第2章27 犠牲と完成体
荒っぽい崖道に土砂降りの雨が横からごうごうと降りつける。
上を向けば黒雲、右を向けば奈落。前方からは目が潰されてしまいそうな程の強風。
そんな殺伐とした場所で三人の男が戦っていた。
「っの野郎っ!!」
泥塗れのアーチェインは高く跳び落ちながら、折れたサンゼラを相手の頭に向かって振り下ろす。
しかし、その渾身の一撃を右手の甲だけで軽々と受け止められた。
そして相手は直ぐに手首を捻って跳ね返し、アーチェインは為す術もなく吹っ飛ぶ。
「危、ねぇ!」
体のあちこちを地面にぶつけながら転がるアーチェインは、そのまま空中へと放り出される。
だが崖下へと落ちる前、サンゼラを全力で地面に突き刺して生まれた遠心力で回転して戻った。
そして雨水を散らしながら踵で勢いを殺してゆき、親友の真横で止まる。
(んだよあの強さっ……! このままだとマズい)
視線の先には三十代後半の男が佇んでいた。
これまでにない程に不潔さを漂わせており、厚めの黒い外套が僅かばかりの光を吸収している。
何より異質なのは、両目に付けた黒色の眼帯だろう。
あれでは攻撃の太刀筋どころか、足元すら碌に見れない筈だ。
――だが現状、相手は無傷。
加え、この男は突如アジトに現れると僅か二分足らずで黒風狼をアジトごと壊滅させると、この二人を崖まで追い詰めたのだ。
相手の不条理な強さを十二分に理解したアーチェインは、悔しさと焦りで舌打ちをした。
圧倒的な差が二人に現実を押し付ける。
折れそうな心に力を込めた瞬間、隣にいるダンゼルが真正面を向きながら声をかけた。
「大丈夫かアーチェイン!」
「……あぁ、何ともねぇっ!!」
アーチェインは余裕ぶった笑顔を浮かべる一方、毟る様に強く脇腹を押さえる。
少しの油断が命取りになってしまう。
特にこの殺伐とした死闘では、ダンゼルに心配させる事は出来ない。
しかしダンゼルはその痩せ我慢を横目でちらりと見ると、大剣を握る力を強める。
「――俺に、合わせられるかっ!?」
「ははっ! いつでもどこでもお前となら合わせてやる!!」
雨の唸る様な轟音に飲まれぬよう、必死に声を張り上げるダンゼル。
アーチェインは雨と脂汗で塗れた顔にくしゃくしゃの笑顔を浮かべると、折れたサンゼラを棒代わりにして立ち上がる。
どういう結果だとしても次の一手で最後だろう。
お互いにそれを察しているからこそ、誰も何も言わないのだ。
肩で息をする二人は目配せをすると息を合わせて走る。
――その瞬間、謎の男が眼前に居た。
「――っ」
「クソ、ダンゼ――」
右手で顔を掴まれ、ダンゼルは為す術なく岩壁に叩きつけられる。
それを見たアーチェインは男の背中を狙って一撃を突き出したが、後ろの振り蹴りで飛ばされた。
そしてその勢いのまま吹き飛んでいき、棘岩に身体中を擦りながら落ちていく。
それを確認した男は、ダンゼルの顔をより深く押し込んで動けないようにした。
しかしダンゼルは顔全体に根を張る痛みを堪え、真横に大剣を振るう。
無理な体勢ながらも渾身の一発だったのだが、左手の甲で簡単に弾き飛ばされてしまった。
優に五十キログラムを超える大剣は、まるで小枝の様に回転しながら空に舞う。
そして雨に濡れた地面に突き刺さり、大きな亀裂が二人の足元まで到達した。
「岩骨剣が……! この――」
ダンゼルが蹴り飛ばそうとした瞬間、男はその右肩を殴り割る。
血飛沫と骨の欠片が辺りに勢いよく散らばり、神経が雨曝しになった。
崖下にまで響く絶叫。
だが男は相手の苦しみに嗤う訳でもなく、共感する訳でもない。ただただ死体の様な表情で己の疑問をぶつけたのだ。
「――何故私の邪魔をする? 禁秘の花園はすぐ傍で祝福してくれるというのに」
「何、を……」
突然何を言われたのか理解できず、ダンゼルは思わず言葉を発した。
