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私的近代兵器史話  作者: NM級
4:装甲艦時代の大砲~黒色火薬編
18/23

第17話 銅・鉄・鋼の混在と層成砲身の登場

※本話の投稿にあたり、章のタイトルを変更しています。以前のまま装甲艦時代全般の火砲を扱うと、前ド級戦艦の時代にもかぶってしまうと気付いたのが主な理由です。

本章では1880年代の前半、英海軍を含む主要な海軍国のすべてが全鋼製の後装砲の採用へと移っていく時期を区切りとして、それ以前の艦砲を中心に一部滑腔砲なども含めて扱う予定です。そこで変更後のタイトルについては、この時代の艦砲に共通する特徴として発射薬に黒色火薬を使用した事が挙げられますので、「黒色火薬編」としました。

はじめに(砲身の形状とサイズ)

 この時代の火砲について、まず外見上の特徴として挙げられるのは、以前の時代と比べても大差ない程度の短砲身であった点でしょう。

 これは使用された発射薬が帆船時代と変わらない黒色火薬であった(性能の変化自体は粒の大きさを変える事で多少はありましたが)事が理由で、これは後の時代の発射薬と比べると燃焼速度が速い、つまり砲弾に推進力を与える時間が短いので、砲身を長くしても初速を伸ばすのには限界がありました。

 この時期にアメリカで行われた実験によると、砲身長25口径までは初速が伸びるものの、16口径を超えると上昇率は著しく低下するとされています。よってこの時期の艦砲は帆船時代の滑腔砲と同じ十数口径が主体で、20口径を大きく超える物が普及するのは後の時代となります。


 また発射時に生じる圧力の研究が進んだことにより、特に負担のかかる尾部を太く肉厚とするか、後述する多重構造(層成砲身)を採用して強化した砲が多く登場します。そういったビール瓶を倒したような形状の砲身もこの時代の特徴でしょう。


 一方でサイズそのものの巨大化には目を見張る物があります。

図1 ほぼ同縮尺の68ポンド砲(上)と100トン砲(下)

挿絵(By みてみん)


 英国製の大砲を例にとると、ナポレオン戦争期の主力であった32ポンドは、口径が約6.5インチ(164mm)、砲身重量は最も主流な物で56cwt(2.85トン)でした。またクリミア戦争にて最も強力な艦砲であった68ポンド砲は、口径約8.1インチ(205mm)、砲身重量は95cwt(4.8トン)です。


 それに対して装甲艦時代の主砲は、他の装甲艦の防御を打ち破れるよう登場から20年あまりで恐竜的な大型化へと進んでいきます。口径7インチ砲身重量6.5トンから9インチ12トン、12インチ35トンへ。さらに末期には16インチ80トン砲、45cm100トン砲が登場するなど、後の超弩級戦艦の主砲にも匹敵する程の大きさに達しています。

(参考までに日本海軍の艦砲で言うと、金剛型などが搭載した36cm砲が砲身重量80トン台、長門型の41cm砲が100トンでした)


 今回は上記のような大型化を可能にした背景として、大砲の材質であったり製造法の進歩について扱っていきたいと思います。



砲身材質

 第一話にてまとめた通り、帆船時代は初期の一部にて練鉄の鍛造砲が存在したのを除けば、青銅もしくは鋳鉄製の鋳造砲が使用されました。

 一方でこの時代には錬鉄の再導入と鋼の使用がみられる一方で、青銅並びに鋳鉄の使用も続いています。よって採用状況に偏りこそあれども、4種の材質が混在した時代であるとも言えるでしょう。さらに後述する層成砲身の登場によって、砲身に複数の異なる材質を使用する例も見られます。


 以下は既存の内容とやや重複する部分を含め、各材質の特性をおさらいしつつ、やや詳しい使用状況を見ていきます。


・青銅 

 青銅は10%前後のスズを含む銅の合金です。(なお英語圏では、砲身材質として一般的に真鍮を指すBrassという表記が度々出てきますが、実際はそのような表記であっても青銅製が殆どでした)

後述する各種の鉄と比べると低い温度で溶解し、製造時には鋳造されて砲身となります。


利点と欠点

 大砲の材質として特に重視される性質は、発射ガスの圧力で破裂や変形しない強度を持つ事、そして熱や砲弾通過時の摩耗により劣化し辛い事の2点が主に挙げられます。


 この2点を見ると、まず青銅はやや変形しやすいものの、発射ガスに対する強度は鋳鉄より上です。また破裂前には前兆が現れやすく、これを予防しやすいのも利点でした。一方で融点が低く柔らかい材質である事から、熱や摩耗による劣化が大きい点が弱点です。

 またライフル砲の場合、砲弾の付属物に銅を用いる事が出来ず(亜鉛で代用可)、他に青銅は銅とスズが不均一な部分があると強度上の弱点となりますが、ライフリングを刻むとその部分が砲腔内に露出する割合が増加する点も危険とされています。


