている。
すぐにでも突進してきそうな勢いに、ミナトは少年により強く催促した。
「ほら早くしろ。俺はアーチェインほど器用じゃないぞ」
「えっ、アーチェイン先生……? わ、分かりました……うぐっ」
巨躯の魔物が完全に復活する前に逃げなければ。このタイミングしかない。
焦る少年は力を振り絞って立ち上がると、震える手で少女を抱き上げようとする。
だがその途中、全身の激痛が原因で力が抜け、その場に勢いよく膝を付いた。
きっと、あの魔物との戦闘で少年は限界まで追い詰められたのであろう。
少年の顔を見たミナトは静かに察すると「開放」と呟き、右手の甲に開けた穴から、この迷宮で手に入れた魔装具全てを雑に放り出していく。
「……コイツを出来るだけ遠ざける。道中多くの魔物を殺したが、まだ生きてる奴がいるだろう。だからこれを持っとけ」
「え、こ、これは?」
「さっき手に入れた魔装具だ。御守り代わりぐらいにはなってくれるだろ、多分。知らんけど」
「――な!? えぇ? ほ、ほんと。ほんとちょっ、こんな――」
ガチャガチャと音を立てて床に散らばる貴重品のオンパレード。
あまりにも簡単に入手出来たので、ミナトはそんな自覚はないのだが、魔装具は本当に入手困難な代物なのだ。
故に世界各国で高額で取引されており、これらの魔装具も全て売っぱらえば、豪邸を建てられる程の金が手に入るだろう。
だが、ミナトはその事情に未だ疎い。
一回アーチェインに説明されたものの、宝くじで千円当たったラッキーぐらいの感覚である。
当然、生まれて十数年の貴重品童貞である少年は目を丸くして戸惑いの声を上げる。
――その瞬間だった。
「ァアァグァアガッ!!」
巨躯の魔物はめいいっぱいに咆哮した後、二人に突進してきたのだ。
圧倒的な質量、野生的な殺意。
数々のスペリアを屠ってきた悪意の塊が大口を開け、汚く生えた牙で噛み殺そうとしている。
何処にも逃げ場は無い。もう対応も反撃も出来ない。
「ひっ」
絶望した少年は恐怖で上擦った悲鳴を上げると尻餅をつき、そのまま後退りした。
――殺されてしまう。
しかしただ一人、ミナトだけは勇敢に走り向かうと、巨躯の魔物を全身で押し止める。
鈍く激しい肉の音が響き渡った後、完全に停止したのを確認したミナトは、そのまま逆に勢いよく押し込んでいった。
圧倒的格下である人間如きに力負けしている。
その事実に屈辱を覚えて両脚に力を込めるが、ミナトを押し戻すどころか、足掻きにもならない始末であった。
次第にミナトの走る速度は上がっていき、ついに巨躯の魔物は掴み上げられる。
足を止めないミナト。その先は――、
「一緒に落ちてもらうぞッ!!」
「シ、シシメさんっ!」
ミナトは部屋の真ん中に大きく開いた奈落に巨躯の魔物ごと落ちていく。
底は見えず、いつ着地出来るのかは分からない。
だがそれでも、少年から遠ざかるのにはうってつけだった。
巨躯の魔物は恐怖と浮遊感に叫びながら、鋭く長い爪でミナトを引き剥がそうとする。
しかしその前にミナトは離れると、空中で体勢を戻し、両足で腹を蹴り抜いた。
口から緑色の血を溢す巨躯の魔物が、暗闇に吹っ飛び消えていく。
「――アイツらもう寄って来やがったのか鬱陶しいな」
何か嫌な予感がして上を向いたミナトは舌打ちをする。
やはり、この迷宮は比較的魔物が多いのかもしれない。
そこには血の匂いに寄せ付けられた魔物が、こぞって少年の元へと押し寄せていたからだ。
あれでは一分も持たないだろう。
いくら魔装具を与えたからといって、あの傷ではまともに動けないに違いない。
