第2章26 決着
「ぶがゥ」
「る、ぁああああっ!!」
腰を捻り、全身を傾けながら右拳をエスパッソの顔面に全力で押し込んでいく。
プチプチと音を立てて潰れる目玉と割れていく歯。
その口から噴射される青黒い血が自らの頬に付着してもミナトは叫び、エスパッソを奥の壁まで吹っ飛ばした。
「ミナト君どいて!」
ミナトが追い討ちをかけようと走った瞬間にアーチェインが呼びかける。
振り返れば、素人目でも完全に溜まったと思うぐらいの超高密度まで圧縮された風の矛があった。
それは優に二メートルを超しており、本来は目に見えぬ筈なのだが、ミナトの目にはまるで白銀の神矛の様に映ったのである。
まさに神的なセンスと技術。
一瞬見惚れたがすぐに正気に戻り、アーチェインの言葉通りに跳んで立ち去るミナト。
アーチェインはミナトが安全な場所にまで避難した事を横目で確認した後、槍型のサンゼラを強く握り締め、吹き飛ばされないように地を踏み締めた。
「シデル・テ――」
そして発動し、相手の腹を消し飛ばす筈だった。
――しかし、その前に地面から突き出した触手がサンゼラを天井まで突き飛ばしたのである。
同時にあれ程溜めていた風の矛は拡散して消えてしまった。
「――っ」
「まずいアーチェイン逃げろっ!!」
二人が驚くのも束の間、巨大な触手が的確な場所から六本ずつ突き生えてくる。
壁、床、天井。人が立ち入る隙間も無い程に埋め尽くされていく。
故にミナトとアーチェインの二人は下がる事を強いられた。
アーチェインは天井に突き刺さったサンゼラを一瞥した後に舌打ちをすると、あらゆる方向から来る触手を避けながら下がる。
最大の武器を失った今、自信を守る物は何も無い。
アーチェインは静かに冷や汗を流し、心の底から危機感を抱く。
一方、隙間から僅かに見えるエスパッソは自身の顔を右手で覆い、青黒い血と破裂した目玉の一部に塗れながら泣いている様に見えた。
「『人生を良くも悪くも大きく変化させるのは結果だ。最善の結果を出す為には苦痛も感情も全て道具とみなし、他人を出し抜いていけ。君なら出来る』――あァ、忘れッてたなァ。あのお方ッからの声ヲ、その慈悲ヲ。これじゃぁ "五欠不浄" 失格ッだなァァァぁぁぁ顔ッ向け出来ねぇなァァァぁぁぁ他の奴ッらに申し訳ねぇッよなァァァぁぁぁ。」
誰にも聞こえない程の小声で呟くエスパッソ。
後悔も懺悔も、何もかも終わった後で十分にすれば良い。
今を生きる事。全力で任務を遂行する事。それらが自身に与えられた使命と運命なのだ。絶対に果たさなければならない。
偽りの記憶を思い出し、完全な精神状態を取り戻したエスパッソは立ち上がり、顔面に目付きの触手を生やし巻き付けていく。
同時に六本の触手がそれぞれ一つに束ねられ、螺旋状に捻られた後にぬめりを滲み出した。
「――乱螺剛柔。冷ッ静に戦うからこそ、楽ッしみが生まッれるんだッよなァァァぁぁぁ?」
エスパッソは剥き出しの歯を擦り合わせると、全ての触手を丸腰の二人に向かって解き放った。
まず手負いのアーチェインを潰そうとその周囲の触手が全方向に高速で荒ぶる。
以前とは打って変わってスピードが速くなっている。
サンゼラで逸らす事も出来ない為に大きな動作で避けるしかなかった。
そして右や左から高速で振られる束られた触手に体力を削られていき、ついには左耳の上を抉り取られる。
ミナトはそれを見て舌打ちをした。
サンゼラを取り戻す必要性を理解しているからこそ、何も出来ていない現状に腹が立つのだ。
故に拳を握りしめ、前方から来る触手を殴り飛ばす。
苦戦する二人を見つめながら、肥大化させた左腕を真正面に向けたエスパッソは嗤う。
「どうしッようもなく涌いッて出た感情を抑えられなかッたり、急に腕が動ッいたり知らねぇ名ッ前を呟くのはきット、俺が不完ッ全だからダ。だがなァ――」
左腕に生やしている触手を全体的に時計回りに捻っていくと、次第にドリルの様に高速回転をし始めた。