使用

 上述した問題以外にも高価である点から、18世紀後半の時点でイギリス海軍は主要な艦砲を鋳鉄砲に換装するなど、帆船時代の末期において既に使用率は減少していました。以降の装甲艦時代においては、艦砲のような大型砲ではほぼ使用されずに、艇砲や陸戦隊が用いる野砲など、小型砲での使用が中心となっています。

 数少ない例外としては、プロイセン(北ドイツ連邦)海軍が最初に購入した装甲艦「アルミニウスArminius」の例があります。同艦の武装は設計時より紆余曲折を経ており、比較的短期間で撤去されていますが、一時期には口径21cmと例外的に大型の青銅ライフル砲を搭載していました。

 この他にはスペインが砲身重量20トンの巨大な青銅砲の試作を行ったという記録も残っています。


・鋳鉄(銑鉄)

 鉄の中でも炭素を多く含む物であり、最も低い温度で溶解して鋳造が可能な反面、基本的に脆く鍛える事が出来ない種類の鉄です。

 大砲に使われたのは鋳鉄の中でも、冷却速度が遅く、ケイ素や炭素の量が多い場合に得られるねずみ鋳鉄と呼ばれる物でした。(余談ですが幕末の日本では鋳鉄砲の製造失敗が相次ぎましたが、その理由には伝統的な製法による国産銑鉄がケイ素を殆ど含まずに、砲身製造に向かない白鋳鉄となってしまった事が考えられています)


利点と欠点

 鋳鉄の優れている点は、第一に廉価で品質が安定した物を量産できる点です。上記の性質的には硬く熱や摩耗に強い点で優れていましたが、脆く圧力に対しては四種の中では最も弱い材質でした。

 鋳鉄は熱処理による性質の変更が可能でしたが、当時は特に行われた記録はありません。ただし冷却速度の差が強度に与える影響が重視されており、対策として中空鋳造(後述)が一部で行われました。


使用

 上述の通り帆船時代の末期、錬鉄や鋼製砲の登場前において、艦砲のような大型砲では主に鋳鉄が使用されました。これまで扱ってきた80ポンドボムカノンや68ポンドシェルガン、そして始めて実戦投入されたライフル砲であるランカスター砲なども鋳鉄砲です。

 一方で火砲が大型化していく中、強度に劣る事から単体での使用は難しくなり、他の材質に置き換わるか、層成砲の一部として使用される例が多数となっていきます。

 数少ない例外はアメリカで、陸海軍ともに大口径の鋳鉄滑腔砲を長年使用していました。


・錬鉄

 鉄の中でも炭素を殆ど含まずに、軟らかく強度のある材質です。これまで見てきたように、船の船体や装甲に使用される材質でもありました。

 これは融点が高く鋳造できない代わりに可鍛性に優れ、赤熱もしくは白熱状態にて蒸気ハンマーや水圧機で鍛造する事で砲身に加工されます。


利点と欠点 

 錬鉄は青銅や鋳鉄よりも強度に優れ、大威力化が進むこの時期の艦砲に適した材質と言えます。一方で欠点もあり、青銅程ではないものの、軟らかく摩耗や変形による劣化が起こりやすい点の他、大型砲では鍛造技術の限界という問題もありました。

 この種の砲身はパドル法にて製造された棒や板状の鉄塊を複数積み重ねて、これを熱しながら鍛造していきます。この時代の鍛造機械は中世の鍛鉄砲の頃とは比べ物にならない性能を有していますが、それでも特に大型の鍛造物となると、一つの塊に十分に鍛接できず本来の強度を発揮できない可能性が生じます。


使用

 この時代で錬鉄のみを使用した大砲としては、初のスクリュー推進軍艦である米海軍のフリゲート「プリンストンPrinceton」の主砲が最も初期の例です。同艦はイギリスのマージー鉄鋼会社、アメリカのワード社が1門ずつ製造した12インチ滑腔砲2門を搭載しました。

 なおこの砲ですが、就役後の1844年に艦上で開かれたパーティーにて祝砲を打った際に、ピースメーカーと名付けられた後者の砲が破裂、乗艦していた当時の国務長官と海軍長官を含む要人に多数の死傷者を出す大惨事を起こした事が知られています。


 そういった事もあって以降しばらく採用例は見られませんが、砲の大威力化において強度のある錬鉄は重要であり、50年台より複数の試作砲が登場しています。その中でも50年代後半に登場したアームストロング砲はイギリス陸海軍に制式採用された事から、最も代表的な錬鉄砲となります。

 同砲は63年より鋼との複合構造になった事で、以降英海軍でも全錬鉄製の砲は見られなくなりますが、砲身の一部としての使用は海軍砲がウーリッジ砲へと更新された後も続き、20年余りの長い間採用され続けました。

