第2章16 遥かなる視野
全体が鋭利に尖っている薄いヒスイ色の壁。
そしてそこに等間隔で付いている、ぼんやりとした灯りが奥まで明るくしていた。
横幅はトラック約一台分であり、つるつるとした床はしかし、何も滑らせることはない。
閉鎖感が漂う場所。そこに二人の人物が影を落としていた。
両者とも黒い外套を羽織り、顔は見えないようになっている。
だが、その目が虚ろなのは雰囲気から察する事が出来る。
周りには当然人気が無く、それ程に大事な話なのだろう。
正しいか、そうではないかは別としてだ。
「あの魔物は?」
「まだ檻の中にいる。」
人に聞こえない様に、声が響かない様にボソボソ喋る二人組。
しかし、その話の内容に沿う檻も魔物も何処にも見当たらない。
ただ、わざわざこの場所を対話の場に選んだのは、少なからず関連性があるという事だ。
片方の人物は辺りを見回すと、もう片方に問う。
「そうか。もう例の薬を投与したのか?」
「あぁ。お前は?」
「こちらも順調だ。他の魔物にも投与しろ。」
「分かった。お前も上手くやれよ。」
「――あぁ。この自我も賭けて臨むのみだ。」
会話が終了した途端、二人組は散り散りに去っていく。
経緯、計画、および、もたらす結果は不明。
魔物に薬を投与し、何を成すのか。何が順調に進んでいるのか。その真実は彼らと共に闇に沈んでゆく。
だがしかし、明らかな事実が存在している。それは人知れず計画の実行が開始された事だ。
彼らは大いなる目的の為に動くだけ。
――ただ、大いなる目的の為に。
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場面は戻り、ミナトを絶賛困らせ中のアーチェイン。
何故か誇らしげさとワクワクの狭間の様な表情を浮かべているが、当のミナトは眉間に皺を寄せている。
その理由は単純明快。とてもメンドくさそうだからだ。今言うべき事なのかという疑問もある。
しかしアーチェインは全くそれらを気にせず、ハキハキと話し続ける。
「ミナト君は確か初めてだよね! 説明すると――」
「いやいやいや。急すぎるし。それに今? 僕が言うのもなんだけど、結構不味くないですかこの状況」
「えぇ?」
「え?」
そのまま固まる二人。しかし時間は進む。
ミナトが体験実習を経験していないの前提に話が進められている事実にも引っかかるのだが、今問題はそこではない。
絶賛出血中の少年と意識不明のミドルを放置している事が問題なのだ。
その状況を作り出したのは当のミナトなので、無視する選択肢は存在しない。
謝る気もないが、このまま死なせる気もないのでさっさと回復して欲しいところである。
なのでミナトは、実は内心多少焦りながらもアーチェインに提案する。
「まず、この二人を医療室やなんやらに持っていった方が……それにミドル君は貴方の生徒なのでは」
「あぁミドル君? 彼は大丈夫だよ! いつもの事だし!」
「いつもの事?」
「そうだよ! 毎日俺と戦ってこうなってるから安心して良いよ! はっはっはっはっはっ!」
(笑い事か……?)
心の中でちょっと引いたミナト。こちらは二人もボコボコにしてるので、絶対に口には出せないし出さないが。
しかし、これが普通とか意味が分からない。
日本に生まれたからか、教師が生徒を毎日タコ殴りにしているのは問題ありだと思ってしまう。いや、そうでなくとも問題か。
そして怪我人を放置してアーチェインが笑っているのも、魔法が存在する世界ならこんなの擦り傷の一つとでも捉えられているからだろうか。
どうにかこうにか、ゆっくりと異世界の考えに慣れていくしかないとミナトが決心した瞬間、甲高い声が耳をつんざく。
「――ちょ、ちょっとぉ! 私達の事忘れてない!?」
ミナトとアーチェインの二人が声がした方向を見ると、少女Bが服の裾を掴んで焦っている。
別にミナトは相手を放置しているつもりはなかったのだが、会話の内容から勘違いされたらしい。
その雰囲気から察するにやっぱ放置するのはおかしいのか。脳内情報アップデート前に気付けて良かった。
ちなみに手が砕けた少年は「ぁ……あっ、ぁ」と小さく呻いている。やばい。
「うーん、もう少し放置しておきたいところだけど……仕方ないか。運んでからまた説明するよ、ミナト君」
とんでもない事を言い始めた。とんだサイコパス野郎だ。
もう自分の脳内情報は正しい事が証明されたので、勝手に評価しても良いだろう。こいつはとんだサイコパス野郎だ。
そんな奴の話なんて聞きたくないので、何か理由を付けてこっそりと逃げることにしよう。
自らの行いについて全く慮る様子のないミナトはそう思う。
ニコニコしているアーチェインをちらりと見た後、ゆっくりとミドルの方を見つめたミナト。
「……僕は血だらけの奴なんて運びたくないんで、ミドル君を連れていきますよ。そのついでに飲み物とか貰ってきますね」