故にミナトは急いで戻ろうとするが――、
「――ッ! アイツ、舌を俺の足に巻き付けやがったッ」
真下の暗闇から三本の舌が勢いよく伸び出し、完全に油断していたミナトの右足に絡み付く。
そして切り離す間も無く、ミナトはぐんと下に引き寄せられていったのであった。
すぐさま鼓膜に響いてくる叫び声と轟音。
遠ざかる光に手を伸ばしたミナトは、背中を強く打つ風圧を感じながら、彼らの死を悟ったのであった。
――だが、感傷に浸っている時間は無い。
ミナトは空中で身を翻すと、自らの足に絡み付いた舌を引き千切る様な勢いで掴む。
しかしその瞬間に舌が大きくしなり、地下五階の床に叩きつけられた。
その罅割れた箇所が自らの力を、乾いた音がミナトの死を告げる。
少なくとも巨躯の魔物はそう捉え、勝利宣言とも言える咆哮を上げ――、
「耳障りだ」
一言呟いた後、全身を使って足に巻き付いた三本の舌を引き千切った。
嬉しげな咆哮から一転、痛みからの叫びを上げる巨躯の魔物は、傷口から緑色の血を流しながら暴れ回る。
滑稽だ。
ミナトは顔に付いた血潮を舐め取り、相手がこれからどう動くのかを冷静に分析する。
巨躯の魔物は今のところ、突進、舌や爪での攻撃しかしてこない。それなら問題なく殺せるだろう。
だが、ヤツは何かまだ隠している。勘がそう告げているのだから。
故にミナトは追撃に出ず、ただじっと相手が次の一手を打つのを待っていた。
――そして、その予感は適中する。
「アァ……ア……ァアアァアアアッ!!」
突然、巨躯の魔物は叫ぶと、背中の不揃いに生えた氷柱が肥大化しつつ増殖していく。
また、大量の目玉一つ一つには細かな血管が浮かび上がり、その全体が赤黒く変化していった。
(怖。やっぱり早く殺しとけばよかったかも)
あまりの変身シーンにミナトは若干の後悔をしつつ拳を握る。
一方、巨躯の魔物は一通りの行動を終えたのか、落ち着きを取り戻し、白い息を吐きながら唸った。
そういえばここは極寒である事を忘れていた。
ならば相手の攻撃方法も氷系なのかもしれない。
迂闊かもしれないが、そういう予測を立てておく事は大切だろう。
故に背中の氷柱に注意するミナトと、相手を見下ろす巨躯の魔物。
睨み合う両者。
先に攻勢に出たのは――、
「ァアァアッ!!」
「爪か」
一瞬で接近し、右腕を振り下ろす巨躯の魔物。
ミナトは軽々と左に飛び避けると、その床に深く抉り跡が刻まれる。
その威力を脅威に感じたミナトは、その爪と肉の間に手を突っ込むと一気に引き剥がした。
中指の爪を失った巨躯の魔物は唾を散らしながら叫び、四本の舌をミナトに向かって突出させる。
ミナトは高く跳ぶと、剥がした爪でその内の一本を床に深く突き刺し、その間に接近した。
動きを止められた巨躯の魔物であったが、自ら舌を切り飛ばし、左腕を振るってミナトを迎え撃つ。
(腕力がエグいが……なんら問題はないな。このままゴリ押しで勝てる)
為す術なく壁まで叩き飛ばされたミナト。
だが全くダメージはない。服がビリビリに破けただけだ。
それに叩き飛ばされる瞬間に小指と薬指の爪を根本から引き千切ってやった。
巨躯の魔物の右手は緑色の血で塗れており、そこに残る爪はもう親指と人差し指しかない。
たかが人間如きにやられっぱなしの巨躯の魔物は更に怒り狂い、追い打ちをかける様に突進してくる。
先程から同じ行動だ。
それから察するに、背中の氷柱は関係ないのかもしれない。
ミナトはそう高を括ると、抱えた二枚の爪を投げつけ――、
「火、嘘だろッ」
巨躯の魔物は大口を開けると、そこに真紅の炎の塊が生まれる。
