第20話 砲車からスライドへ(舷側砲用の砲架について)
第19話(仮)として投稿した「旧式滑空砲の行方」は、この章を更新し終えた後に順番を変える予定ですので、その際には本話含め話数が変更されます。
・はじめに
今回からは砲の本体から若干離れつつも、それを運用する上で欠かせない諸要素を見ていきます。
その中でも最初に扱うのは、砲身を載せる砲架です。この時代(60年代から70年代)は砲架の形態、各種機構が大きく分化した時代で、その組み合わせをすべて紹介する事はできませんが、出来る限り挑戦したいと思います。
・砲架の役割
最初に白状しておくと、これまで砲架の知識は殆どなかったので、本作でも殆ど触れてきませんでした。その為具体的な物を紹介する前に、基本的な役割の部分から始めます。
砲の運用で砲架に求められる機能としては、非常に大雑把ですが少なくとも以下の三つを挙げる事が出来ると思います。
・砲の重量を支える事
・効率良く砲を動かす事
・効率良く駐退復座を行う事
補足すると、一つ目は当然として、二つ目の「砲を動かす」の「動かす」は、砲架全体の移動(砲の運搬)と、目標へ向けて砲身を指向させる事の二つからなります。そして後者は最低でも、左右(旋回)と上下(俯仰)の二方向の動きを要します。
三つ目の「駐退」は発射の反動で砲が退却する動きをコントロールする事。そして「復座」は退却した砲を発射の為再び前方へ押し出す動作を指します。
そして艦砲の場合は、揺れる艦上でもなるべく各種機能を保つ事、艦内の限られたスペースで駐退する事、そして大多数は決められた場所に搭載される物なので、「砲を動かす」の中でも運搬能力はそこまで重視されない点も加わるでしょう。
つまり残る「旋回俯仰」と「駐退復座」が艦砲では特に注目すべき機能で、実際この時代、関連する機構のバリエーションが豊かになっていきます。本話でもこの二点を重視して書いていく形になります。
・全体的な傾向
続いてこの時代の傾向を見ていくと、一つ目の変化は、これまで見て来たライフル砲の普及や砲自体の大型化への対応です。今までにない重量や反動に対しても、砲架側の進歩で上記の機能を維持出来たという事は、それらの砲が実用的な兵器として用いられる背景の一つと言えるでしょう。
その進歩に該当するのが、より強固な材質と効率的な機構の導入が進んでいく点です。
前者では同じ形状機構の砲架でも、木製に代わって錬鉄などの金属製の物が登場します。鉄の利用は第10話でも触れたように、破片による被害を危惧する声もありましたが、後の実験で否定する結果が出たのと、どのみち木製に未来はないとして導入に至ります。
そして後者はこれから見ていくように、梃子や滑車といった古典的な物に加え、歯車、蒸気機関、液圧等が用いられ始めました。
もう一つの非常に重要な点は、艦上の旋回構造内に砲を収める新しい搭載方法、つまり「砲塔turret」が登場し、一部艦艇の主兵装として採用されるまでに普及していく点です。
砲塔の話は何度も言うように非常に重要で、この時代の砲架を語る上で特に欠かせない物です。ただしこの話は大砲だけでなく、装甲艦艇そのものの歴史と密接に関係している為、現時点では前提となる解説が不足している点は否めません。
そこで遺憾ながら、砲塔については後日機会のある時にまとめて扱う事が出来ればと思います。
・舷側砲用の砲架
それでは今回は何を扱うかというと、帆船時代より艦砲の主な搭載方法であった舷側砲broadside gunの砲架が対象になります。
甲板上に搭載した砲を舷側やブルワークに設けた砲門から撃ちだすこの方式は、最初期の装甲艦、第13話で見たグロワールとウォーリアはもちろんの事、砲塔の誕生以降も暫くの間は主兵装の搭載方法として多数派を占めていました。
図1
上はブルワークの背後に搭載された典型的な帆船時代の砲架、下は主兵装を舷側砲とした装甲艦の中でも1877年竣工と遅めに登場した英アレクサンドラAlexandraの内部切断図になります。
ここからは本題に入るとして、図1で示したような帆船時代と装甲艦時代、新旧それぞれの代表的な砲架を具体的に見ていきます。
・帆船時代の砲架
図2
