カイセルの異変
笑いながら殺戮の限りをつくす、無邪気な笑顔が可愛い少女。
今でこそ可愛いのその言葉が似合っているが、数年後の成人した姿はきっと可愛いよりも美しいが似合うようなきらびやかなものだった。
ただ、少女の顔に飛び散る返り血を除いて。
「う、嘘だろ……こいつもバケモンだ……」
「あーあ、もうおしまいかぁ。楽しい時間は過ぎるのが早いって言うしね! でも、なんだか残酷」
「こ、こんな事をしておいて何が楽しい時間だ! てめぇら頭おかしいんじゃねぇのか!?」
「盗賊紛いがおかしな事を言うんだね? さっきまで楽しそうだったのはソッチでしょ?」
返り血を浴びた姿に似つかわしくない無垢な表情は、何もしていないというのに、とてつもない不安と恐怖が表情の後ろから垣間見えてしまう。
それだけではない。
この酷たらしい有様を、さも当然かのように見ている黒い服の若い男もまた、今まで顔色一つ変えずに、少女の姿を立って眺めているだけだった。
「殺されずに済んで良かったな」
「良いも悪いもあるかよ! また……また俺だけ残っちまった……。くそ、全員イカれてやがる!」
「そうなのかもな。だが、そんな事はどうでもいい」
「えー! よくないのにぃ……」
ぷぅと頬を膨らませながら不満を露わにするリゼリットの頭をポンポンとレディアが撫でると、膨らませた頬は解けて嬉しそうな笑みに変化した。
腰が抜けて座り込んでいる男にレディアは歩み寄ると、剣を喉元に突き立て、冷酷で残酷な顔で睨む。
「どうした? ……やるならやれよ」
「……何故お前は武器を持たなかった?」
「は?」
「他の奴らはアイツを殺そうと、手入れのされていない武器を馬鹿の一つ覚えのように振り回していた。だがお前はソレをしなかった……何故だ?」
リゼリットに対し、ほとんどの男は敵意を向けていたが、彼だけは敵意ではなく、罪悪感が彼の心を覆い尽くしていた。
それを察知したのか、敢えてリゼリットは剣を向けなかった。
「俺は……こんな事したくなかったんだよ……でもこうするしかなかったんだ!」
「何があった?」
「ある日突然、あの七聖剣伝説の【魔族】が俺たちの町を襲いやがったんだ」
「……【サウスト】か」
「そうだ……」
そう言い、男は俯きながら話し始めた。
魔族は急に襲いかかってきて、町の人を……俺の家族を攫い、監禁しやがった。
もちろん、俺達だってただ見ていた訳じゃない。
町の男たちは全員で魔族に対抗したが、あいつ等は俺たちをいとも簡単にねじ伏せて、殺しに殺しまくった。
「やめてくれ……もうやめてくれ!」
「何だお前ハ? 我に指図するとはナ」
「殺すなら俺だけにしろ!」
「いけマせんネェ……【アデウス】様にそんな口の聞き方をしてハ!」
魔族のネイロによって地面に叩きつけられて、頭を踏みつけられる。
ミシミシと骨の軋む音が耳に響くのと同時に、押し潰される痛みは頭が割れるようなものだった。
「やめロ、ネイロ」
「命拾イしましたネェ、人間」
「ぐかっ……はぁはぁ」
「我は貴様のようナ勇敢な者は嫌いではナい。気に入ったゾ」
すると、男の拘束は解かれて身体が自由になった。
「なんの真似だ!」
「生かしテやるのダ。好きにするとイイ」
「ほ、本当か!? じゃあ、捕まってるみんなも……っ!」
男が話し終える前に、隣で拘束されていた町の男の首が、風を切る音と共にボトリと地面に転がって、思い出したかのように吹き出る血。
「お……おい……話が……話が違うぞっ!」
「何も違くはナいだろウ? 生かしテやるのダ……お前だけナ」
「そんな……やめろ、やめてくれ!」
「ハハハハ! いい顔ダ!」
そして、監禁された者たち以外の戦える男たちは、俺一人を残して皆殺されたんだ……そこにいるイカれた女と同じ、気色の悪い笑みを浮かべながらな。
「ちょっと! 失礼じゃないかな!」
「黙ってろ、リズ。邪魔をするな」
「ぷんぷんだよ!」
怒りながら顔についた返り血を布で落とすリゼリットを無視して会話を続ける。
「そして監禁された者たちを救うには、他の人を連れてこいと……そういうことか」
