第七話 その3(課題と採用)
今更ですが、浦賀来航時のペリー艦隊旗艦はミシシッピではなくサスケハナでした……。なるべく注意しているつもりですが、もし他にも変な個所があれば気軽に指摘してもらえるとうれしいです。
今回は炸裂弾運用の問題点と各国海軍における導入について、重複多めですがまとめていきたいと思います。
まず問題点から、優秀な成績を示したペクサン砲登場以降も、主に信管の性能と安全性という二つの問題が炸裂弾運用の障害となっていました。
当時の炸裂弾が有する信管は、第二話で紹介した曳火信管のままであり、後年には金属製でより精密な燃焼時間の設定が可能になったものも登場しますが、基本的な機能は変わりません。つまり燃焼時間の調整に失敗すれば、せっかくの炸裂弾が持つ効果を無駄にする可能性がありました。
前回の実験からわかるように、炸裂弾を平射して敵艦に損傷を与える方法には、主に二種類を挙げる事が出来ます。
一つは敵艦の舷側を貫通した後に艦内で炸裂させて、誘爆や火災を狙う事。そしてもう一つはあえて貫通させずに舷側で炸裂させる事で、より大きい破孔を開けて浸水を狙う事です。
両方とも敵に大きな損傷を与えるのは確実ですが、特に後者はこれまでの砲弾ではまず無理と言っても良い、二次災害なしに直接敵艦を沈める手段となる可能性を持っていました。その為実験以降かなり注目された攻撃法なのですが、曳火信管ではちょうど砲弾が舷側の中にある時点で炸裂するよう調整するのは至難の業です。
そこでタイミングが遅れてもいいように、意図的に発射薬を減らして、舷側の中に食い込む程度に貫通力を落として運用する方法が考案される事になります。
しかし実戦では相対角度やその他の要因で、試験場程の貫通力を発揮できない例も考えられます。その場合は舷側に食い込むことなく反跳したり、または食い込みが浅すぎて炸裂のエネルギーが外側に逃げ、破孔が開かないといった結果になる恐れがありました。
このように後者の破壊効果を得るためには、どちらにせよ運が絡む方法に頼らざるを得なかったのです。
なお貫通弾を出す場合でも、貫通力がありすぎた場合は反対舷を突き抜けて船外で炸裂する恐れがあったという点もよく指摘されます。ただ実戦では艦内部に大砲や人間など命中する物が色々とあるので、こちらは逆に射撃実験で懸念される程の問題にはならないと言われていたようです。
そして曲射砲時代と同じく、燃焼時間の設定が短すぎれば命中する前に爆発する点も変わりません。
前回の9月実験で32発中25発が有効弾、という記述から気づかれた方もおられるかもしれませんが、ここでも早爆が発生し、残りの7発の内6発が飛翔中に早爆した例となります。(残りの一発は普通に命中せず)
他にも水面反跳時に水が浸入して不発になるという問題もありますが、これも完全に解決するまではだいぶ時間のかかる問題となっていきます。
こうした問題を抱えた曳火信管ですが、これに対して命中時の衝撃で作動する着発信管では、面倒な設定は必要ありません。
こちらは命中時に炸裂するので早爆することはなく、舷側に命中すればその瞬間に炸裂し、最大限の破壊効果を船体に与える事が可能と、当時の環境では理想的な効果が期待できました。
(水面に当たった場合衝撃で信管が作動してしまう可能性は残りますが)
ただし滑腔砲の砲弾は飛翔中に不規則に回転し着弾する箇所が定まらない為、信管に加わる衝撃も変化して、確実に作動させるには不都合でした。
その為着発信管の実用化が進むのはライフル砲への移行期である1850年代になってからであり、この時代の炸裂弾には間に合っていません。
次に安全性の面では、射撃時に腔発が起こらなくとも、炸裂弾を艦内に置くこと自体が危険であるという印象が強く残っていたようです。
特に敵弾が装填前の炸裂弾に命中すれば誘爆して、敵が炸裂弾を使わなくとも同じような被害を受けてしまうと恐れられていました。