同時にその口に左手を突っ込まれ、前歯とその周囲の歯を根こそぎ抉り取られる。
絶叫がまた響く。
男は相手からの返答を待っていながらも、痛めつける事を止める気配がない。
別に死んでもいいのだろう。きっと、唯一の目的以外の全てはどうでもいいのだ。
異常者はまた無意味に言葉を紡ぐ。
「誰も飢えず、誰も暴力を愛さない。そうだろう? 誰だって生まれた瞬間から誰かの使徒で運命を背負っている。それから解放してくれるのが花園なのだ。神秘なる花園。君達にはそこに辿り着く鍵となってもらう。賢者だけが到達できる花園までの道を切り拓き、敬虔なる者全てに対応する世界を創造するんだ」
「ぅぐ……ぁ」
異常者が支離滅裂な話をする中、ダンゼルの意識にもやが広がっていく。
右肩からの出血が特に酷い。それに痛みで心臓が鋭く鼓動を打つ。
それに、相棒であるアーチェインはもう既に居ない。
――いや、違う。
「アーチェ、イン……ぉ前は、お前だけは生きろ」
あれぐらいで死ぬ奴ではない。ずっと一緒に死闘を潜り抜けた経験からも確信できる。
だからこそ今、アーチェインの為に全力で命を賭けられるのだ。
ダンゼルは足元一面に広がった深い罅を見ながら、全身に力を込める。
口と右肩からの出血が更に強まるが構わない。
どうせ、散る命なのだから。
「ぅ、ぁぁぁあっ!!」
「――――」
ダンゼルは地面を全力で蹴り抜くと同時に、両手で異常者の右腕を掴む。
罅は徐々に、更に深く広まっていき、地面が一気に崩れ落ちていく。
共に落ちていく異常者は身を捩って逃れようとするが、ダンゼルは掴んだ腕を引き寄せて抱き締める。
その背骨を折る勢いで力を込めるが、逆にダンゼルの腕がミシミシと悲鳴を上げ始めた。
だが止めない。それでも、止めない。例えこの体が朽ち果てようとも。
「る、ぅあぁああっ!!」
「――鬱陶しい」
「うっ」
異常者は一言呟くと、その全身から鋭い長針がランダムな方向に突出した。
それらはダンゼルの腹、右胸、顎、両腕と手を貫く。
無機質で白い長針が鮮血で染まっていった。
意識が飛んでいく。
「ダ ル」
何か下から聞こえる。
「ダ ゼルっ!!」
誰かが横から叫んでいる。
「ダンゼルっ!! ダンゼルぅっ!!」
ぼやけた視界ながらも上を向いたダンゼルは、笑った。
「――元気でな」
全身の肌が破れ、頭からの出血が酷いが、アーチェインはサンゼラを横壁に突き刺して生き延びていた。
初めて出す表情だ。あんなに涙でぐしゃぐしゃとしたアーチェインを見た事がない。
絶対に場違いだろうが、ダンゼルは心から安心して笑みが漏れ出る。
大丈夫。彼ならきっと。人に恵まれれば、彼はきっと変われる筈だ。
だからもう、何も心配はない。そう、何も――。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「ミナト君、ミナト君っ!! 駄目だ! 目を覚ますんだ!!」
傷だらけのアーチェインが叫びながら走り近づいている。そんな事しても、決してどうにもならないというのに。
痛みはない。映画でよく聞く寒さも全く無い。
ただ、漠然とした恐怖と四方から暗くなっていく視界だけは映画の通りだったと気付いたのであった。
「ミ 君!! ミ ト」
アーチェインの叫ぶ声がどんどんと遠くなっていく。
――これが死なのか。
分かっていたつもりであったが、随分間抜けなものなのだな。
ミナトは微かに残る記憶を頼りに、道すがら何も出来なかったことを悔いる。
何も、出来なかった。
後悔する間も無くミナトは目を閉じる。
《活動維持を停止させうる程の破損を確認。血核の高度次元化を行います》
(なん、だ……? 幻聴か? 女性の声が頭の中に響く)
聞き覚えのない声に、推測すら出来ない単語の羅列。
