第三話 都市と少女
人の過去には様々なものがある。
幼いころの笑い話、初恋の思い出、所謂廚二病だったころの記憶そして人には言えない壮絶な過去--
しかし年が経過するにつれて、そういったものはほとんどが笑い話へと昇華していく。
誰にでも経験のあること。然るに、過去の出来事に対して"逆鱗に触れる"ということは
本来起きないはずである。
「そういえば、クリスタはどこに住んでるの?」
ではあるものの、全く他意のない一言で相手を怒りの世界へ放り込んでしまうことがある。
アドラーが否定した"トラウマ"は現代社会において人間と切っても切り離せない関係にあるのだ。
そして私は、アドラーが生きた時代よりも300年以上前の街並みがある世界に私は飛ばされた。
「家らしい家はないわよ。孤児院だもの。」
孤児院...。「身寄りのない子供が自立できるようになるまで、教会のシスターなどが面倒を見る場所」
というのが多くの人にとっての大まかなイメージであり、学校では"道徳"の授業でふんわりと学習する。
しかし実際は2014年の事件(*1)からも分かるように、多くの子供が放棄され後に餓死した状態で
発見されたり、仮に成人したとしても犯罪率が一般家庭の子供に比べ20倍ほど高かったりと、
アニメや漫画で見るような修道院・孤児院は非常に少なかったのだ。
などと、元の世界で得た知識を並べつつ、目の前にいる"健気"な少女に戸惑いを生む。
「失礼かもしれないけど、クリスタの両親とかは...?」
本当に自分がクズだと感じた。
大体答えは分かるし、彼女がどんな思いをするかなんて考えてもいなかった。
前の世界で告白回数に対してデートに行けた回数が見合わないのはこういうところなんだと思う。
しかし、この少女が孤児院出身だということが何とも信じられなかったのだ。
「...。あなたが何を思ってそんなことを聞いてくるのか知らないし、
あなたがどんな所で育ったのかも知らないけど、流石に失礼よ。
両親は精励恪勤で仲もよかったのだけれど、私が生まれてすぐ、空襲で...」
「ごめん。辛いことを聞いてしまった。本当にごめん。」
謝ったはいいものの、中々気まずくなってその日は分かれた。
「空襲...この街には戦争の跡は何もなかったけどなぁ。」
空襲で"両親"とも亡くなるということは無差別爆撃や艦砲射撃などを伴う総力戦状態の大きな戦争が
起きていたはずだ。しかしこの町は見渡す限り築100年は超えていそうな建築物ばかりで、
町の人々を見ていても、戦争が起きていたとは思えない。
取り合えず昨日見かけた書店と図書館で何か情報を得ようと思った。
常識的に考えれば、何も知らない世界に飛ばされているのだから、いち早く交番に行き
何らかの形で保護を乞いたいところだが、
「いきなり知らない街にいた」というヤク廚まがいな発言で捕らえられても困るし、
交番や警察署らしい建物も見当たらない。
この街にはどうやら市役所はおろか、警察や消防といった行政サービスも存在していないし、
"国家"や"都市"という考え方も存在しないようだ---
*1 2014年にアイルランドのマグダレン洗濯所という既に封鎖済みの施設から数百体に及ぶ孤児の遺体が発見された事件。白骨化しており、アウシュヴィッツなどを彷彿とする現場だったらしい。
お久しぶりです。覚えていらっしゃいますでしょうか。というより始めまして。ものを書くというのは本を読む何倍もの労力が必要なのでありまして、しばらく本の世界に逃げておりました。悪しからず。