「あぁ……町の人たち、自分の家族は大切だ。でも、他の人を犠牲にすることは俺には出来なかった」
「その口ぶりだと、攫った者たちはまだ生きている……または売り捌かれていないようだな」
「勿論だ……」
その男の目に嘘偽りは無かった。
涙を浮かべて、歯を食いしばる男は怒りと憎しみに身体を震わせながら、拳を強く握りしめる。
レディアは顎を擦りながら、考え込んでいた。
魔族が……人間を監禁する理由が分からない。
すると、今の今まで聞いていたアニスは、顔に巻かれていた黒いローブを外してリゼリットとレディアを尻目に、男に近づいて手をとって握り締めた。
「な、何だよ……」
「さぞ辛かったでしょう……とても苦しかったでしょう。ですが貴方が今、心に抱える深い傷……怒り、そして憎しみ……それを全て力に変えるのです」
「この怒りと憎しみを……魔族にぶつけろと?」
「いいえ。殺された人たち……そして貴方が、彼らが守ろうとした人々を救う為に、その怒りと憎しみをみんなを守る力、救う為の力に変えて立ち上がるのです!」
曇り淀んでいた空の隙間から光が差し込み、アニスを照らした。
その清き言葉と、真っ直ぐな心を見て男の目に生気が宿っていく。
神々しいアニスのその姿に、男は女神と重ねていた。
「貴方様は……もしや……女神様?」
「私は、女神オルレイヌ様に遣える者です」
「聖女……様」
「そして私を含めた彼らがオルレイヌ様に選ばれし、魔を打ち滅ぼす為に戦う、勇敢なる者たちです。私たちは、魔の手から民を救うため、ここにやってきたのです」
男は知らず知らずのうちに、光に照らされるアニスに祈りを捧げていた。
そしていつの間にか、姿を隠していたカイセルの人々も、アニスに向かって祈りを捧げていたのだ。
「聖女様……」
「ありがたや……ありがたや……」
「怒りや憎しみに囚われてはいけません。女神オルレイヌ様はみなさんを見ています。どうかオルレイヌ様の御加護があらん事を」
皆が祈りを捧げる中、無残な光景に佇むリゼリットと考え込むレディアだけがまるで取り残されてしまったようだった。
☆☆☆☆☆☆
湯に浸かるレディアは、未だに考え込んでいた。
勇者を呼び寄せるならわざわざ人間を監禁しておく理由がない。
そして一人だけ生かしておく理由も、他の人間を必要とする理由も見当たらない。
散りばめられた星が輝く夜空に、白い湯けむりが消えていく。
すると、戸の向こうからアニスの声が聞こえてきた。
「レディア様。お背中、お流し致しましょうか?」
「いい、結構だ。それより、リズと一緒じゃなかったのか?」
「リゼリット様はお食事中です。美味しいものは食べられるうちに食べておかないと! だそうですよ。ふふっ、可愛らしいお方ですよね」
そう言いながら話を聞いていたのか、聞いていなかったのか、戸は開かれてアニスがレディアのいる湯の中に入ってきた。
アニスの白い柔肌は透き通っていて、身体に巻いているタオルに負けないほど美しく、とても綺麗だった。
「レディア様、そんなに見つめないでください……恥ずかしいです」
「悪いな、俺はもう出るとしよう」
湯から出ていこうとすると、アニスに腕を掴まれた。
「待ってください! 私、レディア様ともっとお話がしたいんです!」
「十分に話したはずだが?」
「ですが、私の話しかしておりませんもちろん、無理は言いませんが……」
そう言いつつも掴んだ腕は放さないアニスに、レディアはため息をついて掴まれた腕を振り解いてからまた湯に浸かった。
「レディア様!」
「……何が聞きたいんだ?」
「では、レディア様の話を……ぜひっ!」
再びはぁ……とため息をつくレディアの横で、どこか楽しそうに微笑むアニス。
湯けむりが夜空へと上っていく。
「……グルゥゥ…………」
「随分と愛らしイじゃないカ」
闇に光る赤い瞳の男は、自らの身体の数倍はあるかもしれないソレを眺めていた。
ソレの周りには血が、そして肉片が飛び散っていて、それが人間のものであるようだった。
「フッ……楽しくナりそうダナ」
不敵な笑みを浮かべながら、闇に消え去っていく。