脱自分論
ちょっと書きたいことがあったのでつらつらと。
脱自分
作者である以上自分の内面が出ちゃう問題ってのがどこまでもひたすらついてくる問題で
ここから抜け出すために俺は書いているっていう矛盾があるんだよね。
サナギが脱皮しようとするのと同じで古い皮を破ろうとしてるんだけど
破るためには内側から出していかないといけないでしょ。
でそれは書かないといつまでたっても始まらないのよね。
書いてる最中は今古い皮を破ってるんだーなんて意識しないのよ
抜けたあと戻ってきたらあ、ここで脱皮できたんだなっていうのがわかるくらいで。
いかに自分を出さない作品を書くかより逆に自分を出すことで自分を知り
出しきったあとで別の書くか…っていう流れの方が書き手としての土台ができた状態で始められると思うのね。
思想系の小説や漫画やアニメが何でうけないのかって言うと作者の思いがでるからじゃない?
蛍の墓とかはだしのげんとかさ…。
んで自分がどっちを書きたいかっていう考えについていつかは決着つけたいんだけど
「嘘のような本当の話」なのか「本当みたいな嘘の話」なのかってさ。
この二つの方向性で揺れるのよね…
フィクション、ノンフィクションどっちなのっていう…それを自分の思いを出さずに表現することってできるの?っていう。
日本には八百万の神がいるっていう話でどの「物」から見た視点なのかで表現していくことでこれは可能になるんじゃないかって言う仮説をねー山田玲司さんの話を聞いてて思ったのね。
で、「物」から魂を呼び出すっていう方法を取ると擬人化になるじゃん
艦コレはその象徴なんだよなぁあれはかわいさの方にステータス極振りしてああかわいいなぁですむけど
「物」が精神性持ったものてまだ少ないかなぁって。
その展開を考えてるのよなぁ。
いじめられてた少年がある日学校に行って過ごしてさ、屋上に行ったらゲームになっててさ、屋上から飛び降りるんだけど下にいたヒロインが降ってきたゲームを拾ってなんだろう…って始めたらこんなゲームだった…とかさ。
ゲームって「物」だけどその「中身」は制作者たちの「精神」がこもっていると思うんだよね。
だからこういう展開もありかなぁって。
別にゲームじゃなくても「精神性」のある「物」だったら何でもよくて
それを興味本意からやりこむことでその「物」を知っていく…っていうストーリー展開だよね
「人」って「物」なのか「精神」なのか究極的にはどっちなの?どっちから入ってその「人」は理解できる
の?っていうね…そういうの書いてみたいね。
物語の始めに擬人化したその「物」となった俺は結末で「人」に戻れるのか?っていうね…。
「主人公」が「特別」なのか「普通」なのかっていう設定はどの作品やるにも悩むところで
「脱特別」か「脱普通」っていう極振りまで幅が広いんだよね…
脱特別っていうのは特別なことはなんにもしないの。
統計的には普通に見えるのに実は特別っていうキャラはすごく多いんだよね。
ワンパンマンもモブサイコもいわゆる狼の皮を被った羊キャラだよね。
最近になって脱特別っていうずっと羊である日常系の良さが分かってきてさ、そこも作品作りでどうしようかなって悩むところなんだよね…。