「あれ? まさか面倒だから逃げようとか思ってない?」
「早くしないと死にますよ」
「はいはい。あ、ちなみに君の言う医療室への行き方は知ってるよね?」
「……」
「じゃあ道すがら世間話でもしようか、ミナト君?」
「ちっ」
駄目でした。クソ。
黒髪をくしゃくしゃに掻き回したミナトは、せめて汚れまいとミドルを拾い上げた。
そのまま左肩に乗せるとムニャムニャ言い始めたので、特に大事につながる怪我はしていないだろう。
あまりにも気持ち良さそうに寝ている為、この尻を引っ叩きたくなる。
その気持ちを我慢する中、地獄耳アーチェインは「あ。舌打ちした」と呟いたが無視無視。
そして無視されたままシーダに手をかざすと、まるでお姫様抱っこされているかの様にふわりと浮かび上がる。
アーチェインの風魔法だろう。応用がきくので、いつか使えるようになりたいが、彼が器用が故に便利になっている気がする。
もし、リアが風魔法を使ったら確実に今のでシーダが木っ端微塵になっているに違いない。
二人は医療室に向かい歩き始めた。
「体験実習について説明する前に聞きたいんだけど、俺の買ったナタと魔導機は持ってる?」
「えぇ持ってますよ。捨ててませんからご安心を」
「捨てるという選択肢は普通思いつかないと思うんだけど……まぁいっか! もし今魔導機を持ってるなら、左小指に付けてみてよ! きっと似合うだろうなぁ〜」
(うぜぇ……まぁ、無くしたら罰金だし付けておくか)
ニマニマアーチェインにイラつきながらもポケットから何の変哲もない指輪、魔導機を片手で取り出してはめる。
しっかりと冷たくなった指にこれまたぴったしと密着する。しかし締めすぎず、かといって緩くもない。
どこか不思議な感覚に酔いしれながらも、いつ指のサイズを教えたか記憶を辿った。
いや。やはり教えた記憶は――、
「――おぉっ!! ミナト君の指にぴったし! ついでに、リアちゃんはそれを無くして大罰金をくらったらしいよ!」
「"ついで"で人の失敗を語るな」
結果に辿り着く前に大声で遮られた。しかも、リアの失敗体験を強制的に聞かされた。そして思わずツッコんだ。
その三つの出来事、ついでにリアが自分を巻き込んでこき使った理由を察してしまい、あやふやな予想は塵々となって消えていったのだ。
アーチェインは矢継ぎ早に、まるでミナトに思い出させない様に言葉を紡ぐ。
「じゃあ本題について喋るね! 体験実習というのは俺の生徒達全員が体験してるもので、実際に依頼を受けながら町の人々と交流するんだよ! ……まぁ、当然のこと依頼の難易度は一番低いものだからミナト君にとって退屈かもね」
「いやいや、俺を戦闘狂に仕立て上げないでください」
「あ、そうなの?」
「あ、そうなの? じゃねぇ」
「これが終わったら早速取り組もうね!」
「流すな」
アーチェインと一緒に居ると、どうしてもツッコミ役に回ってしまうミナト。
でもこの流れにも慣れてきた気がする。それだけで随分と自信がついた気がするが、気は気だ。所詮ミナトはコミュ症なのだ。
加えて厄介な特性があり面倒なのが、周りの人間や社会にとって本当に害だ。
今はその事に気付いていないミナトは、そういえば特殊な武器をアーチェインが使っていたのを思い出し、この際に問うてみることにした。
「ところでアーチェインさん。マソウグ? って何ですか?」
「ん、魔装具? これの事かい?」
アーチェインはそう言うと、腰から僅か二十センチばかりの小さな銀筒を取り出す。
揶揄っているのだろうか。いや、そんな雰囲気はしない。本人は至って真面目に言っているのであろう。
きっと伸びたら縮んだりする如意棒タイプの武器なのだ。
魔装具。まさにファンタジー世界にぴったしのロマンである。
あの時のプレゼントはこういうのが良かったなと我儘に思いつつ、話の続きを待つミナト。
「これは迷宮内でたまーに見つかる超有能な武器、それが魔装具だよ! そして俺が愛用しているのはサンゼラ! ――生まれた時からずっと一緒さ!」
「へー」
「聞いてきたのに興味なさそう」
魔装具は貴重品なのか。
それに迷宮内には化け物の様な危険が沢山散らばっており、目の前のサンゼラを手に入れるまでにとても苦労してきたのであろうと察した。
故にプレゼントは期待できそうにもないので、なんとか自力で入手するしかない。どうせ何処かの商人が高値で売っているだろう。
運に頼りながら迷宮に潜るか、大金稼いで買うかの二択。どちらを選ぶか迷っていると、最後の一言を聞き逃した。まぁ実際、聞いていたとしても興味は湧かないと思うが。
――その時、電撃と共に重要な情報を思い出す。
今の今まで忘れていたのが不思議なくらい重要な情報だ。
やはり未だ旅行気分が抜けきれていないのであろう。
しかし、これはリアル。時間が過ぎれば半ば強制的に家へと帰還させられる遠足ではないのだ。
