第18話 後装砲の閉鎖方式と緊塞具
本話の投稿に先立ち、16、17話の一部修正を行っています。具体的にはライフル砲の前史、層成砲のうち水圧機を用いた方式、鋼線砲身の採用に関する部分でそれぞれ1か所加筆を、また後装式ライフル砲の開発者の一人であるワーレンドルフの名前と出身地に誤りがあったので、この点を訂正しました。
ライフル砲と砲身構造に続いて、本話ではこの時代に再導入に至った後装砲について扱いたいと思います。
後装砲の利点
まず前装砲に対して、後装砲は以下のような利点を有しています。
・装填作業での利点
前装式が弾薬を砲腔の奥まで押し込む必要があるのに対して、後装砲はこの作業を大いに省力、高速化する事が可能です。これは前項でも触れた砲身や砲弾の大型化が進んでいたこの時代、特に重要な進歩に成り得る点でした。
・砲の防御における利点
砲を防御構造(この時期の艦艇であれば舷側装甲や胸壁、砲塔などが該当します)の内側に置いた場合、前装砲はあまりにも大型であると砲口を構造内部に引き込めず、外から装填を行う危険を冒すか、対応するサイズまで構造を肥大化させる必要があります。
それに対して後装砲は確実に構造内での作業が可能で、特別防御構造のサイズを変更する必要もありません。
・安全面における利点
砲腔内部の状態が確認しやすく、それに伴う事故を防ぎやすくなります。
例として前装砲では、1879年に英国の装甲艦サンダラーThundererが主砲の爆発事故を起こしますが、この砲は上述した砲塔の外から装填を行う仕様の為、内部人員が二重装填されていたのに気付かなかったのが原因でした。後装砲ならこのような事故も防ぐ事が出来ます。
・威力面における利点
最後に後装式のライフル砲の場合、その砲弾は(翼式を除いて)遊隙が小さい物が多いので、発射薬のエネルギーを逃さずに威力を高める事が出来る、という考えもありました。
(この点は後述する課題もあって簡単には実現できないものでしたが、理論上はそうなります)
小銃での利用
これらの利点、特に装填の容易さは小銃でも非常に重要な要素である事から、後装銃の開発は古くから行われています。軽くその流れを述べると、非軍事用であれば16世紀に製造された物が現在に残っており、さらに18世紀後半には少数ながら実戦投入が始まります。そして後に主流となるボルトアクション式の後装銃も、プロイセン陸軍が1841年に採用したドライゼ銃にて初めて登場しています。
一方の後装砲は、中近世の初期の時点で原始的な物は存在していましたが、これが廃れて以来再び返り咲くまでに非常に長い空白期間を要しています。具体的にはライフル砲の流れと同じく、1840年代にサルデーニャのカヴァリー、スウェーデンのワーレンドルフという二人が同時期に行った実験の成功が一種の画期となり、その後50~60年代に採用や実戦投入が始まります。そして最終的に前装砲に変わって各国で一般化するのは、80年代を待たなければなりません。
後装砲の課題
砲尾からの装填にはこの部分に開閉機構を設ける必要がありますが、同時にそれは構造的な弱点となります。小銃よりも多量の火薬と大質量の弾丸を使用する大砲では、閉鎖機構の強度が実用化に向けての課題の一つでした。
十分な強度を得られない場合、安全性か性能のどちらかを犠牲にする必要があり、逆に強度的に十分厳重な構造を設けたとしても、開閉作業が煩雑になりすぎれば装填時の利点を喪失してしまい、採用する意味は薄くなってしまいます。
また閉鎖機構の強弱関係なしに、どうしても生じる微弱な隙間から発射ガスが漏れ出す現象も厄介な問題です。これは発射薬のエネルギーを浪費するだけでなく、周囲の人間を危険に晒し、さらに尾部を劣化させて砲の耐久性を著しく縮める原因になります。
つまり強度と操作性を両立した「閉鎖機構」、そしてガス漏れを防ぐ機構である「緊塞具」という2つが揃って、初めて実用的な後装砲が生みだされる事になるのです。
以下はこれらの2種について、本章の範囲である80年代初頭までに考案、採用された方式を中心に紹介していきたいと思います。
閉鎖機構の種類
・子砲式、フランキ式
