第2章29 同系不実
轟音が空間を揺らす。
その直後に凄まじい風圧がエスパッソを切り刻みながら上に吹き飛ばすが、逆にアーチェインを奈落に吹き飛ばした。
巨大な球体の表面も勢いよく波打つが、以前変わらなく浮遊している。
訪れる静寂。
――だが突如、球体が大きくうねり始める。
同時に幾何学的な模様が渦巻いていき、更に複雑な模様へと変質していった。
そして徐々に収縮しながら人の形を取り戻していく。徐々に徐々に。完成体へと近づく為に。
次第にうねる速度が落ち着いていく中、ミナトがようやく意識を取り戻し始めた。
(……なん、だ? 何が起こった。僕、いや、俺は確か腹を貫かれて。そして、そし、て)
真っ暗闇な視界の中、ミナトはこの状況を整理する為に記憶を辿ろうとした。
だがその瞬間、あの女性の声と共にそれ以上何も考えられないようになる。
《生命活動を停止させうる致命的な記憶と感情を確認。思考回路を強制停止、該当の記憶を凍結しました。今後起こりうる突発的な危険性を回避する為、一部記憶を整理します》
そうして禁忌は鉄の鎖で雁字搦めにされ、頭の奥深くに封じ込められたのであった。
誰にも知られない様に。自分が、自分だけが不幸にならないように。
そして遂に完成する。――壊れて冷たくなってしまった心と共に。
《血核の高度次元化、実行完了しました。以下の機能を追加します。魔物召喚 物質生成 迷宮強化。また、/&#_の洗練化も完了しました》
無機質な報告後、藍色がそれぞれ体の部位に合った色へと変化していく。
髪の部分は薄い黒色に。瞳の部分は闇暗い藍色に。肌は儚い白色に。
同時に全身が少しだけ筋肉質になり、身長が僅かばかり縮んだ。
そして大きく破けた服は元通りになっている。
心身共にもう以前のシシメミナトではない。
しかし、それに気付くのは本人含めここには誰も存在しなかった。
「――――」
ゆっくりと見開いたミナト。
以前と比べて大きく変化した景色に狼狽える事なく、冷静に状況を分析する。
眼下には意識を失ったアーチェインが落ち続けており、左を向けば、四肢を失ったエスパッソが壁にめり込んでいた。
まずはアーチェインを救う。
エスパッソから情報を引き出すのはその後でも良い。
一瞬で優先順位を付けたミナトは頭から落ちていくと「開放」と呟く。
回転しながら自然落下するサンゼラを引き寄せて「閉塞」と同時に掴んだ。
そしてミナトは空中で翻ると槍を投げる姿勢をとると、アーチェインに向かってサンゼラを投げた。
それはアーチェインの首筋近くを真っ直ぐ通り、そのまま服を貫きながら壁に突き刺さる。
いい感じに刃が返しとなり、アーチェインは壁に叩きつけられたものの、転落死するのは免れた。
次はエスパッソだ。
ミナトは壁に接近すると、両足をそこに付ける。
そして頭を上げてエスパッソを視界に入れた瞬間、壁を割りながら跳んだ。
「ァ……うぐっ。」
一方エスパッソは意識を取り戻し、痛みで身を捩ろうとしていた。
内臓と全身の骨が悲鳴を上げているのがよく分かる。
きっと直ぐに処置をしなければ死んでしまうだろう。それは駄目だ。その前に逃げなければ。
故にエスパッソは暗闇の中で手足を動かそうとするが、動かせたのは、やけにはっきりとした頭だけだった。
(クソっ……やってくれたなアーチェインの奴。)
もうこれ以上は目を生成できない。
だがそれでも、自分の置かれた状況は嫌というほど理解していた。
――その時、強い衝撃と共に首を押し掴まれる。
「げぅ」
「四肢全部もがれて惨めだな。エスパッソ」
その正体は言わずもがな、シシメミナトであった。
ミナトはすぐさま右手に力を込めると、余った左手で相手の顔面を鷲掴みにする。
逃げる意思を潰す様に両手の力を更に強めると、手足と腹の千切れた断面から青黒い血が噴き出す。
「お前は何者だ。何故俺を襲う」
「ウ、ぁああッ……」