帆船時代の物として挙げられるのは、図1上や図2のような車輪の付いた砲車truck carriageです。この種の砲架は少なくとも、16世紀半ばに沈没したマリー・ローズMary Roseから引き揚げられた物の一部で確認でき、そこから300年あまり経過した19世紀中頃に至るまで、最も一般的な物として用いられました。
砲車の中でも主流は上図のような四輪砲車で、一部では後輪の部分がブロックに置き換わった二輪砲車rear chock carriageも存在します。
これらは陸上砲では砲台等が用いる物とほぼ同じで、野砲の砲架とはかなり異なる姿です。砲の運搬より駐退復座を重視する為、車輪の直径は小さく甲板との摩擦を大きくし、砲架の高さを低く保つ事で、発射の反動や船の揺れに対する安定性を高めています。他には野砲に見られる後部に突き出た架尾trailという部位が無い事、そしてロープで船体に繋がれている点も違いになります。
駐退と復座の方法
機能面を見ていくとして、図2よりも図1上の方が分かりやすい面もあるので、そちらも参照願います。
まず発射で生じる反動の吸収は、甲板上を退却する際に生じる摩擦と、砲身の尾部にある尾珠cascabelを通って船体に結び付けられた太いロープbreeching ropeが行います。そして復座では反動吸収用とは別に、テークルtackleという滑車を組み合わせたロープが砲架から伸びており、これを人力で引っ張る事で前方に押し出しました。
旋回方法
砲車の車輪は前後方向に固定されている為、向きを変えて車輪で横に動かす事は不可能です。この作業でもロープとテークルを用いた他、ハンドスパイクと呼ばれる棒を差し込んで梃子の原理で砲架をずらすなどして向きを変えていました。
なお末期の二輪砲車の一種であるマルシリーMarsilly砲架では、後部にローラー付きのハンドスパイクを差し込んで復座や旋回の補助とした事も確認できます。
俯仰方法
前提として大多数の大砲は砲身の横に出た砲耳trunnionという部位(図2A)を砲架に乗せ、ここを軸にして砲口を上下に動かす形になります。
砲車の一般的な俯仰作業は図1上で描かれている物で、後部の段差部分からハンドスパイクを差し込んで砲尾を持ち上げ、この下にあるコインquoinという楔(図2B)の位置を変える事で角度を調整していました。
欠点と可能性
砲車はシンプルな構造で信頼性に優れた物である一方で、上で見てきたように各種操作に要する人員の多さや鈍重さから、操作性は非常に悪いと言わざるを得ない物でした。
それでも300年も大きく姿を変えなかった事は、当時の環境で十分性能を満たしていた事を意味しています。当時の砲術は至近距離の目標に対し適切なタイミングを待って一斉射撃という流れであり、その中では旋回俯仰などの素早い砲の操作は重視されませんでした。
一方で操作性の限界がそのような環境の一因とした場合、こんな考え方も可能ではないでしょうか。砲架の改良次第では、より遠距離で動き回る目標にも有効な砲撃が出来るようになり、そこから砲術、ひいては海戦の様相すら変える可能性があるのでは、と。
この点も少し覚えてもらって、次の時代へと移りましょう。
・装甲艦時代の砲架
この時代に砲車に代わって主流になるのが、図1下の舷側砲群が用いたようなスライド砲架slide carriageと呼ばれる物で、日本語訳では橇盤砲架という名称もあります。
図3
上図 は英海軍の9インチ前装砲のスライド砲架で、これと図1下から構造を見ていくと、まずは砲車に相当する砲を載せる部位があります。これは橇車という訳がある他、英語圏ではこれ単体で砲架carriageと称する場合があります。
そして橇車の下には、名前の通りそれを載せるスライド(橇盤)があり、この二つが砲架を構成する主な要素になります。
この砲架では砲車とは異なり、駐退復座の動きは甲板上ではなくスライド上で完結します。
それに伴う利点として、スライド側に専用の駐退復座装置を設け、その能力を向上させる事が可能です。また橇車は前後方向の動きに専念してもらい、代わりにそれを載せるスライドの下部に旋回機構を設け、旋回用プラットフォームとしてより効率の良い操作が可能になるのです。
この二つの利点は砲が大型化する中、反動への対応や操作性の確保と言った問題が重視された環境に特に一致して、この時代に砲車に代わって主流となる要因になります。