図1
まずは近代以前の原始的な物から紹介します。
図のように本方式は砲身から取り外せる薬室(子砲)を持っており、ここに弾薬を込めた後、砲身本体に接続する事で装填を行います。また子砲は背後(図1左なら砲架、図1右なら砲尾との間)に差し込まれた木や金属の楔によって砲身に押し付けられ固定されます。
利点としては弾薬を押し込む必要がないだけでなく、子砲を複数用意する事で発射速度をさらに上げる事が可能でした。一方で構造的に安全性や威力は前装式に大きく劣り、そこで大砲の重要性が増していった16世紀以降、大型砲では姿を消して行きます。
ただし例外として、甲板上に置かれた小型の旋回砲などでは比較的命脈を保っていたようです。
以降近代に再び採用される後装砲はこの方式とは異なり、いずれも後端まで砲腔が貫通した砲身を持ち、そこに開閉機構を持った閉鎖機を取り付ける形を採っています。
・縦栓式、推茎式
図2
貫通した砲腔の後ろ側から、尾栓を差し込んで塞ぐ方式です。ただしこの尾栓とは、ネジなどを持たない円筒もしくは先端に円盤を取り付けた棒状構造で、別途砲尾に固定する必要があるのが特徴です。固定には図2の両種にあるように、尾栓と砲尾の両方を横方向に貫通する穴を設け、ここに閂を通す方式が良く用いられました。
本方式は18世紀から19世紀の初頭にて、フランスなどで試作された砲に多く見られます。
最も広く使われたのは1840年代、スウェーデンのワーレンドルフにより開発された砲です(図2右)。この砲は本国スウェーデン以外にオーストリア海軍へ結構な数が生産された他、意外な事にプロイセン陸軍最初の後装砲である1861年式6ポンド野砲は、以降ドイツ砲の伝統となる鎖栓式ではなく、この砲の閉鎖機構を採用していました。
一方で本方式は尾栓と閂という二種類の部品を出し入れする必要から、他の方式よりも煩雑な面もあり、以降に制式に至った例は確認できません。
・鎖栓式、楔式
図3
砲腔を横か縦、どちらかの方向に貫通する楔(鎖栓)によって塞ぐ方式です。
多くの場合、鎖栓は端部に砲弾が通るための穴が設けてあり(図3B、C)、砲身から完全に抜き出さずともスライドさせるだけで装填可能な状態になります。また鎖栓の固定は付属するレバーやネジの操作で可能と、非常にシンプルで操作性に優れた方式になります。
この時期の採用例は横向きに貫通する水平鎖栓が多く。40年代のカヴァリーによる試作砲が初期の例です(図3A)。
代表的な採用国はプロイセンで、陸軍は1861年式の後続である1864年式野砲にて初めて採用。これは鎖栓が2つに分かれたクレイナーの複式鎖栓(図3D)でしたが、1873年式ではクルップの単式鎖栓(図3B)へと変わります。また海軍砲では1867年の試験をきっかけに、より早期に単式鎖栓の採用へと進んでいました。
本方式は操作性に優れる点から、20世紀など後の時代は発射速度重視の中小口径砲に特に採用される方式です。ですがこの時代では、主な採用元であるドイツ軍やクルップ社が、装甲艦の主砲まで大小を問わず(この傾向は以降の時代にも続きます)用いていた時代でした。
・螺式
図4
尾栓と砲腔の後端にネジ山を刻み、両者を締める事で砲腔の閉鎖と尾栓の固定を行う方式です。(基本的に尾栓は雄ネジ、砲腔は雌ネジですが、図4Bにあるホイットワースの軽砲のように逆に雌ネジの尾栓を嵌める形もあります)
古い例では1833年にツーロンにてフランス軍が実験を行ったとの記録が存在します。
本方式は特に他の方式よりも構造的に強い事が利点ですが、同時に円筒形の尾栓にネジを刻んだだけでは完全に締まるまで何回も回転させる必要があり、操作性がネックとなります。
この解決策として50年代以降には以下のような改良案が考案されています。
まず図4Cはブレイクリーが考案した円錐台形尾栓で、3~4回程度と円筒形より少ない回数で開閉が可能です。またこの形状は尾栓の引き抜き並びに差し込み時、左右方向から弧を描くように動かせる点も円筒形に対して時間短縮に繋がりました。