爪でエスパッソの顔面をゆっくりと引き裂きながら問う。
エスパッソはあまりにも多くの謎を抱えている。
もし生かしておけば、今後の生活に支障を必ずきたすだろう。
だからこそ、なるべく情報を引き出した上で殺さなければ。
絶対に殺さなければ。
ミナトはそう考えながら、更に爪を深く食い込ませた。
「ゲヒヒっ……必死、だな。」
「あ?」
「ぐ……げっ、びひっ、びひひっ!」
「笑うなよ。気持ちが悪い」
ミナトは激しい嫌悪と共に顔面を二発殴る。
どこまでも神経を逆撫でする奴だ。
何故なのかは分からないが、こういう存在を片っ端から酷く壊したくなる。
ミナトはますます殺意を鋭くし、エスパッソをズタズタに痛めつけていく。
しかしエスパッソは、それでも語るのをやめなかった。
「――俺みてぇに輝きを持って生まれなかった奴は、一生誰かに後ろ指さされて生きていくしかねぇ。」
「は?」
「これっは絶対だ。誰も愛っしてはくれないだろう。誰も感っ謝してはくれないだろう。親は泣くだろう友っ人もできないだろう。だがそれがどうした? 自分は自分だ。いつも罵ってくる女も馬鹿にしてくるガキも、己の気持ち立てっ次第で殺す事も生かす事もできる。だっからこそ俺は諦めねぇ。――いつかお前を殺すぜ。シシメミナト。」
「そのいつかはあの世に逝った後でも言えんのか? この醜い死に損ないが」
「ケヒヒっ! ゲビ、ヒ、ヒヒヒヒっ!」
憎しみと焦りを感じながらミナトは力を込めるが、それでもエスパッソは嗤い続けた。
何故未だ余裕を保っているのか。
もうエスパッソは満身創痍であり、もうこれ以上戦えないというのに。
――まさか、もう一つ奥の手を隠し持っているのか。
ミナトがそう結論づけ、間髪入れずに首骨を折ろうとした瞬間、死角となっている出口から知らない男の声が聞こえた。
「おわっ!? なんだこれ……」
声がした方を向けば、数名の武装した男達が見慣れぬ奈落を覗き込んでいた。
そう、ようやく援軍が到着したのだ。
ある者は穂先が長い槍を持ち、ある者は杖を背負っている。
加えて全員がスペリア級であり、もうミナト達が負ける確率は万が一もないだろう。
――最悪のタイミングだ。
ミナトの意識と視線がそっちに向かった一瞬、エスパッソは口を大きく歪める。
「――じゃぁなシシメミナト。テメェの人生最後の景色、特等席で観戦させてもらうゼ。」
「――っ」
瞬間、エスパッソの体から大量の紫鎖が勢いよく飛び出す。
ミナトは相手の腹を蹴飛ばして距離をとったが、援軍は為す術もなかった。
突然の出来事に対応できなかった者から、大きく角を曲がった紫鎖に縛られていく。
「何、だ!? 槍が、手がぁっ!!」
「杖が、僕の杖が!!」
「くそ、切れねぇっあ……が」
――それは一瞬だった。
槍と杖はしなれ黒ずみ、手は異臭を放ちながらずり落ちる。
運悪く胴体に巻き付けられた者は、必死に紫鎖を剣で切り落とそうとした。
だが悲鳴を上げる間も無く、黒黄色の血をぶつりと出しながら真っ二つに腐り崩れたのだ。
そうして、援軍の頼もしさは見る影もなくなった。
凄まじい射程と破壊力。
これがもう一つ存在した奥の手であったのか。
聞き耳を立てていたミナトは視線を戻すと、エスパッソの体はもうそこには無かった。
自害、したのであろう。あの紫鎖を全身から出したのだ。塵も残さず消えたに違いない。
最後まで油断ならない怪物だった。
結局何の情報も引き出せなかったミナトは舌打ちをすると、壁に手を突き刺して制止する。
――そうして、深く残った蟠りだけが奈落の底からミナトを覗き見ていたのであった。
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「ふぃ〜……つ、疲れたなぁ」
「まぁ無事そうで良かったですよ。アーチェインさん」
仮置きのテントの中、ベットに仰向けになった全身包帯包みのアーチェインにミナトは優しく声をかけた。
