第2章22 蠢く
(何だコイツ……? 人の言葉で喋る魔物なんて見た事がない)
警戒するアーチェインの眼前に映るは、全身が白い皮膚に覆われた人型の怪物。
その皮膚は蛸とナメクジの中間の様に湿っており、大きく裂けた口以外に顔のパーツは存在しない。
そして長い腕に大きく丸みを帯びた指。
後頭部からは触手が何本も伸びており、まるで髪の様になっている。
人型の怪物は持った人の腕をボリボリと貪った後、透明なぬめりと共に吐き出し、歯を剥き出しにした。
「よくさァァァぁぁぁ、腹がッ減ッたら力が入らねェッて言うよなァ? もし胃袋が無くなれッば力も無くなッちまうのかなァ? それとモ、力が溢れッて壊れちまうのかなァ?」
「は? 不快だから喋らないでほしいし、早く餓死して死ね」
「ひッどいなァァァぁぁぁ……少しは俺を労ってくれよなァァァぁぁぁ?」
相手の言葉に軽く悪口を返すアーチェインに対し、ニタニタと笑みを深める怪物。
側から見れば随分と余裕がある様に見えるが、実際には余裕が無かった。
ミナトは異常性を発現し、薬を投与されたであろう魔物の集団、そして謎の人型生物。
――廻神教。
脳裏にその言葉が浮かんだアーチェインは生唾を飲み込む。
以前からその組織がこの町で活動している噂は聞いていた。
それを確認する為にミナトに接近し、恩人であり上司でもあるカイベトの指示に従っていたのだ。
だがしかし、この出来事で判明した。
(廻神教は確実に "ここ" にいるっ……!)
生温い空気とむせかえる様な悪臭。捉えられない気配と掴めない全容。
初めて廻神教の脅威と対峙した時と似ている。
握るサンゼラの温度が高まっていくのを感じながら、アーチェインは殺意と押し焦る気持ちを必死に抑えていた。
アーチェインは周りを見回して一歩半下がると、踵でミナトの左肩を何度も軽く蹴る。
庇いながらでは勝つ自信がない。
それにミナトを戦力に加えれば、勝率はぐんと上がる。
ナタを持たせ、あの馬鹿力を有効活用すればあるいは。
「ミナト君、起き――」
「ケケケッ……くたばってんなァァァぁぁぁ? 暫くは動けそうにもねぇなァァァぁぁぁ!?」
ミナトは遅く小さな呼吸をするだけで、うつ伏せで地に転がっていた。
怪物はミナトの弱々しさを感じ取ると口を更に裂きながら嗤う。
刻々と悪化していく状況にアーチェインは舌打ちをした。
(ミナト君と戦っている間に応援を呼んだけど……早くて5分くらいか。コイツの目的が分からない以上、外に出すのは危険だな)
アーチェインは自らの魔導機を使い、保険としてエレタ迷宮管理協会とエレタ警備組合に緊急連絡を入れていた。
攻撃の手が一瞬だけ緩み、ミナトが噛みつかれていたのはそういう理由からだ。
故にあともう少しで援軍が来るだろう。
――だがもし。だがもし、援軍を呼ばせる事が目的だとしたら。
突如湧いて出た考えに、アーチェインは奥歯を噛み締めて否定する。
もし魔物の大群があのまま進行していたら、この町は壊滅的な被害に遭っていただろう。
その最悪の結果からは免れたのだ。それを喜ぶべきなのだろう。
怪物はそんなアーチェインの考えすら楽しむ様に声を張り上げる。
「いッきなりすぎて色々と分ッかんねェよなァァァぁぁぁ? 心中ッ穏やかじゃぁねぇよなァァァぁぁぁ? だけどお前ッが迷い込んだからこうッなッたんだぜェ? ――シシメミナトォッ!!」
「ぅ」
「無理に動かないでミナト君。十分に回復してから一気に逃げるんだ」
「ぁ ちぇ」
「大丈夫。ここからは本当に守るよ」
相手の挑発ともとれる発言に、ミナトは顔を少し上げた。
激しい嘔吐感と体の震えに苛まれる中、その言葉に何か引っかかったのだ。
頭は当然回らない。耳も聞こえづらい。だが、違和感だけは無視できなかった。
ミナトはその僅かな情報を掴む様に地に爪を立てる。
一方アーチェインは、自身の冷酷さと本心との衝突に苦しんでいた。
