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私的近代兵器史話  作者: NM級
4:装甲艦時代の大砲~黒色火薬編
20/23

第19話(仮) 旧式滑腔砲の行方

お久しぶりです。

「次回は砲架の話などを~」と書きましたが、更新ペースなどの関係で出せる物から出しておこうと本話を投稿させて頂きます。

本来はもう少し後に扱う予定だった内容でして、仮にそこまで更新が進んだ場合、並び順等が変わると思いますので、19話(仮)という事でよろしくお願い致します。

・はじめに

 これまで見てきたように、19世紀後半の火砲は技術革新と共に様々な面で性能を伸ばしてきました。それに伴う変化としては、既に触れた部分ではライフル砲並びに後装砲の実用化と普及、砲身への段階的な鋼の使用、層成砲身による構造強化、そして今までにない巨砲の登場等を挙げる事が出来ます。

 一方でどのような道具にも言えますが、より進歩した物が登場すると言う事は、その影で陳腐化、旧式化してしまう物が出てきてしまうという事を意味しています。

 今回はそういった旧式化してしまう大砲にスポットライトを当てて、旧式化後の新たな利用方法について、ほんの一部のみですが調べられた部分を紹介できればと思います。


・対象

 まず具体的に旧式化した物と言うと、艦砲の場合はライフリングを持たない滑腔砲で、前装式、砲身は鋳鉄製の単肉構造という、帆船時代より定番だった様式の大半が対象になります。その中でも特に扱いに困ると思われる点から本話で注目したいのは、これまで主兵装クラスとして多数が製造搭載された砲です。

 英海軍の砲を例にすると、32ポンド砲を代表として、より新型の8インチシェルガンや68ポンド砲といった物が加わります。


 それらの砲は、まだ後装砲が完全に普及してない時代なので前装式なのはともかく、ライフル砲相手に撃ち負け、威力的に装甲目標には歯が立ちません。しかも艦砲以外での用途を探しても、その大きさから取り回しにも制約があります。

 在庫の数に対して、ライフル砲と装甲艦の時代に期待できる役割は極めて小さいと言わざるを得ません。こういった砲はどのように利用されたのでしょうか。


・利用

 利用法と言っても、廃棄して資源にする、軍備の進んでいない国に売却する、記念品として保存すると言った手段も普通に利用法と言えるでしょう。礼砲や午砲としての使用など、直接戦闘に用いない用途もまた、旧式化した大砲の立派な活用法の一つです。

 ですが本話で取り上げたいのは、やはり改造による性能向上などで戦闘に用いる兵器としての能力を維持した例です。

 今回調べた所、そのような例は主に二種類ある事が確認できました。最初に挙げる事ができるのはライフル砲への改造です。



・ライフル砲への改造

 滑腔砲である点が威力や精度の面で劣る主な原因ですので、適切な改造でライフル砲に出来れば、その問題を大幅に解消する事が可能です。また新規のライフル砲と弾薬の互換性を持たせれば、運用面での助けになる点も考えられます。

 この点からライフル砲への改造は最も常識的な手段であり、少なくとも英仏米の三か国で確認できます。その具体的な例を見ていきましょう。


英国の例

 英海軍では55年からライフル砲への改造実験を行っており、63年には17話でも触れたパリザー大尉による改造法が成功をおさめ採用されました。この方式は元の砲身をボーリングし砲腔を広げ、その中に錬鉄製の内筒を挿入、層成砲身を持つ前装式ライフル砲にするという物でした。

図1

挿絵(By みてみん)


 この手法により、32ポンド砲と8インチシェルガンの2種類が共に64ポンド砲(砲身重量が前者は58cwt(約2.95t)、後者は71cwt(約3.6t)と異なります)に、加えて68ポンド砲を80ポンド砲に改造した物が実際に採用されています。生産数は71年度までに1100門が完了予定とする記録があり、かなり大規模な改造が行われたようです。

 配備先としては陸上要塞の備砲、木造艦など二線級の艦艇の主兵装として用いられました。


 この内64ポンド砲には、同じ口径で最初からライフル砲として設計され、主に錬鉄からなる層成砲身を持つ砲身重量64cwt(約3.25t)の物(以下の文では64cwt砲と呼称)も存在します。

