第五話 炸裂弾の導入その1(前史 ヴォーバンからカロネード、ペクサンまで)
以前紹介したように、砲弾の内部に爆薬を詰めた炸裂弾(榴弾)は、木造船を攻撃する場合、砲弾の主流であった実体弾(ただの鉄球)に対して明らかな優位を持っています。
それにも関わらず、カノン砲※を主兵装とする当時の艦艇で使用されることは、諸問題により行われず。陸上砲撃用に臼砲を搭載した一部の艦で用いられる程度でした。
※カノン砲は元々特定のサイズの砲弾を使用する大砲の事を指すものでしたが、大砲の種類が分化するにつれ「長い砲身を持ち、砲弾を高初速・低弾道で撃ちだす平射砲」を指す言葉とされるようになりました。ここでも後者の定義に従います。
そんな炸裂弾が平射砲で使用可能になるのは、一般的には19世紀初頭、ナポレオン戦争終結後にフランス陸軍のアンリ・ペクサン大佐が開発した大砲の登場以降です。そしてこのペクサン砲の登場により、木造艦は防御力不足となって、これに代わって装甲を有する艦が海軍の主力となる時代が始まる、という流れになります。
第一話並びに二話ではこう解説しましたが、これだけでは説明不足の部分も目立つかと思います。
ペクサン砲はいかに諸問題を解消し、その効果が認められたのか
他国では同系統の大砲は研究されていたのか。
実戦ではどんな戦いで使用され、戦果を挙げたのか。
ナポレオン戦争とクリミア戦争の間に起こった、この炸裂弾の普及という事柄は、海戦史上の大事件ながらも、蒸気船や装甲艦が主役の近代海軍にとっては前史として扱われることが多く、詳細な情報を知るのが難しい事柄でもあります。今回は無謀にもこの疑問を解決すべく、三四話程度に分けて炸裂弾関連を追って行こうという試みになります。
なおこのテーマに関しては、1822年にペクサン自身がその考えを発表した『Nouvelle Force Maritime(略)』の内容を知るのが一番手っ取り早いわけですが、これは400ページを超える大著な上に、もちろんフランス語で書かれており、内容も専門用語だらけというのは容易に想像できます。
作者では一生読めないものだと諦めていましたが、幸いにも1829年に英国で同書を要約した「Regard of Bomb Cannon」という論文が存在します。また米海軍のダールグレン少将(当時は中佐)も、1856年に記した『Shells and Shell-Gun』でもその内容に触れている上に、もう一つの著作『Experiences Faites par la Marine Française(略)』の英訳版を発行しており、その内容を大体は把握することが可能になりました。
今回はこれらの資料を大いに参考に(というか孫引き)しつつ、偏った視点で書いていきたいと思います。
最初に扱うのは一つ目の疑問、言い換えればペクサン砲とは何なのかという部分からですが、その前に一つ誤解しやすい点を抑えておくべきでしょう。
上の説明ではペクサン砲の登場によって、平射砲が炸裂弾を使用できるようになったと解釈できるかもしれませんが、厳密には誤りです。艦載砲を含む平射砲で炸裂弾を用いる試みは以前より行われて、すでに不可能ではないと言える程に基礎が完成していました。
まずはこの、ペクサン以前の研究について見ていきます。
・炸裂弾と平射砲
まず炸裂弾を平射砲のように低弾道で打ち出すという試みは、17世紀にフランスのヴォーバン元帥が考案した「反跳射撃」にその起源を求める事が出来ますが、これはその後の平射砲での使用へと直接つながるものではありませんでした。
実際に木造の艦艇に対して、炸裂弾を平射砲で用いる利点が説かれるようになったのは、主に18世紀に入ってからとされています。当初はより安全に使用できる沿岸砲台から艦艇を攻撃するのが主な目的とされ、フランスではグリボーヴァル中将により提案がなされ、イギリスでは1756に年ジブラルタル要塞にて実験が行われていました。
なお後者の実験の成果として、アメリカ独立戦争時にフランス・スペインが行ったジブラルタル攻囲戦(1779~1782)の際には、14cm臼砲の砲弾を24ポンド砲に用いて敵艦隊を攻撃する場面もありました。
この戦いでジブラルタルの砲台は攻撃側の浮き砲台群を壊滅させる戦果を挙げていますが、第二話で触れたようにこれは赤熱弾の働きが中心であり、炸裂弾の真価が発揮されたわけではないようです。