そして第五話で紹介したシューシューズのような大事故でなくとも、艦内での爆発は水兵の間でパニックを引き起こして、艦の戦闘能力を大きく損なう事に繋がります。例として1798年12月14日の海戦でイギリスのフルゲート「アンバスケイドAmbuscade」は、艦としては格下に当たるフランスのコルベット「ベヨネーズBayonnaise」によって鹵獲されるという珍しい結果に終わっていますが、その原因は戦闘中にアンバスケイドの砲が爆発したからと言われています。
なおイギリスで行われた実験の記録などを見る限り、炸裂弾に砲弾が命中した場合弾殻が破壊されてから発火するので、火災が発生する事はあっても、信管が作動した時のような爆発が起こる事は殆どありません。よって複数の砲弾が積み上げられている場所に被弾しても、(信管さえついていなければ)一気に誘爆する可能性は当時でも低いと考えていいものでした。
ただ火災単体でも木造船には大敵で、長時間熱せられた砲弾が爆発する事も考えれば、今までのように砲の周辺に砲弾を積んでおく事は避けたいものです。そこで発射薬と同じように、砲弾が当たり辛い水線下の船倉に専用の弾庫を設け、射撃時に一発づつ運び出す必要が生じています。
また腔発や砲の爆発は実体弾でも取扱いによっては発生するもので、ペクサン砲の時点でもその危険が完全に排された訳では決してありませんでした。
これらの安全性の問題に関して、先の射撃実験では威力を絶賛したフランス海軍の委員会も、仮に戦列艦の備砲100門すべてをペクサン砲とした場合、事故を防ぐのは難しいとしています。
そして仮に戦列艦に搭載する場合は、弾庫から砲弾を運びだして装填するまでに時間のかからない、下甲板に数門置く程度から始めるべきだという意見が支持され、現状の主力艦である戦列艦への導入は難しい面が指摘されていました。
採用
次に各国でのペクサン砲とその同系統の砲(以下の文では英語名称の「シェルガン」を使用)の採用状況を見ておこうと思いますが、その前にペクサン大佐本人は、シェルガンの導入で海軍戦力がどう変化すると考えていたのか、意訳多めで以下に補足します。
・現行の海軍艦艇で主力艦を担うのは、大型の船体に他艦種を上回る数の砲門を設けた戦列艦である
・それに対して炸裂弾が使用されるようになれば、より少ない砲で敵を沈めうる攻撃力を得る事になるので、門数の持つ価値は減少する
・さらに武装の為に大型化した船体は炸裂弾の恰好の標的であり、戦没時に失う資源の面からも、戦列艦にとって不都合な環境になる
・そこで戦列艦よりも、(最低限外洋で戦闘ができる程度の航洋性を有する)フリゲート以下の小型艦を多数整備した方が、そういった環境ではより有効
・これに加え今後重視すべきなのは蒸気機関の導入で、(当時の蒸気船は外輪を設ける都合で)帆船に比べ火力が低下するが、炸裂弾運用でカバー。この火力に加え、風向きに左右される事のない機動力を利用すれば、既存の戦列艦中心の戦力とってかわる事が可能となる
先述した委員会では戦列艦への使用には適さない面が指摘されたペクサン砲ですが、本人としてはナポレオン戦争中に英国有利の戦力バランスをひっくり返すために生み出した物なので、既存の戦力を代表する戦列艦に執着する必要はなかったようです。
開発者による戦列艦不要論というセンセーショナルな見解に加え、1827年には早くも実戦投入の機会もあり、ペクサン砲・シェルガンに対する各国の注目は相当のものがあったはずでした。しかしながら奇妙にも、実際にこれが採用され始めるには、それから結構な年月を要しています。
まず当のフランス海軍で「Canon obusier de 80」に加え、新たに開発された小型版の「Canon obusier de 30」といったペクサン砲系統が実際に標準装備となるのは、ブレストの実験から14年経過した1838年まで待たなければなりません。
そしてイギリスでのシェルガン開発は1825年に10インチ砲を製造するも、砲身重量が85cwt(4318kg)と艦載砲としては重過ぎるとして不採用。これを受けて開発された8インチ砲は50cwt(2540kg)と逆に軽すぎるのと、砲身が短すぎるという事でこちらも採用されません。