もう一つの解決策には、砲腔の閉鎖自体は鎖栓が行うというアームストロング後装砲での方式があります。ただ同方式は純粋な螺式とは言い難いので、下にて単独で解説を行います。
上の2例に加え、ほぼ決定版と言える改良を施したのが隔螺式(図4Aなど)です。
これはネジ山を部分的に設ける事で、かみ合わない部分から尾栓を完全に差し込んだ後、60度程度回すだけでネジが締まるという風に、一気に時間短縮に成功しています。
開発は翼式砲弾などでも功績のあるフランスのトゥルイユ・ド・ボーリューTreuille de Beaulieuが、1850年前後に行ったものが最初とされます。そしてフランス軍はそれぞれ初の後装砲である、海軍の1860年式(図4D)、陸軍の1873年レフィエ式野砲にて取り入れたのが初期の採用例です。
後装砲が主流化した80年代以降、隔螺式は鎖栓式と共に閉鎖方式を二分する代表的な方式として広く採用されました。
(80年代末には、ネジ山のある部分を段階状に分ける事でかみ合う面積を増やした「段隔螺式」が英国のウェリンによって開発され、こちらが20世紀以降も使われる決定版になります)
・アームストロング式(螺式+垂直鎖栓式)
図5
最初に導入された後装砲の一つだけあって、螺式の代表として紹介される事も多い本砲ですが、上述したように純粋な螺式とは言えない閉鎖機構を有していました。
図からもわかるように、本砲の砲腔を直接塞ぐのは、砲尾の上方向から差し込まれた鎖栓であり、この鎖栓を螺式尾栓で押し付けて固定する構造になります。(尾栓を楔で固定する縦栓式から役割が逆転した構造と言えるかもしれません)
この尾栓には砲弾が通る穴が開いており、ネジを数回回して緩んだ鎖栓を取り出せば、尾栓を完全に開閉することなく、その穴から装填が可能になるという仕組みです。
この方式は初期の螺式の欠点を解決した方式の一つではありましたが、隔螺式や鎖栓式と比べると構造は複雑で、鎖栓を完全に取り出す分手間もかかるものでした。そういった扱いの難しさに加え、性能自体への不満もあり、英国は60年代半ばに本砲に見切りをつけ前装砲に回帰します。以降は米国の試作砲で似た物が一つ確認できますが、結局採用される事はありませんでした。
・偏心螺式
図6
端部に砲弾を通す穴を設けた螺式尾栓を、あえて砲の中心とずれた場所に設ける方式です。
これも尾栓を取り外さず開閉を行うもので、図の状態から180度回せばAの部分がCの位置に来て閉鎖が完了する仕組みです。
本方式は後の時代、フランス陸軍の傑作砲1897年式75mm野砲での採用で知られますが、1855年にはすでに特許が取得されていました。そして1862年にはイギリス陸軍のクレイによる試作砲が製造(図は同砲のもの)され、南北戦争で南軍が用いたとの記録が存在します。
・中折れ式、元折れ式
図7
閉鎖機構の最後は、個人的な趣味から試作のみに終わった方式を紹介したいと思います。
本形式は砲尾そのものに蝶番を設けて開閉を行う物で、最初に紹介した子砲式とも近い点を有しています。
例として図7左はフランスのポレーが1825年に考案した初期の案、図7右はストームによる物になります。両者とも砲尾の開閉部分は後端のネジによって砲身本体やそこから伸びるフレームに固定されており、これを緩める事で装填が可能になるという仕組みです。
詳細については把握していませんが、強度的に大型砲に向かない事は容易に想像できます。
ですが興味深い事に、試作レベルの砲では結構後の時代でも確認できる物でして、機構が少し似ている物が後の時代の速射砲の閉鎖機にも採用されていますので、別の機会でも紹介出来ればと思います。
緊塞具の種類
閉鎖方式に続いて、同じく後装砲にとっては必須と言える緊塞具の紹介に移っていきます。
・60年代以前の緊塞具
この時期の後装砲ではまずワーレンドルフが自身の縦栓式後装砲に設けた物が最初になります。詳細は資料によって異なる部分がありますが、金属製もしくは紙やパプル出来た円盤を発射薬の後ろに装填する事で、閉鎖機構へのガスの直撃阻止を狙った物でした。
本砲は後装砲の中でも初期に成功した事もあって、以降の後装砲に大きな影響を与える緊塞法になりました。