ここまでの研究並びに使用は、すべて陸上用の砲を対象にしたものでしたが、18世紀後半ついに艦載用の平射砲にて炸裂弾に対応した物が登場します。それは1776年、イギリス陸軍のロバート・メルヴィル中将Robert Melvilleが考案し、スコットランドのカロンCarron鉄工所で製造された、「カロネードCarronade」と呼ばれる大砲でした。
この大砲は19世紀の初めごろには、イギリス艦艇では標準装備と言える程に流行しますが、元々は商船の自衛用兵器として売り出された物でした。当時は宿敵フランスに加え、独立を求めるアメリカの私掠船の活動が激しかった時代なので、そういった敵から身を守る為、商船にも乗せられる小型で強力な大砲を作りたかったという事です。
カロネードの特徴は第一話でも触れたように、使用する砲弾に比べて非常に軽量である点です。具体的には68ポンドカロネードは18ポンドのカノン砲と同じくらい、32ポンドカロネードに至っては9ポンド砲よりも軽いという具合です。
重量軽減を極めるためカロネードの砲身は極めて短く、発射薬の量もそれに応じた量に減少するので、砲弾は低初速で撃ち出されます、これは射程や貫通力がカノン砲に比べ大きく低下する事を意味しますが、当時の海戦では距離数百メートル以内での戦闘が中心であったので、許容範囲だとされました。
さらに砲身の内部では、砲腔と砲弾の間にできる隙間(遊隙)をなるべく減らすことで、効率良く発射薬の燃焼エネルギーを砲弾に乗せる試みがなされています。つまり必要な発射薬の量はさらに減り、砲身にかかる負担もより少ないという事で、厚みを減じた分も重量軽減に回されました。
このカロネードの特徴は、同時に炸裂弾の使用を可能にしました。そもそも臼砲や榴弾砲など、炸裂弾を用いる事ができた大砲も同じく短砲身・低初速砲であり、射程が短いことに目をつぶれば、これが使えない道理は無いと言えるでしょう。
実際に海軍では1780年代に実験が行われ、使用は可能だと認められていますが、その評判はあまりよくはありませんでした。やはり被弾時のリスクが大きいという点に加え、百数十年後のドレッドノート革命の際にも唱えられ、その時には否定される意見、―炸裂弾の使用はこれまでの戦力バランスを崩壊させる可能性を秘めており、それを研究するのは不用意に他国を刺激して、英海軍優位のまま推移していたバランスを崩す結果になりかねない― という主張が支持された形になりました。
実戦での使用例は一応ありますが、1799年のアッコ(Arce)攻防戦にて、戦列艦「タイガー(フランスからの鹵獲艦なので綴りはTigre)」が陸上砲撃に使用した例ぐらいで、対艦用に使われたかは定かではありません。
しかし、炸裂弾を使えなくともカロネードは魅力的な兵器であり(実際に活躍した海戦や、欠点である反動の大きさや射程の短さが問題になった例など、補足すべき点は色々とありますが本筋には関係ないので省略します)、その評判からフランスやアメリカ海軍にも同系統の物が導入され、その過程でイギリスが恐れた炸裂弾の導入につながる兵器も生み出されています。
まずフランスには「Obusiers de vaisseau」という短砲身の36ポンド砲があり、これは「艦載榴弾砲」という名称からわかるように、炸裂弾の使用を前提にしたものです。そして米国にも「コロンビアードColumbiad」というカロネードより若干長砲身を持つ平射砲があり、炸裂弾の使用も可能でした。
しかし前者はカロネードと同じく、重量の割に大口径弾を撃てる大砲としての使用に留まり、後者も陸上砲台での使用がメインで、艦艇への搭載は限られていました。安全面の問題とそれを危険視する用兵側の反発という課題を乗り越えることはできなかったようです。
一方で、フランス革命戦争並びにナポレオン戦争では、通常のカノン砲で炸裂弾を使用する試みも続いています。
まず英国の74門戦列艦「シュースーズTheseus」はタイガーと同じくアッコの戦いにて、フランス軍から鹵獲したという36ポンド並びに18ポンドの炸裂弾を使用。その最中に一門の砲が艦長を巻き込みつつ爆発し、後甲板に並べられた砲弾に誘爆した結果、甲板は火の海に包まれて、70名以上の死傷者を出しています。
この間の艦内は、戦闘行動を全く取れない程の混乱に陥っており、もしこれが海戦の途中で起こった事故であれば、艦の命運は尽きていたと思われます。
上の例は鹵獲品を使用した上に大事故に終わるという、例外的な実戦投入に過ぎない物ですが、一方のフランスは着実に実験を重ね、1792年から1803年に至るまで、12ポンドから36ポンド砲による実験が行われました。中でも1797年には小型艦に搭載された24ポンド砲で射撃試験を行い、好成績を収めたと言われています。
