第三話 遅れてきた大物:マーティンの溶鉄弾
ここからが本番(のつもり)
前回の内容では滑腔砲全般の砲弾を見ていく中で、木造船には火災が大敵である事、それを引き起こす焼夷弾として、赤熱弾とカーカスの二種類の砲弾があることを紹介しました。
ところがクリミア戦争の最中、ライフル砲の勃興期で滑腔砲にとっては末期にあたる1855年に、この二つにとって替わる新たな砲弾が英国にて考案されています。それが今回紹介する、マーティンによって考案された溶鉄弾(molten iron shell)です。
・概要
画像はありませんが、英名に「shell」とあるように鉄製の球体中空弾で、名前の通りその中に溶けた鉄を流し込んで撃つ砲弾になります。砲弾はあえて一部を薄く作っておき、敵艦に命中した際に割れて溶鉄をまき散らして、広範囲に着火しようという目論見の砲弾です。他には赤熱弾と違い溶鉄を注ぎ込んですぐに高熱にならないので、装填時の取り扱いが容易ですし、命中後に飛び散った溶鉄を拾われる事もないという利点などが考えられます。
この砲弾は32ポンド、8インチ、68ポンド、10インチという当時の主要な艦艇が用いる滑腔砲で用いられたことがわかっています。
各砲弾では以下の量の溶鉄が充填されました
32ポンド砲弾 16ポンド (14.5kg中7.3kg)
8インチ砲弾(砲弾重量56ポンド)26ポンド (25.4kg中11.8kg)
68ポンド砲弾 26ポンド (30.8kg中11.8kg)
10インチ砲弾(砲弾重量84ポンド)45ポンド (38.1kg中20.4kg)
・実験と評価
この砲弾の効果に関しては1859年、砲術練習艦「エクセレント(Excellent)」が拠点を置くホエールアイランド※近くにて、実際に標的艦を使用した実験の記録が知られています。
その際に標的になったのは、ナポレオン戦争時代の木造フリゲート「アンドーンテッド(Undaunted)」で、砲撃は68ポンド砲と鉄を溶かす専用の炉を搭載した砲艦「ストーク(Stork)」が行いました。
ここでは砲弾の効果とそれに関連する条件、具体的には発射薬の量と充填から発射までの時間の影響が主な調査内容でした。(前者は砲弾が反対側の舷側を抜いて船外に出てしまわないかという懸念から、後者は溶鉄の凝固による性能の変化が主な関心事です)
実験の経過は箇条書きにすると以下のようになります。
・1発目は充填から5分、発射薬の量は5ポンドで発射。舷側を貫通して溶鉄を甲板上にまき散らすも、煙を発生させただけで消し止められる
・2発目は充填6分後、発射薬は2.5ポンドと最も少ない量を使用した為、舷側を貫通せず中に留まる。食い込んだ砲弾は赤熱弾を同じ効果を示し、命中の11分後に発火するも容易に鎮火される
・3発目は4分半後に4ポンドで発射。一発目と同じような結果に
・4発目は4分半後に4ポンドで発射。舷側を貫通するも特に発煙などは確認されず、その後5発目が発射された為に内部の調査も行われず
・5発目は充填5分後に8ポンドと最も多い発射薬で撃ちだされ、舷側を貫通後に船体内部より激しく発煙し火災が発生。これを見て命中6分後より消火活動が行われるが、激しい煙と熱により内部の消火活動は打ち切られ、外部よりの放水も効果なし
・最終的にストークが68ポンド砲の実弾6発を、横揺れで露出する舷側水線下(原文では「striking between wind and water」)に撃ち込んで、浸水で着底させる事でようやく鎮火
最後の5発目以外は思ったほどの効果を与えていない点、そして5発目にせよ実戦さながらの決死の消火活動が行われたとは考えられない点に注意すべきですが、それでも実質一発で目標を廃艦にするほどの威力を持つことが明らかになったと言えるでしょう。
詳細は不明ですが、同実験の他にも32ポンド、8インチそして10インチ砲で計152発の発射実験が行われ、以下のような結果がまとめられています。
・発射は注ぎ口の溶鉄が固まる充填後4分以降
・溶鉄は少量が甲板にまき散らされただけでは周辺の木材を焦がすだけで発火はしない
・焼夷効果は溶鉄の量に左右され、32ポンドよりも8インチ、8インチよりも10インチと大口径の方が優れる
・砲弾は最大初速で撃ちだしても問題の無い強度を持っているが、舷側を貫いてしまうより、その中に留まる程度の威力で撃ちだした方が発火させる上では好ましい
・溶鉄がすべて固まってしまった後でも、充填後1時間後までは赤熱弾と同じ効果がある
・総合的にみると赤熱弾よりも装填が容易で、焼夷効果は同等以上
・問題と淘汰
まず溶鉄弾を運用するためには、専用の炉を置いてここから溶けた鉄を充填する必要があります。つまり砲弾の使い勝手は炉の性能に大きく依存します。
ストークに搭載された炉は1861年の試験によると、最初の1時間の間に7cwt (355.6kg)の鉄を溶かす事が出来る物でした。これは68ポンド若しくは8インチ砲弾で約30発、32ポンド砲弾なら49発用意できる計算で、少なくとも一個の砲弾を熱するのに数十分かかる赤熱弾よりは大きな進歩ですが、それでも限界はあります。
仮にこの砲弾のみを使おうとした場合、1基の炉で供給が追い付くのは数門程度で、数十門の砲を一度に使用する戦列艦の場合、使用する砲を限定するか間隔をあけて使用する、もしくは炉を複数設けて生産量を挙げる必要があるでしょう。(ちなみに第一話で画像を貼った「デューク・オブ・ウェリントン」は32ポンド砲114門、8インチ砲16門、68ポンド砲1門を搭載しており、これで一度に半数を使用するとした場合、必要な溶鉄の量は520kgにも達します)