 この砲との比較も兼ねて、同改造砲の性能等も見ていきます。


 まず砲弾は通常榴弾(コモン)、散弾(ケースショット)、榴散弾(シュラプネル)の三種類を使用しました。榴弾と榴散弾は椎の実型で、銅製の鋲を側面に持つ翼式砲弾。弾頭部に着発もしくは時限信管を装着し用いました。そして散弾は本砲の場合、子弾の入った円筒の容器をそのまま回転させず撃ち出す物でした。 

 これらの砲弾は種類としては64cwt砲と同じ物です。当時は徹甲弾に相当する砲弾は7インチ以上の砲に限られた事から、両者共に非装甲目標や陸上部隊への攻撃を主とした砲という事になります。


 また砲弾を撃ち出す発射薬は大粒黒色火薬を最大8.25ポンドで、初速は384m毎秒。一方で64cwt砲の内、内筒が鋼製になった物は同発射薬10ポンド、初速424m毎秒とこの点では劣っていました。

 その分から当然最大射程にも影響が出ると思われますが、調査範囲では不明です。ただし射表の数字が両者とも4000ヤードまでと、砲架の最大仰角を考えると軽く到達できる数字なので、両者とも想定された有効距離に十分に満たしている事になります。なお改造前の滑腔砲でこの数字は3000ヤード程度なので、向上している事は言うまでもありません。

 と言う風に兵器としてはやや地味な気もしますが、新規の砲にそこまで劣らない性能で数を用意できたという点で、再利用先としてかなり有力だったと考えられます。



フランスの例

 仏海軍については使用例などの情報は少ないですが、英国と同じような中口径程度の改造ライフル砲がいくつか確認できます。

 まず海軍初のライフル砲である1855年式16cm砲は22cmボムカノンからの改造とする資料も存在しますが、冷静に考えるとこの砲は単肉砲なので口径を22cmから16cmにするのは物理的に不可能なはずです。おそらく外形を22cm砲と同一にしたという点が勘違いされた物かと思われます。

 一方で実際に確認できるのが次の1858-60年式です。この方式の16cm砲は新規製造された物に加え、それ以前の主力であった30ポンド砲の1820-40年式と1849年式から改造された物が存在しています。また新たに採用された14cm砲は58-60年式では全て18ポンド砲からの改造砲で、さらに今度は本当に22cm砲を口径そのままに改造した物も存在します。

 改造内容としては若干調査不足ですが、腔内にそのままライフリングを刻んだのに加え、新規の16cm砲と同じく尾部に箍を焼嵌めて層成砲身としています。 


 余談ですが16cm砲と14cmは、実口径がそれぞれ164.7mmと138.6mmという、インチでもメートルでも中途半端な数字なのが特徴です。その理由は30ポンド砲と18ポンド砲という、以前より存在した砲の口径を引き継いだからという事になります。

 また以降の1864年式でも同じように、中途半端なサイズの19cm(実口径194mm)と27cm砲(実口径274.4mm)があります。これもまた同口径の砲が(50ポンド滑腔砲と27cmボムカノン)存在していた事から、同じ理由が考えられるでしょう。

 これらの砲の口径はさらに代を経た20世紀の艦砲にも受け継がれる事になっていきます。

(1870年式で加わった32cm砲も、以前にも実口径324.4mm の32cm臼砲が存在していましたが、口径は正32cmと新規です)



米国の例

 アメリカではまずパーソンズという人が60年代初め、パリザーのような改造法を考案しています。

 これは尾部まで貫通する範囲まで砲身をボーリングし、鋼製の内筒を後ろから挿入するという物で、パリザーの方式よりも理論上性能は上ですが手間とコストが掛かり、登場の速さに対して中々採用されませんでした。


 一方でこの時期のアメリカは南北戦争が勃発し、兵器需要そのものは非常に高い物でした。そこで改造砲自体は南北両軍で確認できます。

 最初に米陸軍は60年より既存の滑腔砲を改造する計画を進め、野砲サイズの物に加え、沿岸砲台用の24、32そして42ポンドと言った大型砲も対象になりました。

 これらの砲は陸軍に採用されたチャールズ・ティリンハスト・ジェームズCharles Tillinghast Jamesによるライフリングと砲弾を用いた事から、「ジェームズ砲」とも呼称されます。