一連の実験の結果はナポレオンの耳にも入っており、本人も興味を持っていたとされますが、結局実用化はなされないまま戦争は終結しています。 そしてペクサンによる研究も、これらの間に合わなかった研究の一つとして登場し、戦後の20年代になってその成果がフランスだけでなく、国際的に認められる物にまで発展していくのです。
・ペクサン砲
ここまで平射用により炸裂弾が使用できる事を示してきましたが、何度も言うように、この時点では諸問題によって実用は難しかった、というのが実情でした。
その諸問題について改めてまとめると、まずは単純に危険であるというのが一つです。
具体的には、誘爆を起こす危険性のある砲弾を艦内に置くのを嫌がったという点と、高初速で打ち出された時の衝撃に砲弾が耐えられず、腔発を起こす可能性が高いと考えられた点が主になります。
シューシューズの事故はこの両方が起こったという点では、炸裂弾の危険を的確に伝える例と言えるかもしれません。
そして前者は保管方法という艦艇側の問題であるのに対して、腔発の方は平射砲による使用が物理的に出来ない理由と言えます。この原因は主に発射時の激動に弾殻もしくは信管が損傷し、発射ガスが砲弾内部の爆薬に達することによって発生していました。(これ以外にも砲弾内の爆薬が圧縮されて自爆する例もありますが、爆薬の詰め方に気をつければ回避可能です)
対策は砲弾や信管に適切な強度や取り付け方を確保するのに加え、発射ガスによる圧力を減じて、低初速で打ち出すのが一番手っ取り早い方法でしょう。以前よりある臼砲や榴弾砲に加え、平射砲ではカロネードがこれを用いて成功しています。
また腔発の一原因として、装填時に信管が砲の尾部を向いていた場合、高い確率で信管が損傷する事がわかっていました。その点砲身が短い臼砲やカロネードでは、比較的簡単に砲弾の向きを調整できるのも利点です。
ただし水上戦闘にてこれを使おうと思うと、その特徴である短い射程は不安な要素になります。上では当時の海戦では許容範囲と言いましたが、実は1812年の米英戦争では、これを主兵装とした艦がアウトレンジされ敗北した例が数件ありました。
さらに炸裂弾というものは炸薬の分、実体弾に比べ質量が小さくなるものですが、その分一度打ち出されるとエネルギーを失いやすく、射程と精度も下がってしまいます。
実体弾ですら射程は今後不足していく可能性がある中で、さらに射程と精度が落ちるとなると、使いどころが限られるのは否めません。
という事で可能であれば、実戦では通常の平射砲と打ち合える射程や精度が欲しいとなりますが、これを満たす物として完成したのがペクサン砲だったのです。
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図の上は日本で紹介された際の物で、一般的にペクサン砲と言えば、22年から24年の試験を経て、後にフランス海軍で「80ポンド榴弾カノン砲Canon Obusier de 80」として採用される系統の大砲を指します。名称は和訳にもあるように、開発当初は単に「ボムカノンcanon à bomb」と呼ばれていました。
重量約3.5トン、全長2.8m程のこの大砲は、口径22cmの砲腔から、砲弾重量86ポンド※(39kg)の実体弾と56から60ポンド(25.4から27.2kg)の炸裂弾を使用します。これまでの主力であった36ポンド砲が39ポンド(17.6kg)程度の砲弾を使用するのに比べると、一気に飛躍しているのが分かるでしょう。
※今更ですが、名称に使われるポンドは実は仏ポンド(リーブル)なので、一般的なポンドに換算すると若干大きい数字になります。
大質量の砲弾はエネルギーを保ちやすく、やや遅い初速で撃ち出される場合でも、その不利な点をカバーするのに十分な効果がありました。
実際に1822年より行われた試験では、炸裂弾を様々な条件で発射した際の飛距離の合計値(平均値ではなく)は、36ポンド砲に6パーセント劣るのみと、実戦では殆ど差が無いレベルです。また精度についても同じく、サンプル数は少ないものの、640ヤードや1280ヤードという距離の静止目標に対して命中弾を出し、36ポンド砲に劣らない事を証明しています。
一方でこのような大口径弾を用いる大砲を、カノン砲と同じ要領で作ってしまえば、艦艇で扱えない程大型化してしまいます。その点についてもペクサン砲は優秀で、実は36ポンド砲とほぼ同じ重量に収まっているのです。