過去のスライド砲架
やや脱線しますが、スライド砲架と言える物の原型は少なくとも18世紀後半の時点で確認できます。その頃はカロネードや艇砲などの比較的小型な砲の砲架として用いられました。
図4
図左は舷側砲として搭載されたカロネード、右は19世紀初頭の物の写真です。
図5
上図は1850年の資料に登場するフランス海軍の艇砲です。18世紀の物としてはアメリカ独立戦争で沈没した米海軍の砲艦フィラデルフィアPhiladelphiaの物が引き揚げられ展示されています。
上記の二種の内、カロネードは砲耳を持たない都合で橇車に相当する部位の形状が特徴的ですが、1830年代より英海軍で用いられたハーディの摩擦砲架Hardy’s compressor carriageでは(図6)、後の時代の橇車に近い物が見られます。
図6
ちなみに名前の由来はトラファルガー海戦時の旗艦ヴィクトリー艦長として知られる、第一海軍卿トマス・ハーディ提督の支援の元で開発されたからで、実際の開発者は別の人のようです。
こういった砲架を持つ砲は露天甲板上等に少数が搭載される形が多かったのが、普通の舷側砲に用いられる等、多数派になるのが装甲艦時代という形になります。
駐退と復座の方法
話を機能面に戻すと、まず反動の吸収については、カロネードや艇砲と言った最初期の物では、砲車と同じく退却時の摩擦と尾珠を通るロープが担います。そしてハーディ砲架や以降の物になると、前述のように専用の駐退装置を設けた物が確認できます。
駐退装置は、摩擦式と液圧式の二つに分ける事ができます。
摩擦式はネジやレバーの操作で橇車とスライドの間の摩擦を増やす機構を設けるもので、ハーディ砲架もこれにあたる物なので装甲艦時代より前から在存した事になります。
図7
代表的な物としては、図7左はアームストロング社のエルジック式摩擦駐退機Elswick compressorの断面図です。図3の上面図に見える物も同じ形式になります。
これは二本の鉄骨を繋いだ形のスライド内部に、前後方向に通る数枚の鉄板(図3A)を設け、橇車側のアームがそれを挟む事で摩擦を生み出します。操作は図3Bにある橇車側面の大きなレバーを用いますが、事故対策として退却時に自動で作動する機構を持つのが特徴です。
もう一つの図7右は、英海軍のスコット大佐が開発した弓形摩擦駐退機bow compressorの断面図です。これは橇車が載るスライドの鉄骨部分を挟み込む物で、橇車の重みで自動的に作動します。
そして液圧式は、スライド側に液圧シリンダーを設け、橇車と連動するピストンの退却を受け止め反動を吸収します。後の時代に駐退機=液圧式と言えるまで広まるこの方式ですが、現時点では少なくとも70年代より一部で導入され始めた段階でした。またエルジック式などの摩擦式の名残か、後の時代の物とは異なり、反動の発生源である砲身よりも低い位置にシリンダーを置く形が主流です。
英海軍での大まかな流れとしては、ロープ単体から始まり、ロープ+初期の摩擦式、エルジック式、スコット式、スコット式+液圧式もしくは液圧式単体の順番で導入が進んでいきます。そして一部の例外はありますが、この流れの中で反動吸収用のロープを必要としない形になっていきます。
復座の方法もまた、初期のロープとテークルから別の物に置き換わっていきます。図3にあるのはスコット大佐による復座装置で、図3Cの部分のレバーを操作すると橇車とスライド側面のチェーンが連結し、後部にあるハンドルDを回して橇車を前後に移動させる事が可能になります。
また液圧駐退機を持つ物は復座にも液圧を用いていました。後の時代の火砲では、液圧式は気圧式やバネ式の復座装置と組み合わせるのが基本ですが、それらはまだ確認できません。どうやら液気圧式については、この時点で英王立砲架部門Royal carriage departmentのクラーク将軍が陸上砲台用に開発したという話があるのですが、そこでは海上で砲架を固定する能力がなく、単体では使えない物とされています。
これらの機構とは別に、スライド自体をやや前傾させる事で駐退復座の補助とする物も確認できます。
旋回方法