続いてアームストロング砲は、12ポンド砲にて垂直鎖栓と砲腔の接触部分に銅製の円盤を設け、40ポンド砲以上では発射薬の後ろにスズで出来た円盤を装填する方式を採用しました。
このうち後者は実験では十分な成果を記録したとされますが、実質初の実戦となった薩英戦争では、(閉鎖作業自体が必ずしも適切に行われなかった事も加わり)ガス漏れに関連する事故を起こす結果となっています。
・ブロドウェル式、拡張式
本方式は、尾栓もしくは鎖栓の前方に設けられた銅や鋼製の円盤からなる緊塞具です。(これまでに掲載した図では、クルップ砲の図3B並びにフランス海軍1870年式の図4Eにて構造が確認できます)拡張式とも表記したように、同名のライフル砲弾と同じく、円盤が発射ガスを受けて変形、砲腔との隙間を塞ぐという仕組みです。
アメリカ人のルイス・ブロードウェルLewis Broadwellが60年代初めに開発し、初めて実用に耐える性能を持ったと言える緊塞具でした。
能力以外に構造が簡易でコストがかからない点でも優秀でしたが、やや摩耗に弱い面があった事、また尾栓へ固定される物と分離式の二種類がありましたが、後者は装着を忘れる事故があった事、扱いを間違えると落下破損の恐れがあった事などが記録されています。
本方式は60年代よりドイツ軍とフランス海軍という、当時後装砲の主な使用者であった両軍にて、螺式鎖栓式の両方で採用されています。これは後述するド・バンジュ式や薬莢による緊塞が導入されるまで続き、主に1880年代までの後装砲では最も広く使用されていた方式と言えます。
他国の使用例としては、日本陸軍が70年代半ばまでに本緊塞具をもつクルップ製の山砲を輸入し、ブロドウェル山砲と呼称していた事が有名です。
・薬莢式
尾栓や砲身に設けた構造ではなく、真鍮など軟金属で出来た薬莢そのものがガスを防いで緊塞を行う方式です。金属薬莢は主に小銃用に開発されてきたもので、1840年代にはすでに一部で実用化されていました。
一方でこの時代の大砲は薬嚢が基本で、採用例は一例のみに限られます。その唯一かつ最初の例は、蜂の巣砲ことミトライユーズMitrailleuseの開発者としても知られる、フランス陸軍のレフィエReffyeが開発した野砲になります。1873年にフランス陸軍初の後装砲としても採用されたこの砲は、尾部の一部を真鍮製として緊塞機能を持たせたブリキ製薬莢を使用しました。
その後の時代は、そもそも大砲に薬莢を使う事自体の得失もありましたが、主に小口径砲におけるメリットが大きいとして、螺式鎖栓式共に採用範囲を広げていきました。
特に鎖栓式においてはブロドウェル式を完全に置き替える形になり、これによりドイツやオーストラリアといった国では、戦艦主砲サイズの砲すら発射薬の一部もしくは全体に薬莢を用いる選択を採っています。
・ド・バンジュ式
図8
原語ではObturateur Plastique(可塑性緊塞具)とも呼称される方式で、尾栓の先端に取り付けられたキノコのような部品(遊頭)と、両者の間に設けられた石綿の層(塞環)からなります。発射時にはガスを受けて遊頭が後退、塞環が押し広げられ隙間を塞ぐ仕組みです。
1872年ごろよりフランス陸軍のシャルル・ド・バンジュCharles de Bangeによって開発されました。
本方式は既存のブロドウェル式と比較すると、パーツが多く機構が複雑で、また鎖栓式に使えない点もありますが、摩耗に強く性能自体は上回るものでした。さらに尾栓並びに砲尾を小型化できる事も利点とされています。
そして1877年にド・バンジュ・システムSystème de Bangeとしてフランス陸軍が採用した一連の火砲にて導入(図8左)、後の時代は80年代に後装砲の導入に踏み切ったイギリス、アメリカの両国もブロドウェル式ではなくこちらを採用(図8右は画像が潰れていますが、英12インチマーク1後装砲の断面図です)するなど、以降螺式尾栓に対する緊塞具としては、薬莢式を除けば基本形と言えるレベルで広まっていきます。
