キキとジジの関係から読み解くラストシーン
今回は魔女宅の最後の場面ですね
あの場面をどう見たかっていうっていうことなんだけど
この最後の場面を通して言葉を話せなくなったジジ(時事)がキキ(嬉々、危機)の元に戻ってくる
(ただし、ジジがキキと話せないのは変わらない)ということが重要になるかなぁと思います。
ジジは生まれた頃から一緒にいるもう一人のキキで、13歳になり修行する中で自立し
キキがジジを必要としなくなるっていう背景として捉えておくと、話せないけど感情のやり取りができる
最後の場面は自立してキキはキキの感情と折り合いがつくようになったという解釈が可能になります。
というのがネットとかでググると出てくる話。
さぁこれを踏まえてトンボが事件に巻き込まれて命の危機に陥ってしまった経緯を振り返ってみると
キキにとってのトンボとは気になる人、気にしてくれる人、ダメな自分を許してくれる人(博覧会の誘いを断った経緯から)
キキのコンプレックスをキキに感じさせない人、またそのことをトンボも感じていない。
…とここまで書いておいてなんですがよくわからない!
最後の場面はどんな場面だったかっていうと
飛べなくて落ち込んでいたキキがトンボが危ない!!という理由で
魔女の力を取り戻し掃除屋のおっちゃんからブラシを奪い取り
空を飛んでトンボを助ける!!
っていうただそれだけです。
これを伝えるだけでこんなに長くなってしまった…
で分析してみたけどあんまり特段変わったところはないんですよねぇ。
正直、魔女の宅急便のいいところって前回解説したキキが
飛べなくなって、それをどうにか解決したい!!って思うところなんですよね。
正直高山みなみさんが出てるところだけ見れば俺は十分だと思います。
それくらい集約してる
ラストシーンは正直感動はしない。
もちろん見せ場はあるんですよ
落ちそう→救出→落ちそう→救出
を繰り返すときにその場にいた全員が応援しているっていうところ。
これはねーーーーー…近年は見ないかなぁ…
逆になんかありますか?主人公がヒロインを助けようとするときに
周りの人間が「「「「助けてーーーーーーーーー!」」」」っていうシーン。
俺はこれパッと思い浮かばなくってそこが現代と当時の違いかなぁって気がします。
今見ると臭い演出じゃないですかこういうのって。
あーあと魔女宅は敵がいないんですよwww
一人も敵がいない…近年は対立関係をつくって正義か悪か!!みたいなのがメインじゃないですか
でもねー敵がいないっていうのが宮崎監督の伝えたいことの一つだったのかなって思うんです。
第二次対戦は白人至上主義対多様性の大義名分で戦ったじゃないですか。
日本は負け、少数派になったけど魔女となって外国に行って戦うのではなく良いことをして生きていく…。
こういう監督の意図があったんじゃないかなぁと想像してます。
戦争には負けたけど魔女である自分を認めさせる(日本を認めさせる)っていう意図がね…
あったと思うんですよね~監督に聞いてみたいなw
それでは読んでいただきありがとうございました。
とりま魔女の宅急便の解説や自己流解釈はここまでにします。
次は何を書くか未定ですが面白い作品を伝えていけたらなぁと思います!
それでは!