二人の姿が重なる瞬間を狙い、触手を操る。
「不完ッ全だからこそ完ッ全の美しさを知れル。それッてよォォォぉぉぉ素ッ晴らしい事ッじゃぁねぇかァァァぁぁぁ? そのッ美しさを求めッて腐心するのもまた成長だからなァァァぁぁぁ。」
(くそっ……! サンゼラさえ取り戻せればもう一度 "あれ" を――)
エスパッソの膨張し続ける左腕を見たアーチェインは果ての無い危機感を抱く。
ただでさえ四方から襲いくる触手を躱すのに全神経を注いでいるのだ。
あの通路を覆い尽くす程の巨大で異質な触手を解き放たれてしまえば、自分どころかミナトすら殺されてしまう。
その前に何とかしなければ。
アーチェインは体力の限界を感じながらも次の一手を考えていた。
しかしその唯一の策も、希望すらも打ち砕く様な絶望の一手を先にエスパッソが打ったのである。
「未来も過去も関係ねぇッ! 一ッ緒に "今" を楽しもうぜ! アーチェイン、シシメミナトォッ!! 」
「――っ」
興奮しながら叫んだ一言と共に突出された左腕は、この迷宮の壁を大きく削りながら突き進む。
避ける隙間は無い。眼前を覆い尽くす程の巨大な触手。
細かく砕かれた魔物の死骸と自身の触手を抉りながら、ミナト達を襲う。
――明確な死のイメージ。
アーチェインはただただ見開く事しか出来なかった。
「興奮蛸頭が調子に乗ってんじゃぁ……ねぇぞッ!!」
しかしただ一人、この状況に抗おうとする者が居た。
自身の体はどういう訳かとても頑丈で、痒みや痛みすらも感じない。それを利用する。
ある種の賭けだが、巨大な触手に砕かれるよりかはマシだ。
腹を括ったミナトは魔物の臓物に塗れたナタを見つけると、ランダムに来る触手を避けながらそこに向かって走る。
眼前には迫り来る巨大な触手。ここに到達する前に掴めるのか。
ミナトは精一杯に腕を伸ばし――、
「――ッの野郎ォオォッッ!!」
右腕を振り上げながらナタを掴み、迫り来る触手の先端にぶつけた。
飛び散る火花。
しかし魔装具であるサンザラとは違い、切れ味も耐久性も低い普通のナタだ。
直ぐに刃こぼれし、徐々に罅割れが全体に伝わっていく。
だがここでは終われない。いや、終わる筈がないのだ。
ミナトは左肘を後ろに引くと、全力で触手に貫き立てる。
そこからその腕を引き落として広範囲を抉った。
よく見れば、この触手は大小様々な触手が一本に束ねられて形成されている。
ならばそれら全てを切り落とせば、その分体積も減少する。
大分無理難題な話だが、それしか方法はない。二人が助かるにはそうするしかないのだ。
そして、あの感覚をもう一度味わなければならない事も。
(ミナト君が踏ん張ってくれている、触手の動きも悪くなった! ――今しかない)
アーチェインは両手を勢いよく合わせると目を閉じ、周囲に散り消えた風と魔力に意識を集中すると、先程不発に終わった奥義を再発動し始める。
「ウ、ァァァッ!!」
左手にナタを持ち替えると、ミナトは両腕を不恰好に振り抜き続ける。
全方位から抉られ、切り取られていく触手は辺りに散らばっていく。
どこまで削れば良いのか不明だが、相手もこちらを視認できていないのだろう。現状、背後の触手がまともに動いていない。
ミナトは少しずつ押されながらも床を見る。
魔物の死骸。細かく潰されているが、右手で触れれば謎の力に変換される。
その理屈は斬り取った触手にも適用されるだろう。また、辺りには沢山の変換できる物質がある。
故にこれら全てに触れ、力に変換する事が出来れば、この敵を殺せる可能性がぐんと上がる。
そして一瞬の隙をついて触れようとした瞬間、アーチェインの声が背後から響く。
「――ミナト君しゃがんで!!」
後方から吹き抜ける風を感じたミナトはその声を信じ、右に跳びついた。
アーチェインは目をかっ開くと、細く小さな風の矛を何本も生成し、迫り来る触手を補足する。