(なお真にジェームズ砲と呼称出来るのは、全体をジェームズが設計した3.8インチ野砲のみであり、それ以外はあくまで「ジェームズ弾を用いる米陸軍砲」だという意見もあります)


 これは砲腔内にそのままライフリングのみを刻んで改造した物で、砲弾は「鳥カゴ弾」とも呼ばれる特徴的な姿を持つ、形式としては鉛を用いた拡張式の一種にあたる物を使用。42ポンド砲の場合重量81.5ポンドと元の倍程度の重量弾を使用可能です。


 この改造砲は戦争初期に広く用いられ、特に1862年ジョージア州プラスキPulaski砦の攻撃での活躍が知られています。

 サヴァンナ川の河口に浮かぶ小島の上に立地し、厚いレンガ造りの主郭等に大砲48門(ライフル砲は1門のみ)を備える沿岸要塞的な同要塞に対して、北軍は陸揚げした36門の大砲による攻撃を行います。その内訳はライフル砲がジェームズ砲とパロット砲5門ずつ計10門、大口径滑腔砲の一種であるコロンビアード砲10門、臼砲16門です。

 戦いでは1マイル程度の距離から砲撃を行ったライフル砲が威力を発揮し、1日あまりの砲撃で主郭の一部に破孔を開けるなど大きな損傷を与えます。結果として短期間で要塞を降伏させる戦果を挙げました。

 参加した大砲の中でも改造42ポンド砲は壁の破壊に最も効果的だったと評価されています。


 また使用例は海軍でも確認できます。ミシシッピ川流域の戦役に従事した河川砲艦であるシティCity級装甲砲艦は、30ポンドパロット砲、8インチダールグレン砲、海軍式の32ポンド砲に加え、陸軍式の改造42ポンド砲を搭載していました。

 これらの艦はグラント将軍が名を挙げたヘンリー砦とドネルソン砦の戦いから、ゲティスバーグの戦いと同時期に戦争の趨勢を決めたと言っても過言ではないヴィックスバーグの攻略など陸上部隊の支援に活躍し、他にも他艦との戦闘では、第14話で紹介した南軍のコットンクラッド艦隊を壊滅させたメンフィスの戦いにも参加しています。

 なお同級の中でも触雷沈没したカイロCairoは1960年代に引き揚げられ、一部復元されたその姿を見る事が出来ます。


 威力の高さを評価されたこの砲ですが、砲身内に砲弾の残存物が多く残り手入れが面倒なのが欠点とされており、加えて砲弾の爆発事故でジェームズ自身が亡くなるという出来事も起こしています。また根本的に単肉砲のままでは砲身強度上の限界があるのも新規のライフル砲に劣る点です。

 以降はジェームズ弾以外の42ポンド砲弾が製造されたような記録もありますが、米国の主力大型ライフル砲としては、新規のライフル砲であるパロット砲がその座に就く事になります。


 そして南軍の場合、元々の工業力の低さから北軍よりもライフル砲を揃えるのが難しかったと思われる点から、改造砲はより重要視されていた印象を受けます。

 彼らの改造砲は接収した合衆国陸軍の沿岸砲などをベースに、ライフリングを刻むのに加えて尾部に錬鉄製の外筒を焼嵌めた層成砲にするという、北軍よりも手の込んだ物でした。またサムター要塞に配備されていた10インチコロンビアード砲に同改造を施した巨砲も現存するなど、改造の対象は42ポンド砲以上の大型砲にも及びました。


 これらの砲は確認できる範囲ではそのまま沿岸砲台として使用されていました。中でも活躍したと思われるのが1863年のチャールストン湾の戦いです。この戦いではモニター艦を中心に装甲艦9隻からなる北軍艦隊を相手に、装甲艦キオクックkeokukを撃沈するなど少なくない損害を与え、海上からの侵攻を許しませんでした。

 この戦いに参加した南軍砲台は計77門で2200発程を発射しています。その中でも42並びに32ポンド改造砲が15門、500発あまりを発射と、かなりの割合を占めていました。