そして、脳に直接語りかけられている様な不思議な感覚。
それらを確認する為、ミナトは目線と首を動かそうとしたが全く動かない。
それどころか、もはや微かな意識も保てなくなってきた。
まずい。ここで眠ってしまえば、本当に取り返しがつかないような感じがする。
そう直感したミナトは全力で身を捩ろうとするが、まるで自分が幽体離脱をしているかの様にピクリとも動けない。
その間にも淡々と声は響く。
《肉魂の不足を確認。記憶の一部を変換して補填します》
無機質に告げられた一言。
あいも変わらず意味は不明なのだが、ミナトは聞き逃さなかった。
(記憶を変換……? 待て。待て待て待てそれは――)
焦りと共に何とか止めようとするが無駄だった。
頭の中にこびりついた残穢が白黒のノイズと共に浮かび上がる。
『お前さえ、お前さえいなけりゃなぁっ!!』
『あ つい ぁ ぃ く ぉ』
(やめろ)
『別にヒーローに○○とは言ってないよ。○○○、人生には必ず○○○があるという事を知ってほしい。人生で○○○○成長できたか、どれほど人を○○○きたか。それで○○○の輝き方が違う事もまた、心に留めておいてほしい。○○ってのは、無視しっぱなしで○○ような設計○○ないんだよ』
(やめろッ!!)
『大丈夫よ真邦。貴方は○○○、○○○○○』
(やめ――)
○○。○○○○○○○、○○○○○。
《成功。全機能を一時停止します》
無慈悲な報告。
そうしてミナトは変化を感じる事なく、意識ごと停止させられた。
同時に訪れる静寂。先程の戦闘が嘘のようだ。
「そんな……」
アーチェインが絶望し、その場で膝をつく。
あの過去を思い出し、またもや何も出来なかった自分に腹が立った。
ただただ見ている事しか出来なかったあの頃の自分。
それを変えたかったからこそ、生涯をかけて生まれ変わると決意したのだ。
なのに、なのに何故。何故こんな結末になってしまったのか。それは――、
「――テッメェが力ッ不足だからだなァァァぁぁぁ? この雑魚。」
「ミナト、君……」
「ケヒヒヒヒッ……完ッ全に死んだなァァァぁぁぁソイツ。もうどうしッようもねぇなァァァぁぁぁ?」
目的を果たしたエスパッソは気持ちよさそうに煽る。
ここで死ぬ覚悟をしていただけに、比較的容易に達成できた現状に酔いしれているのだ。
言い返せない程の圧倒的な敗北感。
熱黒い殺意と白冷めた失意に全身を捻られ、アーチェインは血が出ても構わずに唇を噛み締めた。
「お、前」
「そォォォぉぉぉんな怖ッい顔すんなよなァァァぁぁぁ? ……アーチェイン。テメェッだけは見ッ逃してやる。こッのまま帰れ。」
睨みつけるアーチェインに、やれやれと首を振りながら提案するエスパッソ。
ミナトを殺した以上、もはや興味も失せた。
それに武器も持っていない。丸腰で手負いの人間とやり合っても結果ははっきりと見えている。
故にもう争う必要性はないのだ。
しかしアーチェインは拳を握ると、ゆっくりと力強く立ち上がった。
「帰れるかよ。ここまでされといて誰が引き返せる」
「俺ッは優しさを見ッせてるだけなのになァァァぁぁぁ。まぁ良イ。――死ネ。」
目に闘志を燃やし、徹底抗戦を表明したアーチェインを冷ややかに見つめるエスパッソ。
ニタニタとした嗤い顔から急に無表情に変化させると、トドメをさす様に四方から触手を突出させ――、
「――以降の活動を円滑にする為、周囲に存在する生命及び肉魂を全て取り込みます」
突然、まるで逆再生の様に立ち上がったミナトは無機質な声で呟く。
予想外の出来事にアーチェイン達は呆然とし、動きを止めた。
――その瞬間、ミナトの全身が液状化して何もかもを飲み込み始めたのだ。
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