それに気付いたミナトが左に素早く転がり避けた後、巨躯の魔物は水色の炎を吐いた。
一直線上に突き進むそれは、ミナトの投げた爪を塵にしながら壁に激突する。
まさか火を吹くとは。
もしこの炎に飲み込まれていたら、どうなっていたか分からない。
ミナトは壁から勢いよく立つ水蒸気を見ながらゾッとしたのであった。
――そして気付く。その炎はただの炎ではない事に。
「――は? 壁が、凍ってる?」
パキパキと音を立てながら、分厚い氷が壁を侵食していた。
そう、この水蒸気は水が蒸発したから発生したのではない。周りの空気が急激に下げられたからだ。
ただでさえ極寒なこの場所。この炎の冷度さは、見るまでもなく明らかだった。
先程の爪も燃え尽きたのではなく、一瞬で氷塵になって弾け飛んだのであろう。
予想外の威力にミナトは「まずいな」と呟くと、どう相手を殺すか、対策を立て始めた。
その瞬間、背中に生えている氷柱が勢いよく増殖し、巨躯の魔物の全身が覆われていく。
そしてそのまま体を丸め、一つの球体となった。
「クソ……面倒くせぇ事しやがって。叩いて割れるか? あれ」
ミナトが観察している間にも球体は巨大化している。
防御に特化したフォルムだが、今の力で叩き割れるだろうか。
割ったとして、あの増殖速度に打ち勝てるだろうか。
いや、考えたところでどうにかならない。
周りには魔装具の気配を感じないし、ミナトは丸腰だ。
それに、相手が守りに入ったのなら幾らでもやりようはある。
故にミナトは深く考える事を止め、あの炎に気を配りつつ突撃したのであった。
――それと同時だった。
「――ッ、コイツッ!」
突然、全身から豪炎を噴き上げた巨躯の魔物が高速回転しながら突進してくる。
その炎の先端から水色に変化していき、数秒もかからない内に完全変色した。
不意をつかれたミナトは両手で押さえるが、触れた箇所から分厚い氷が覆っていく。
ミナトはそのまま巨躯の魔物を持ち上げると、固い床に全力で叩きつけた。
軽心地良い音を立てて氷柱が割れるが、それ以上に増殖するスピードの方が早かった。
気付けば既に腕まで氷が侵食しており、このままでは顔にまで到達する勢いだ。
舌打ちをしたミナトは自身の手を両足で蹴り上げ、荒々しく氷柱から引き剥がす。
そのまま空中で回転し、巨躯の魔物を避けた。
「ダメージは無い。あのヘンテコな炎で死ぬことはないだろう、が――」
着地後、ミナトは手同士を叩きつけて氷を割り剥がしながら呟く。
これは思ったより面倒だ。
あれでは、無策に殴ってもまた同じ事になる。
壁に激突し、器用に方向転換をする巨躯の魔物。
それを見つめながら打開策を探るミナトは、ふと、ランセンカとの会話を思い出す。
『あ、それ変に触ったら爆発するぞー。なんせ "爆灯鼠" の素材から作ってるからなー。でも触らなくても爆発するかも?』
アーチェインと共に部屋掃除を手伝わされていた際、ランセンカはそう言っていた。
それに、ゴミに紛れていたが鼠の死骸もあった。
その時は特に何も思わなかったが、今振り返ると尻尾が導火線っぽいなど、非常に奇妙な見た目をしていた。
――あれが、あれがもし爆灯鼠なのだとしたら。
(爆灯鼠……そうか。今まで俺は召喚の際、一回も魔物の名を呼んでいなかったし、その姿も思い浮かべていなかった。つまり――)
自身の手に纏わり付いた氷を全て叩き割った後、ミナトはその鼠の姿を思い浮かべながら唱える。
「――召喚。爆灯鼠」
――主の声に応じた影が足下で蠢く。
© 2022 風ビン小僧