 その後戦後の70年代から80年代初めには、また別に旧式化した大口径滑腔砲を改造する計画も存在しました。

 対象となる海軍のダールグレン砲、陸軍のロッドマン砲は、鋳鉄滑腔砲ながら砲身強度に優れ、サイズから来る破壊力を以て南北戦争時でも通用した滑腔砲の一つでした。なので正直「帆船時代の主兵装クラス」とは別物とも言って良いので簡単に紹介します。

 記録が多く残るのはロッドマン砲で、パリザー式、パーソンズ式の両方で改造を行い、10インチ砲を層成砲身の8インチ前装ライフル砲にしています。また失敗に終わりますがクルップ式の水平鎖栓を用いて後装砲化する計画も存在しました。

 これらの砲は「新規設計砲を疎かにしてまでリソースを費やした割に大失敗に終わった」と批判する文章も残っていますが、陸軍の沿岸砲台用として一応製造配備もされたようです。




・後装砲化の例

 ライフル砲化以外でもう一つ特徴的な物としては、英陸軍が用いた32ポンド後装滑腔砲を挙げる事が出来ます。

図2

挿絵(By みてみん)


同砲の概要

 これは32ポンド砲の中でも比較的砲身重量の軽い42cwt(2.13t)の砲を改造した物です。

 図でも分かるように滑腔砲そのままながら、尾部には新たに隔螺式尾栓とエルジック式緊塞具を用いて後装砲化しています。

 これは18話で触れた後装式の利点等がありますが、上で扱ったライフル砲化と比べると艦砲としての性能は明らかに低い物のままとなります。果たしてどのような目的を以て改造されたのでしょうか。


 最初にその答えを言ってしまうと、これらは陸上要塞の側防施設に用いる砲として利用されました。


要塞の話

 前提として要塞の話をする必要があると思うので、知識として怪しい面もありますが挑戦してみたいと思います。19世紀諸々の軍事技術の進歩に伴い、やはりこの分野もまた大きな変革期に入っていました。

 まず近世以降に要塞の主流になっていたのは(沿岸要塞は別として)、星型城郭という名称でも知られる「稜堡式要塞bastion system」です。日本でも幕末の五稜郭があるのでイメージしやすいかと思います。


 基本的な思想として、大砲の発達により中世までの城郭が誇った高い城壁や塔は攻撃に耐えられなくなり、代わりに主に土造りで低く分厚い塁壁rampartによる城壁を基本とします。単純に考えると低い城壁は接近する敵への阻止能力が低下してしまうので、同時にそれを補うために「稜堡」と呼ばれる突出部などを周囲に巡らせた、幾何学的な縄張りで防御火力の強化を図った物という事になります。

図3

挿絵(By みてみん) 


 物によっては半月堡など色々な物が何重にも加わる多重構造になりますが、上は稜堡のみを設けた最もシンプルな形の模式図になります。


 左の青線で示す通り、各塁壁の正面方向への射線は強力な十字砲火を形成し、接近する敵への攻撃が可能となるのに加え、接近を許して濠内に侵入された場合でも、右の赤線で示したように、稜堡の折れた部分から濠内への側面射撃が可能です。

 このように遠近ともに死角の無い防御砲火を張り巡らせる事が可能になります。


 しかし火砲がさらなる進歩を遂げた19世紀になっては、要塞側もさらに火砲の活用を重視した変化を迫られます。


 ここでは塁壁上、もしくは塁壁内に埋め込まれ防御されたケースメイトcasemate内に多数の砲座を設けると共に、稜堡など突出部の占める割合が減少し、直線を多用した比較的シンプルな形状が好まれました。

 プロイセンなどドイツ諸邦を中心に全世界に広まったこの形式が「多角形式要塞polygonal system」と呼ばれる物です。

 19世紀半ばの他国の例としては、60年代の英国が本土上陸に備えたパーマストン要塞群、ベルギーのアントワープ郊外を囲む環状要塞群などがあります。さらに普仏戦争時にも稜堡式を使い続けたフランスも、急造の堡塁で取り入れたほか、敗戦後に旧式化が明らかな稜堡式に代わり「セーレ・ド・リヴェエール式Système Séré de Rivières」として本格的に採用しています。