「シデル・テ・ノヴァ!!」
音も無く解き放たれた風の矛は、巨大な触手を広範囲に抉り貫いていく。
轟音と次々に飛び散っていく触手の欠片。
その体積は徐々に削られていき、次第にエスパッソの姿を映し出していった。
「アーチェインッ!」
「分かってる! させないよ!!」
ミナトはエスパッソに向かって走るのと同時に、右手で魔物の死骸を掬う様に触れていった。
押しやられる触手と消えていく死骸。
そこまで急ぐのには理由がある。
徐々に姿が見えてきたエスパッソは、両手を握り締め、その拳の真ん中から硬い螺旋状の触手が一本突き出していたからだ。
アーチェインが奥の手を持っているのと同じ様にエスパッソにも奥義がある。
きっと、それを放とうとしているのであろう。アーチェインとミナト二人を簡単に捻じ伏せてしまう程の強力な奥義を。
「クソ、刺されッ!!」
到底間に合わないと察したミナトは左手に持ったナタを投げつけた。
横に回転しながら飛んでいくナタ。
――しかし、エスパッソは不気味な程に何もしなかった。
避けもせず、慌てる様子もない。
ただ、悪辣な笑みを深めただけだった。
そういえば何故魔物の死骸は変換できて、切り取られた触手は変換できないのであろうか。
そこでミナトはもう一つある能力のルールについて思い出す。
(吸い込めるのは無機物と "命が宿っていない有機物" だ。もし、そのルールと物を力に変換出来る能力に関してのルールが同じだとしたら? だとしたら、これは、まさか――)
何かに気付いたミナトはその場で急転換し、アーチェインに走り向かいながら叫ぶ。
そして、驚きで動きを止めたアーチェインに手を伸ばした。
「――逃げろアーチェイン! 俺達は既に囲まれていたッ!!」
「――っ」
「ケヒヒッ! 遅ッせぇぇぇんだよなァァァぁぁぁッ!! 弾暴業強ッ!!」
「開放ッ!!」
悪辣に嗤ったエスパッソの声に応じ、床に飛び散った触手が突如うねり出す。
アーチェインに体当たりをしながら覆い被さるミナトは、全身に廻穴と黒穴を発動する。
魔物の死体を引き寄せ、少しでも盾代わりの物を周りに展開させたかったのだ。
その時、切られた全触手が全方向に飛び跳ね、魔物の死骸とナタを塵に変えていく。
今のミナトでさえ視認できない程のスピードで飛び跳ね続けるそれらは、頑丈であった筈のミナトの体を削り取っていった。
或いは刺さり、貫き、叩きつける。
痛みは不思議と感じないが、部位が不足している感覚は益々と強くなる。
アーチェインが下から何か叫んでいるが、この轟音で何も聞き取れなかった。
余裕さを感じさせるエスパッソは、螺旋状の触手を高速回転させると両腕を膨張させる。
「所ッ詮これは付け焼き刃だッ! だッがなァ、ショットから教えッてもらッたこの技はそれッでも強ぇんだよ信じッてるからなァァァぁぁぁッ!!」
「――ッ! クソ、がッ!!」
「ミナト君、駄目だっ!!」
両拳から鋭く回転する細い水柱を放射し、触手を解き放つ体勢をとるエスパッソ。
振り返ったミナトはアーチェインの胸倉を掴むと、全力で奥まで投げ飛ばす。
何故そうしたのかは分からない。ただ、気付けばアーチェインだけでも救おうと動いていた。
何故ならばそれが、それがきっと父の――、
「――圧縮噴放ッ!!」
エスパッソの全身が萎み、耳をつんざく破裂音と共に解き放たれた触手。
それは時計回りに高速回転しながら真っ直ぐ突き進む。
奥義は今、放たれたのだ。
「――ミナト君っ!!」
自然落下するアーチェインの悲痛な叫び。
どっと音を立てて膝をつくミナト。
「任務完了。"決着" ッてやつだなァァァぁぁぁ。」
――ミナトの腹には大きく、丸い穴が開いていた。
廻穴と黒穴については「第1章13 気まずさと落ちこむ気分」で説明っぽいことしてます。
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