一方で興味深い事に、フランス海軍の後装砲は(確認できた範囲では)少なくとも1884年式まではブロドウェル式です。つまりその採用は陸軍のみならず、英米よりも遅いものだった事になります。
ブロドウェル式にこだわった理由や切り替えた時期などは作者自身も気になる所ですが、諸々の至らなさにより把握していません。(一応1896年出版のOrganisation du matériel d'artillerieでは近年海軍でもド・バンジュ式を採用したという記載があるのと、90年代にシュナイダー社が海軍向けに製造した砲が有していた事は確認できますが、全面的に採用した時期は不明です)
ともあれこの事実は、一般的に語られる事も多い「ド・バンジュ式の採用=実用的な後装砲の誕生」という認識と矛盾する一例になります。
・エルジック式
図9
最後にややマイナーな方式として、遊頭とブロドウェル式のような金属盤を組み合わせた緊塞具も存在します。これは遊頭の後退で石綿ではなく金属盤を変形させて隙間を塞ぐ形になります。
名前の例からもわかるように、本方式はアームストロング社のエルジック工場が70年代末より製造した外国向けの後装砲、並びに英海軍での後装砲復活に向けて試作された艦砲にも用いられました。ただし英海軍がド・バンジュ式を選択した事により、この方式は短期間で放棄される事になります。
他に似た方式自体はそれ以前よりあったようで、フランス海軍の1860年式(図4D)、1864-1866年式後装砲にて確認できます。また図はないですがイタリアでも採用されており、日露戦争で活躍した28cm榴弾砲の緊塞具もこの形でした。むしろこれらの例の方が、代表例として挙げたエルジック製の物よりも広く使われているようです。
おわりに
以上のように今回は、後装砲の閉鎖機構と緊塞具について一通り見てきました。
その中では「隔螺式+ド・バンジュ緊塞具」、「鎖栓式+金属薬莢」という、後の時代における基本形にも繋がる要素が既に登場し始めていた事が分かります。その一方で、そもそも英米では後装砲が主流にならず、残るドイツ軍並びにフランス海軍も、緊塞具としてブロドウェル式を使用(後者は陸軍がド・バンジュ式を採用した後も)するなど、基本形そのものが実際に各国に普及していくには、まだ少し時間を要する状態でありました。
つまり今まで見てきたライフル砲弾や砲身構造と同じく、こちらも様々な方式が試された過渡期的な段階であったと言えるでしょう。
次回はおそらく概説のラストとして、この時期の砲架の機能や発射法など、運用に近い部分を扱う予定です。
個人的には砲身や砲弾と比べるとやや地味で、殆ど意識していなかった部分でしたが、調べてみるとどれも非常に興味深いものですので、なるべく早く投稿できれば幸いです。
それでは今回もご覧頂きありがとうございました。
参考文献
第16部分「更新再開と補足など」にまとめて掲載
画像出典(すべてパブリックドメイン)
図1、図2左、図7左 C. H. Tanera, Recherches historiques sur les canons se chargeant par la culasse, 1877
図2右、図3B、図8左 陸軍文庫『砲兵教程. 3』1882年 国会図書館デジタルコレクション公開資料(保護期間満了)
図3A、C、D、図4B、C、図5、図6、図7右 Alexander Holley, Treaties on Naval Ordnance and Armor, 1865
図4A Augustus Paul Cooke, A Text-book of Naval Ordnance and Gunnery, 1875
図4D、E A. Delaissey, Cours spécial sur le matériel de côte, 1890
図8右 Handbook for the 12-inch B.L. 47 ton gun Mark I, VI, VII, 1891 State Library Victoria公開資料(out of copyright)
図9 H. Garbett, Naval Gunnery, 1897