気を抜けば死。この世界に迷い込んだ時もそうであったではないか。
故に知っておかねばならない。この世界に来た原因、――青い花の事を。
「青い花について何か知りませんか?」
「青い花?」
「えぇ。輝いてて派手な形をしてるやつです」
「うーん……ラッパ草の事言ってんのかなぁ」
「何でも良いんで教えて下さい」
「ルイン帝国周辺に群生してる一年草、それがラッパ草なんだけど……派手な形はしてないんだよねぇ」
「そうですか……」
有用な情報を聞き出せなかった。しかし、目的の花に繋がるかもしれない"ラッパ草"については聞き出せた。
ラッパ草と同じ分類に分けられているのであろうか。だがそれならば何故、日本に生えていたのかが気になる。
それらから察するに、ラッパ草と青い花の関係性はやはり無いのかもしれない。
それでも、いつかルイン帝国に行く価値はありそうだ。いつか、いつか行こう。
そう心に決めたミナトが居る一方でアーチェインは顎をすらりと撫で、首を横に振った。
「ま、今はどうか分かんないんだけどね。何しろルイン帝国が誰も近づかせないようにしてるし」
(あ。そういえばデロバッサ君が爪族と同じくらい危険視されてるって言ってたな……危ない危ない)
アーチェインの一言で漸く思い出した。
ずぼらな頭だ。覚えておかなければならない事柄をことごとく忘れているのだから。
もっと注意深くならなければという思いと、別にどうだって良い思いが競合し、ミナトに拳を握らせた。
死んでも構わない。ルースが居ればそれでいい。でもやはり青い花について知りたい。
胸の中がゆるりゆるりと悲鳴をあげ始めたミナトは、少し歩く速度を落とした。
「まぁもっと知りたかったら、リッチェちゃんに聞いてみてよ。ミナト君は俺の生徒だし、その子も俺の生徒だから気軽に話しかけれるでしょ?」
「あぁうん……はい。そうですね」
簡単に話しかけられる訳がない。
十三年間、伊達に孤独を育ててはいないからだ。
それはコミュ力の衰退に拍車をかけ、すっかり子供特有の騒がしさはその身を潜めることになったのであった。
自身の情けなさに恥ながらも微妙な返事を返すミナトは、足を止めたアーチェインに続いて静止する。
閉じられた明るい色の木扉。この部屋が医療室なのだろうか。
なら早速運び入れなければと、ミナトがドアノブを握ろうとした瞬間にアーチェインが発言する。
「じゃ、早速取り組んでもらうよ」
「まさかここの掃除とかですか?」
「掃除の部分は合ってる! 察しがいい! だけどね、ここじゃなく――」
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「――ここさ!」
「今までありがとうございました帰らせていただきます」
「ちょちょちょ! 待って待ってえっ!!」
今二人が立っているのは明るい色の木扉の前ではなく、開け放たれた扉の前だ。
それも全体的に長年の埃で黒ずんでいる。どれだけ掃除していなかったら、ここまで汚れるのだろうか。というか掃除しなくてもこの状態にはならない。
加えて、そこから廊下にまで黒袋ゴミと何かのカスが溢れ出している。汚い。汚すぎる。
あまりにも汚すぎる為、ミナトは無心になった。
その時、天井に届きそうな程、特に高い黒袋の山がモゾモゾと蠢く。
同時にミナトの頭の中で巨大なGのシルエットも蠢く。
もしそうならば全力で逃げよう。何もかもを捨て、たとえアーチェインが止めようとも全力で逃げよう。
そして、がさんと音を立てて落ちる黒袋。
ミナトが本気で動こうとした瞬間、紫色の毛玉らしき物体がぴょこんと飛び出る。
――まさかの毛玉。
予想していなかった分、腹の底から悲鳴をあげそうになるが、ぐんと飲み込んだ。
警戒しつつそのまま目を凝らしてみると、それは更に飛び出した。
いや、飛び出したというよりは徐々に滑り落ちてきたというべきか。
どちらにしろ、その正体は白衣を着た紫髪ツインテールの少女だと判明した。もう白衣いらないだろ。
ちなみに怪我人二人は、昨日の朝に会った老年男性医者に一方的に預けた。感謝。
芋虫並みに怠惰な動きをしながら頭をもたげる少女は、未知の生物に向ける目をしているミナトと視線が交差する。そして口をゆっくりと開け始めた。
「んぉ? せんせー、そいつは?」
「俺の新しい生徒さ! ほらミナト君、挨拶して挨拶!」
「えぇっ……? ぁ。あ、どうも。シシメです。シシメミナトです」
「んぉ〜、そうかぁ。よろしく。――ランサンカと申す!」
自分の名前を名乗る瞬間。
今までの動きからは考えられない程に素早く立ち上がり、急に腰に手を当てて自己紹介をした。
アップダウンが凄すぎる。キャラが大渋滞。
ミナトはどこか冷や汗をかく感覚を覚える。
(テンションたけぇ〜……)
ミナトが心の中でそう呟くと、ランサンカの頭の上に次々と黒いゴミ袋が落ちてきたのであった。
© 2021 風ビン小僧