前述の通り、この砲架ではスライドが旋回プラットフォームとなる訳ですが、多くの場合スライドは軸となるピボットpivotを甲板もしくは船体に挿して、これを中心に旋回します。よってこの時代では、スライド砲架=ピボット砲架と言い換える事も可能です。(ただし陸上砲の一部ではピボットを持たずに旋回可能なスライド砲架も存在したり、艇砲の一部にはそもそも旋回しないのでピボットを持たないスライド砲架が存在します。また後の時代でピボット砲架と言うと、この時代の物と結構違う物を指す事もあるので注意が必要です)
ピボットは旋回の仕方に応じて、スライドの前方に持つ物、中央もしくは中央近くに持つ物、前後の二つを使い分ける物があります。そして舷側砲は砲門を中心に旋回する必要があるので、図1下の右下や図3にもあるように、砲門下の舷側内などにピボットが埋め込まれた前方ピボット式になります。
続いて具体的な旋回機構については、まずスライド上には弧を描くように斜めを向いたローラーがあり、加えて甲板上にはそれに合わせたレール(racer)を設ける事で効率化を図っています。
動力については、初期はやはり砲車と同じくロープとテークル、そしてハンドスパイクを使う物もありますが、あまりにも大型化した砲に対しては効率化したと言っても限界があります。そこで登場するのが機械式の旋回装置で、甲板にレールとは別に歯弧という弧を描いたラックを設け、これに噛みあうピニオンをスライド後端にある図3Eのハンドルで回して砲架を旋回させます。
なお図3は復座装置のハンドル等と被って見え辛いかもしれませんので、同じ物ではないですが近い英海軍の砲架を下に掲載します。ここではハンドルSから歯弧Kまで伸びる機構が見えるかと思います。
図8
俯仰方法
最後に俯仰方法は、初期の物ではコインの他に、主にカロネードを中心に俯仰スクリューを用いました。これは尾珠を貫くなど砲尾に設けたスクリューを回転させる事で、砲身を上下させます。この方式は末期の砲車式でも見られます。
生憎図4のカロネードでは見えないか外されているのですが、図6のハーディ砲架では確認できる他、もっとはっきりとした物は第一話に掲載したダールグレン砲の砲塔用砲架を参照頂ければと思います。
そしてこの時代では、こちらも歯車を用いた物が登場します。図3Fにあるように砲尾に歯弧を設け、これを橇車側のレバーと歯車で動かします。
他には砲塔用の砲架では液圧を用いた俯仰筒が既に一部で導入されていましたが、舷側砲用の砲架に用いられていたかは今回の調査では把握できませんでした。
図9
一通り代表的な機構を見終わった所で、せっかくなのでクルップ社製の24cm砲とその砲架の実物写真も見ておきましょう。砲そのものは英海軍と違い水平鎖栓式の後装砲ですが、砲架は上で見た物に近い事が分かるかと思います。
スライドの内部にはエルジック式に近い摩擦駐退機の鉄板群が二組通っており、側面にはチェーンを用いた復座装置、前方にはピボットへ伸びるアームの先端が写り、下部には旋回用のレールと歯弧、その上のローラーと言った物が見えます。そして橇車には駐退機のレバーに加え、俯仰用のレバーと砲身側にある歯弧の一部も確認できます。
・進歩と限界
これまで見てきたように、この時代のスライド砲架は300年程変わらなかった砲車の時代と比較すると、一気に機構面の変化を遂げ、高性能化が進んだと言えます。
一方で先述したように、ここでの改良が海戦の様相を変えるほどに革命的な変化をもたらすかというと、その段階には程遠い物でもありました。高性能化はあくまでも砲の大型化への対応を主とした物で、操作性も砲車よりは向上しているものの、軽快に扱うという意味では発展途上です。
加えて帆船時代の砲術を決定付けた要因には、操作性以外の問題も存在し、むしろそちらの方がより大きな影響を与えていました。それらは原始的な射撃指揮装置、視界を大きく遮る黒色火薬の砲煙、そもそもの発射速度の遅さと言った物が挙げられます。
これ以降に砲架の改良をきっかけとした砲術の変化は、一応起こるには起こるのですが、上で挙げた三つの問題の解決を含む進歩を経た、もっと先の時代の話になります。
その為この時代は、砲そのものが大きく変わりつつも、砲術的な意味ではまだまだ帆船時代と大差ない物を引き継いでいたというのが実情になります。