 以降はコンクリート造や旋回砲塔の導入で地下に潜る傾向などもありつつ、多角形式は第一次大戦期まで主に用いられる事になります。そして日露戦争の旅順要塞や第一次大戦のヴェルダンの戦いなど、激戦の舞台にもなりました。


 改めて多角形式の構造的な特徴を見ていくと、大砲を重視した直線的な構造の結果として、青線で示したような稜堡式が持つ十字砲火の能力は低下しています。これに対しては主に複数の要塞が連携する形でカバーする対策が取られました。

 一方で上の赤線のような近距離での側面射撃については、稜堡の代わりに「側防窖室」もしくは「カポニエールcaponière」と呼ばれる区画を設け、濠内に侵入した敵への攻撃に特化する形で維持しています。


図4

挿絵(By みてみん)


 左のように城壁の一部が張り出して敵側面への射撃、つまり「横矢を掛ける」陣地とする構造は、日本の中近世の城郭などでも別に珍しい物ではないかもしれません。

 一方で右のように城壁の対岸に当たる濠の壁内に埋め込まれたタイプが存在する点。(これは「外岸匣室、仏coffre de contre-escarp、英counterscarp gallery」とも言い、旅順要塞の堡塁群はこのタイプです)

 加えて城壁の上にある塀や櫓から濠内へ撃ち下ろす形ではなく、濠内を水平射撃する高さに銃眼を並べている点などは大きな相違点と言えるでしょう。

 そしてこれらの施設には銃眼だけでなく、砲座を備える物も存在していました。



 中々に脱線してきましたが ここまでの説明でお分かり頂けたかと思います。

 この32ポンド砲は「側防窖室内に配置され、濠内に入ってきた敵兵をケースショットの水平射撃で掃射する」、赤線で示した防御砲火を担う大砲として改造配備された物になります。

 散弾を打つだけなら、ライフル砲や層成砲身への改造によって得られる高い性能は必要なく、装填時間の短縮と防御構造内の安全な位置から装填できる後装砲化で十分だったと言う訳です。


 改造が行われた80年頃は、初期の機関銃や速射砲も登場していく時期に当たります。一方でそれらは未だに最初期の物であり、大砲の散弾による対人攻撃が信頼性のある手段と見做された点が、コストの安さと共に本砲が選択された理由になると思われます。

 もっともそれらの兵器の発達も以降は急速な物で、対人攻撃を担う兵器としてもまた、より効率的な兵器が登場し旧式化するのは避けられない事でした。

 ただ礼砲に使うのに丁度いい旧式砲だったので、以降も廃棄される事なく要塞に残された例も多数あります。そして現在にその姿を留めている物も少なくありません。





主な参考資料

第16部分「更新再開と補足など」にまとめて掲載



画像出典

図1 Francis Sadleir Stoney, A Text-book of the Construction and Manufacture of the rifled ordnance, 1872

図2 Handbook for the 32 - pr. S.B. B.L. gun (for flank defence) mounted on garrison sliding carriage and traversing platform : land service.   State Library of Victoria所蔵out of copyright

図3 George Philips, Text-book on Fortification etc, 1884 (一部改変)

図4 『築城学綱要 : 初級幹部必携問答』川流堂 1909年 (一部改変)

全てパブリックドメイン

本当に久しぶりの更新でしたが、主流から外れる物も書いていて楽しかったです。

相変わらず拙い作品ですが、モチベを高めつつ他の作品共に進めたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。


ちなみにロッドマン砲の改造計画があった時期の米陸軍ライフル砲計画ですが、非常にエキセントリックとしか言いようのない試作案がありすぎて、ちゃんと読めてませんがもう感情がめちゃくちゃでどう表現して良いのか分かりません。

本作で取り上げるとしても大分後の話になりますが、近日中に活動報告で少し紹介するので興味のある方はどうぞ。

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― 新着の感想 ―
[一言] いやはや勉強になります。 陸戦=野戦と思っておりましたが、散弾を要塞防護の掃射に使うとは、なるほどなるほど…後の機関銃的な運用ですな さらに後装化で速射性向上とは実に理にかなっております。
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