頭ではミナトを有効活用する事が最適解だと理解している。そして、その答え通りに動くべきなのだろう。
だがしかし、過去のトラウマがそれを邪魔する。いや、ここまで培ってしまった心と言うべきか。
どちらにしろ、アーチェインにミナトを見捨てるという選択はやはり出来なかった。
一瞬冷静な目をした怪物は、後頭部に付いている触手を伸ばし、迷宮の固い地面に何本も突き刺す。
そして相変わらず余裕の笑みを浮かべて、ぬめりを分泌した。
「俺がここッでしなきゃぁなッらないのは "シシメミナトの抹殺及び解体" だァァァぁぁぁ。簡ッ単だよなァァァぁぁぁ? 今のお前ッ、戦えそうにッもねぇもんなァァァぁぁぁ!?」
「あのさ。俺、透明人間になったつもりはないけど」
「見えッてねぇんじゃぁなくて見てねぇッて事に気付けッよなァァァぁぁぁ? 金貨の前に雑草は生えぬッてよくッ言うしなァァァぁぁぁ?」
怪物は鋭い歯を擦り合わせながら、やはりミナトを挑発する。
また同時に怪物の明確な目的が判明し、撤退する道が閉じられた事も明らかになった。
――そして強まる殺気と止まらない悪意。
例えそれが自らに非が無くとも、原因は自分にある。
ミナトは迷惑をかけまいと立ち上がろうとするが、途中で力が抜けて崩れ落ちた。
それはまるで生まれたての子鹿。
だが、みっともない姿を晒してでも足手纏いになる訳にはいかないのだ。
アーチェインは怪物からの視線を遮る様に立ちはだかり、低い声で挑発する。
少しでもターゲットを自分に向けたかったのだが、以前変わりなく怪物は余裕さを見せながら嗤った。
「へぇ? 俺も舐められたものだね。これでも昔、墓崩しに一撃入れた事あるんだけど」
「聞いッた事もねぇ栄ッ光に縋りまくッてる時点で雑魚臭がすんだよなァァァぁぁぁ。お前、名前ハ?」
「ラモア・ルベイ・アーチェイン。――テメェの遺言届け人だ」
アーチェインは自己紹介を済ませると姿勢を低くし、臨戦態勢をとる。
勝てる、だろうか。
ミナトが力を取り戻すまでの間、援軍が来るまでの間。アーチェインはたった一人で、しかも庇いながら戦わなければならない。
それも怪物の実力は未知数。不安を感じずにはいられなかった。
――アーチェインは冷たい冷や汗を流す中、ふと疑問に思う。
"墓崩し"は廻神教の一員だ。そして現在、世界から"断罪人"の次に危険視されている人物。
ならびに廻神教はそれぞれの役割があり、目的の為に手段を選ばない、統率された犯罪集団だと考えていた。
なのに何故、"墓崩し"という呼称を知らないのか。煽りという可能際もあるが、
もしやこの怪物は廻神教に関わっては――、
「ケケケッ……イキがってるのも良いガ、実力がねぇとなァァァぁぁぁッ!?」
その一瞬湧いて出た疑問は、怪物からの鋭い殺意で掻き消される。
叫ぶ怪物は腕から触手を勢いよく何本も出し、自由自在にうねらせた。
そしてそれらの血管を太く浮き上がらせ、いつでも相手を刺し殺せるように先端を固く引き締め上げる。
何本も何本も。何本も引き締め上げ、そこから透明な分泌物が滲み出してくる。
「まずいね、こりゃ」
アーチェインは苦笑いを浮かべながら呟く。
その少し上を見上げた視線の先には、虫取り網の様に張り巡らされている触手があった。
既に床に深く刺し込んでいる触手の本数を加えると、ゆうに五十本を超えている。
通路を覆う程に吹き出すぬめりが怪物の足元を覆っていく間にも、どんどんと怪物の腕からは触手が湧き出ていた。
アーチェインはサンゼラを更に強く握ると、怪物の細かな動きも見逃すまいと睨みつける。
例え何十本でも何百本でも打ち落とし、その首を刎ねる。そうでなくては、スペリア級失格だ。
「俺ッはシヴェルデ・A・エスパッソ。――出来るッだけ惨たらしく解体しッてやるからなァァァぁぁぁ。」
剥き出しの歯を擦り合わせながら、怪物はギリギリまで絞った触手全てを相手に向けて解き放った。
© 2022 風ビン小僧