周りには慌しく人々が走り回っており、救護班はこれから本格的に活動する。
ここは光水晶洞窟の近く。エスパッソとの死闘を繰り広げた迷宮の近くだ。
元々賑やかだった場所だったのだが、野次馬も含め、更に騒がしくなっている。
「それにしても、ここの医者は優秀ですね」
「ははっ! エレタ随一の医者が揃ってるからね! じゃないと死んでたかも!! はっ、ぁ。ぃたぃ」
「普通に死にかけ人間なんだから安静にしててください」
ミナトはそう言うと白いシーツを顔まで掛けた。
アーチェインは何も言わず、顔をぶるぶるっと震わせて脱出すると、にかっと笑った。
そのリアクションを見たミナトはもう一度シーツを顔まで掛けると、心の中で密かに感謝した。
アーチェインが出したSOSはエレタ迷宮管理協会を通し、エレタ警備組合にも伝わった。
故に迅速に該当地域から住人を避難させる事ができ、普段忙しいスペリア級を緊急招集する事が出来たのだ。
結果は散々であったが、最悪は回避した。
それもこれもアーチェインの冷静な判断によるものだろう。
それに、ミナトにとって命の恩人だ。
自らの危険を顧みず、ボロボロになりながらも身を挺して守ってくれた。
感謝してもしきれない。
最早、ミナトはアーチェインを大切な人間として認識している。
――それは、アーチェインにとっても悪い話ではなかった。
(色々と計画はおじゃんになっちゃったけど、カイベトさんからの指示通り、ミナト君とは信頼関係を築けただろう。このままいけば前よりも踏み込んだ情報を掴める筈。だけど――)
最初は廻神教の一員と見做し、その正体を暴く為に行動していた。
だが時間が経つにつれ、ミナトは昔の自分と同じという事に気付いてしまったのだ。
間違っている事は分かっている。ミナトは未だ謎の存在なのだから。
それでも、もう敵対心に似た感情はとっくの昔に掻き消えてしまったのだ。
――これからは教え子の一人として接しよう。
アーチェインはかつての親友の顔を思い返しながら、ぶるぶると顔を震わせた。
その時、大きな影と共に大男が現れる。
「ぇ」
「……貴方は?」
「――久しぶりだな。随分と丸くなったじゃないか元頭領?」
声をかけてきた男は、岩の様に巨大で筋肉質の肩に黒狼の刺青を入れ、赤い長髪を後ろで結い、無機質な大剣を担いでいた。
――ダンゼルフィート。
元黒風狼幹部、アーチェインの右腕だった男。
現実離れした展開にアーチェインは目を丸くして驚く一方、ミナトは聞き捨てならない単語に目を丸くしていた。
(え? 元 "頭領" ? まさかアーチェインって盗賊だったの? 違うよね? え? あぁもう分かんない)
久々に頭がくらつく感覚を覚えたミナトは、大袈裟に顔を手で覆う。
アーチェインは説明する間も無く、絶え間なく溢れ出る思いと共に言葉を紡いだ。
「お前今まで何処に!?」
「光輪の龍の手助けをしたり、傭兵になったりしながら世界各国を旅してたんだよ。もう俺は有名人かもな!? ははっ!」
腰に手を当て大笑いしたダンゼル。
きっと、今のアーチェインは彼の性格から来ているのだろう。
そして、二人にとって久しぶりの再会だという事も察した。
それらを理解したミナトは、アーチェインがどんな顔をしているのか振り返ると――、
「そう、か」
「……まさか泣いてる?」
アーチェインは自らシーツにくるまり、その表情を見せないようにしている。
だが声が震えていたので、簡単に推察する事が出来た。
泣き虫アーチェイン。
ミナトがニヤニヤしながら眺めていると、その空気を察したのか、アーチェインは声を張り上げる。
「な、泣いてる訳ねぇだろ馬鹿っ!! この馬鹿がよぉ……」
「泣いてんじゃん」
過去の言葉遣いを少し出してしまいながらも、アーチェインは深い安堵感に包まれたのであった。
© 2022 風ビン小僧