その内容はカロネードの重量削減とも共通する思想のもとで行われており、砲身の短縮並びに遊隙の減少を行い、上の装填状態を表した図にあるように、発射薬が入る薬室を細める事で発射時のエネルギー効率を良くして、その分厚みを減らしています。
ただしカロネードと違い、砲弾は一定の初速を確保するための長さを有しており、これは舷側の砲門から撃つ際に爆風を逃がしたり、反動を打ち消す事の出来る最低限の重量を確保する意味もありました。
また炸裂弾の使用に関しては、先述したように信管が砲口を向くように装填する必要があり、長い砲身を持つ平射砲では結構難しい問題です。
これに対しては、図にあるように底部に木製のサボット(フランス語では木靴の意)を取り付けた砲弾を用いることで、内部で転がって間違った向きに装填されるのを防いでいます。これを設ける利点は他にもあり、遊隙を減らす効果をさらに向上させ、砲弾の保護にも一定の効果があると考えられます。
サボットの効果かは断言できないのですが、1822年の試験では炸裂弾を2発装填した状態での発射に成功しています。炸裂弾を用いる上で、砲弾同士が干渉する可能性もある二重装填は非常に危険な行為のはずですが、問題なく出来た所を見ると、かなりの安全性を有していたと思われます。
なおペクサン砲を構成するこれらの要素は、彼のオリジナルというよりは、以前の大砲で既に考案されていた物を受け継いだ物が殆どだと言われています。
そもそも最大のコンセプトでもある、重量を節約しつつ大口径砲弾を使用する点はカロネードの焼き直しであり、他にも薬室を設けるのは臼砲から、そしてサボットもナポレオン戦争の頃にはあった物の流用らしいという事で、新兵器らしい革新的な部分は実はあまりないといって良いものでした。
実際ダールグレン曰く、先の『Nouvelle force maritime(略)』でもその事を認める記述が存在すると言います。
しかし、たとえオリジナルの部分が無くとも、それらを組み合わせた結果生まれた完成度の高さこそ最も注目すべき点でしょう。
二重装填が可能なまでの安全性に加え、射程や精度でも実体弾のみを用いる平射砲と差がなく、しかもこれまで使っていた36ポンド砲と大差ないリソースで運用できる。ここまでの進歩を見せたこの大砲は、危険だからと採用の一歩に踏みだせなかった海軍にとっても十分魅力的なものでした。
この完成度によって、ペクサン砲は炸裂弾を「実用できる」最初の平射砲と評価されるようになったのです。
おわりに
繰り返すことになりますが、ペクサン砲は一部でイメージされる物とは異なり、不可能だった事を可能にするといった類のものではない、すでに揃っていた要素に工夫を加え、実用に適した欠点の少ない大砲として仕上がったものでした。
しかしこの研究が、今後の兵器開発において重大な一歩であったことには変わりはなく、ワットの蒸気機関やエジソンの電球の例が示すように、一から創造するのとは別に、以前に発明されたものを実用に適したレベルまで改良する事もまた、歴史に残る事象に違いはありません。ペクサン大佐の功績も、そういった偉大なる改良として評価されるべき物のようです。
なお今回扱った内容では、炸裂弾の威力や誘爆の危険性に関する検証、その後の採用状況など、まだカバーしきれていない範囲が結構あります。次回ではこれらの諸実験を中心に、加えて各国の動向などの範囲まで進めていきたいと思います。
主な参考資料
William Morgan and Augustin Creuze (ed.), Papers of Naval Architecture and Subject Connected with Naval Science vol.2, 1829, pp.310-337
Henri Paixhans, An Account of the Experiments Made in the French Navy for the Trail of Bomb Cannon, 1838, translated by John Dahlgren
John Dahlgren, Shells and Shell-Gun, 1856
画像出典
『海岸砲術備要』1852 国会図書館デジタルアーカイブより(保護期間満了)
William Morgan and Augustin Creuze, 1829 (パブリックドメイン)
致命的なほどに説明できてない部分が二三点……