本題はここまでなのですが、この時代には通常の砲車とスライド砲架の中間のような姿を持つダイレクティング・バー砲架directing bar carriageという物もあり、最後にこれも紹介しておきたいと思います。
これは砲車に相当する部位とスライドに相当する棒状部位からなり、後者の持つピボットを中心に旋回する点もスライド砲架と同じです。ただし砲車相当の部位を上に載せるのではなく、砲車の車輪の間を通るように棒状部位が伸びています。その為に駐退復座は砲車が甲板上で行い、棒状部位は基本的にその際のガイドとして働きつつ、一部種類でのみ駐退を補助する機能を持つに留まっています。
この砲架は、英海軍では装甲艦ウォーリアで砲甲板上に搭載した68ポンド砲やアームストロング砲用の砲架として採用され、今日も復元された物を展示で見る事が出来ます。これは駐退の補助機能等を持たない物で、性能不足とされたのか以降はスライド式に置き換わっています。
図10
上の図は(厳密な舷側砲用ではあまりませんが)より機能性の高い米海軍の物です。特徴として砲車側に円形ブレーキ(図10H)が設けてあり、退却時に棒状部位に刻まれた歯(図10D)と合う事で摩擦を増す仕組みです。この円形ブレーキは米海軍では一部のスライド砲架にも使用されました。
またフランス海軍の物は砲車が退却した際に甲板から浮いた状態になり、ローラーが付いた棒状部位を用いてスムーズに旋回が可能になる仕組みがありました。
米仏のダイレクティング・バー砲架は、機械式の旋回装置を持たない事もあって、両者とも主に比較的小型な砲に用いられました。
・おわりに
繰り返す事になりますが、この時代の砲架は随所に新しい機構が導入され、大型砲を運用する上で非常に大きな役割を果たしています。特に駐退復座装置では後の時代の基本である液気圧式や液バネ式こそまだありませんが、液圧駐退機の導入が既に見られるのは注目すべき点です。
その一方で、性能的にはまだまだ運用面で革命を起こすような向上に至るものではありませんでした。また以降はそもそもの話として、大型砲の搭載方法自体が変化していき、舷側砲の時代から、広い射界や機械力を用いやすい利点を持つ砲塔の時代へと移って行きます。
今回はここまでになります。まともに砲架について書いたのは初めてなのもあって、いつも以上に乱雑な内容ですが、楽しんで頂けたのなら幸いです。
次回のテーマは舷側砲の次という事で、露天甲板上に搭載された旋回砲等の砲架です。上で砲塔の話はすぐにはしないと言った通り、それ以前に砲塔的な運用がなされた砲について書いていきます。
あと本話で書ききれなかった機構も少し(艦砲以外を含め)あるので、そちらも触れられれば。
それではご覧頂きありがとうございました。色々と放置している物が多すぎるので次回更新は未定ですが、いつかお届けできればと思います。
参考文献
第16部分「更新再開と補足など」にまとめて掲載
画像出典(すべてパブリックドメイン)
図1上、図4左、図7 H. Garbett, Naval Gunnery, 1897
図1下 Anonymous, Great industries of Great Britain vol.3, 1884
図2、3 James Forrest (ed), Minutes of Proceedings of the Institution of Civil engineers, vol. 38, 1874
図4右 Ira N. Hollis, The Frigate Constitution, 1900
図5 Ministère de la marine et des colonies, Aide-mémoire d'artillerie navale, 1850
図6 James Peake, Rudiments of Naval Architecture, 1867
図8、図10 A.P. Cooke, Text-book of Naval Ordnance and Gunnery, 1880
図9 Ansicht lange 24 cm Kanone in Laffete für Kasematt-Schiffe, Architekturmuseum TU Berlin, Inv. Nr. F 9840 ベルリン工科大学建築博物館所蔵資料(オープンアクセス)より