最終的に重量65cwt(3302kg)の8インチ砲が、フランスと同じく38年に採用される事になります。
他国はちょっと情報が少ないのですが、アメリカは1841年に8インチ並びに10インチ砲を採用。プロイセンは第一次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争、ロシアはクリミア戦争で実戦投入しているので、両国での導入は少なくともその前という事になるでしょう。
一方で近代化が遅れていたオスマン帝国のように50年代になるまで全く導入が進まなかった国も存在していました。
なぜ採用にここまでの時間を要したかは、正直簡潔な答えを知るのは難しい問題です。
作者の推測にすぎませんが、20年代当時は軍事衝突こそ各地で起こっていたものの、大国同士の関係は当然ナポレオン戦争の頃よりもはるかに落ち着いていました。その中で既存の軍備を一新しかねない革新性を持つ兵器に飛びつく事には、最初に開発したフランスでも必要性を感じなかったのでないでしょうか。
一方で30年代後半になると、フランスはオスマン帝国からの独立を求めるエジプトとの間で結びつきを強めており、それにイギリスとロシアが反発してオスマンを支援と、国際的な対立が強まっていました。こういった情勢の変化も無関係ではないと思われます。
最後に導入以降の傾向が分かるものとして、40、50年代の英大型艦艇の武装に占めるシェルガン※の数を挙げてみます。
※ここでは8インチ65cwt、10インチ84cwt、 68ポンド95cwtの三種類
一等戦列艦
「カレドニア」(40年代当時)120門中 12門
「デューク・オブ・ウェリントン」(1853年完成時)131門中43門
「ヴィクトリア」(1859年完成時)121門中63門
二等戦列艦
「ロドニー」(40年代当時)92門中10門
「レナウン」(1857年完成時)91門中35門
フリゲート
「マダガスカル」(40年代当時)44門中2門
「アロガント」(1848年完成時)47門中17門
「エメラルド」(1856年完成時)51門中31門
「マージー」(1859年完成時)40門中40門
これを見ていくと、多数の砲を持つ大型艦では、主流であった32ポンドクラスの砲に対して少数が搭載される所から始まり、時代が下るにつれ搭載比率が上がっていく形になります。この時期は英国のみならず、各国も同じような傾向を示すようです。
そしてペクサン大佐の指摘する通り小型艦との相性の良さから、シェルガンの搭載比率はフリゲート以下の艦艇の方が高く、搭載砲をすべてシェルガンのみとした艦も建造されています。
初期に登場した艦としては、1841年に就役したアメリカの蒸気フリゲート「ミシシッピ」(黒船の一隻として有名)が知られています。
一方で運用に適さない面があった戦列艦でも、比率が増した艦が建造され続けている事から分かるように、各国は長い歴史を持つ戦列艦を捨て去ってしまうほどの決断はできませんでした。
つまりペクサン大佐自身の主張と比べると幾分か穏健に、戦列艦含め既存の艦艇の兵装がだんだん置き換わるような形で普及していったと言えるでしょう。
このようにある意味では新旧の兵器や技術、思想が入り混じる艦艇が整備される中、英仏露は久々といって良い大国同士の衝突、クリミア戦争に突入していくことになります。
終わりに
開発・採用とここまで見てきて、次回以降はついに実戦における使用をまとめる予定です。本題はクリミア戦争ですが、その前に上で省略した27年の実戦投入について書こうかと思います。
参考資料
Chatham Committee of Naval Architects, Reports on Naval Construction, 1842-44, 1847
H.M.S Excellent, Experiments with Naval Ordnance, 1866
Howard Douglas, A Treatise on Naval Gunnery fifth edition, 1860
+第五話の分