ただし戦闘時に炉で火を焚く事による火災リスクは変わらないので、そういった事故で失っても痛くない小型艦で採用した場合なら、搭載門数も少ないので十分間に合います。
この他には木造船よりは火災に強い鉄製船体を持つ艦(戦列艦は基本木造)、そして砲撃自体を防ぐほどの防御力を持つ艦なら、採用した際のデメリットは少ないと思われます。
威力と運用の容易さの両方で赤熱弾を上回る性能をもっていた溶鉄弾ですが、最大の問題点はその登場が遅すぎた事にあると言えるでしょう。
この頃には鉄製船体を持つ軍艦も登場、鉄製といっても艦内には可燃物を含む部分も多いですが、一番撃ちこむのに効率が良いとされた舷側に使われる木材が薄くなったので、そこで効果を発揮する機会が減ることになります。また帆なしで動ける蒸気機関を搭載した艦も主流となっていましたが、これに対しても帆を燃やしても動きを止められずに、価値を大きく下げることになります。
そして致命的なのは、前回触れたように各国海軍はすでに炸裂弾を主要な艦艇の平射砲でも使用するようになっていた点です。
非装甲の木造船に対してはこちらも火災を引き起こすだけでなく、爆発の威力で乗員を薙ぎ払ったり、船体に大穴をあけて浸水を起こしたりと、対象の材質にかかわらず、こちらの方が効果的なのは否めません。実弾のみを使う時よりも被弾時の二次被害が大きくなりやすいのはどちらも同じで、装填前に溶鉄の残量を気にしつつ注ぎ込むのに比べれば、所定の数が搭載された信管を取り付けるだけなので扱いも楽と言えました。
こうして見ると勝っている点と言えば、信管を使う砲弾ではないので不発弾が無いことぐらいでしょうか。
しかし弾薬の保管方法など課題もあって砲弾すべてが炸裂弾という風に急激に変化したわけではなく、溶鉄弾も細々としたニッチに入り込むことには成功しています。例えば英国初の装甲艦である「ウォーリア(Warrior)」も68ポンド砲の為の炉を搭載し、溶鉄弾を使うことが可能でした。そして当時の物か復元品かは不明ですが、ポーツマスで記念艦となっている同艦では、この炉も展示されています。
こうして使われ続けた溶鉄弾も、60年代に滑腔砲に取って代わったライフル砲での適応できなかった事により、その旧式化に拍車がかかります。
ライフル砲の仕組みに関しては今後扱いたいと思いますが、当時のライフル砲用の砲弾は。ライフリングによる回転を得るために鉛や亜鉛を含む付属物に頼る方式が主流でした。つまり溶鉄を注ぎ込んで高熱を発する砲弾は、その付属物に悪影響が出るので使用する事が出来ませんでした。(同じ理由で赤熱弾も使えません)
一方で付属物に頼らずに、ねじれたような形の砲腔に砲弾が合わさる方式も存在し、イギリスでは1850年代にスコットやランカスターが考案した大砲などで採用していました。そして溶鉄弾はこの2種類のライフル砲で命脈を保っていた事が確認できますが、こちらもアームストロング砲等との競合に敗れて、ライフル砲の主流とはなりませんでした。そもそも付属物を伴う方式にしろ、より高熱に強いはずの銅や真鍮を使えば問題はなかった可能性もありますが、結局炸裂弾が自由に使える時代に採用する利点は少ないと判断されたのも大きかったと思われます。
こうして溶鉄弾はライフル砲時代を生き残ることが出来ず、採用していた滑腔砲が旧式化していった1869年に廃止。実戦を経験することもなく歴史の表舞台からは姿を消します。
おわりに
榴弾との競争の中で廃れた溶鉄弾ですが、「ストーク」のような艦はその大火力をもって、当時の戦列艦など主力艦にも大きな被害を与える可能性がある事から、戦力としては侮れない物があったと思われます。
この砲弾のように強大な攻撃力を持つ兵器が導入された場合、それを搭載した高速小型艦を多数建造したほうが、大型の主力艦からなる艦隊よりも強力なのでは、という予想は19世紀以降には幾度も唱えられます。これまでの艦艇と大砲の間にあった攻撃と防御のバランスを、平射砲での炸裂弾運用によって崩壊させた、フランスのペクサン大佐も同じような主張を行った一人でありました。
次回はそういった考えを生み出す程に兵器のあり方を変えた、ペクサン砲と炸裂弾の使用について述べていきたいと思います。
(執筆が進まない場合は番外編を代わりに投稿する予定です)
主な参考資料
Alexander Holley, Treaties of Naval Ordnance and Armor, 1860
H. Garbett, Naval Gunnery, 1897
H.M.S Excellent, Experiments with Naval Ordnance, 1866
※ ホエールアイランドはポーツマス近くの小島で、1830年に74門戦列艦エクセレントが砲術練習艦として同島を拠点にしたことで知られます。この実験の時期には別の一等戦列艦がエクセレントの名前を受け継いで練習艦を務めていましたが、60年代後半にはポーツマス港の拡張工事で出た土砂を利用して島を拡張。島内の陸上施設もエクセレントと名付けられ、砲術に関する重要な研究が続けられました。ちなみに現在も海軍の施設として維持されています。