 このように層成砲の一部として使用される例は、米国のパロット砲、ブルック砲などでも見られます。


・鋼

 錬鉄と鋳鉄の中間の炭素を含む物で、鋳鉄のように鋳造する事も、錬鉄のように鍛造する事も可能な材質です。

 よって小型砲はそのまま鋳造、大型砲では一端インゴットとした物をさらに鍛造して砲身を作る傾向にあります。


利点と欠点

 鋼は砲身に必要な強度と硬さの両方を兼ね備える材質であり、加え熱処理により両種の性質をさらに向上させることも行われていました。他にも鍛造砲身の場合、すでに鋳造されて一体になったインゴットを鍛えていくので、大きなものでも錬鉄より均質できる点も利点です。

 以上のように砲身にとっては最も適した材質となり得るものですが、同時にその性能を得るのに必要な製造並びに加工の難易度は最も高く、採用においてのネックとなります。


使用

 上記利点により、鋼は他の材質に代わって大砲を構成する基本材質となって行きます。一方で技術面の問題からその普及には差が見られました。

  

 まずプロイセン(ドイツ)では、エッセンのアルフレート・クルップが1851年のロンドン万博に鋳鋼製の野砲を出展し高い評価を得ます。その後クルップの鋼製砲身は1850年代末の試験を経たのちに、1859年より本格的にプロイセン陸軍との契約を勝ち取ります。また艦砲など大型砲については、60年代初めこそ他国への輸出用に留まっていましたが、60年代後半より自国艦にも採用され、陸海共にいち早く鋼製砲へと舵を切った国となりました。


 次にフランスでは海軍の1858年式16cm砲より一部に鋼を使用していました。その後の1870年式にはその使用部位を増加させ、陸軍が全鋼製のライトール砲を採用した1875年、海軍も全鋼砲の製造を開始しています。

 一方のイギリスは50年台後半にジョセフ・ホイットワースやジョサイア・ヴァヴァサーなどが全鋼製を試作していますが、自国では採用されずに終わります。上述したように63年より一部に鋼の使用が見られますが、海軍砲が全鋼砲時代に入るのは80年代以降と、米国と同じくやや遅れた形となりました。



続いては一部後回しにしていた製造技術に関する解説に入っていきます。


・中空鋳造並びに鍛造

 この時期の砲身製造においては、鋳造鍛造を問わずに砲身を円柱状に作ったのちに、砲腔をボーリングして筒状とするのが基本でした。ただしこの方式は大型化の際に問題があります。


 まず鋳造砲の場合、砲身は鋳型の中で外側からだんだん冷えて固まっていくのですが、砲身が大型になればなるほど外側と内側の固まる時間には差が出る事になります。そうすると内部から外に向かう力が生じてしまい、内側をボーリングした後も消えずに砲の強度を弱めてしまうのです。


 この対策として1850年代、米陸軍のトマス・ロッドマンThomas Rodmanが導入したのが中空鋳造です。

図2

挿絵(By みてみん)

 ここでは図にあるように、鋳型の中に中子を設けて、最初から筒状に砲身を鋳造します。

 中子の使用はボーリング技術が確立する以前の古い方式で見られた物ですが、ここで用いる中子は水冷中子と言い、内部に水を循環させる仕組みを有する点で異なっています。この水冷中子によって内側と外側を均一に冷やし、冷却速度の差をなくそうという試みです。

(説明によって水冷中子の使用は砲腔内部を急冷し、硬化させる事が目的ともされます。ただロッドマンの中空鋳造では後に砲腔をボーリングし直しているので、少なくともメインの目的ではないと思われます)


 ロッドマンによる鋳造法は自身の手がけた陸軍砲全般に加え、海軍の滑腔砲でも部分的に用いられました。


 つづいて鍛造砲の場合、特に錬鉄を用いた際の鍛接の不徹底が主な問題です。この場合心金に棒鉄を巻き付けて筒状とし、直径の大きい物でも厚さを減じて鍛造する事が対策となります。主にアームストロング砲と以降の英艦砲が使用しました。



・圧搾鋳造

 鋳造物に共通する問題として、鋳型に入り込んだ気泡などから「巣」と呼ばれる隙間が出来てしまい、構造的に弱くなる事が知られています。

 この対策としては中空鋳造の冷却中、もしくは砲腔を穿った後に水圧機で砲腔を内部から押し広げて圧搾、巣をつぶして組織を強化する事が行われていました。


 例として、まず青銅砲ではオーストリアのフランツ・フォン・ウハティウスFranz von Uchatius(ユカチュースとも)による物が知られており、同国だけでなくイタリアや日本の陸軍でも採用されました。鋳鋼ではイギリスのジョセフ・ホイットワースが自身の開発した大砲に使用しています。


 余談ですが、ウハティウスは他にも風船爆弾(これは1848年より始まる第一次イタリア独立戦争において、史上初の空爆に使用されました)や最初期の映写機の開発などでも成果を上げた事で知られています。



・層成砲身

 この時代における製造法の最大の変化は、複数の部品を組み合わせた多層構造を持つ「層成砲」が普及する点です。

(同じ意味を持つ単語として他には積層砲、複肉砲、装箍砲などの表記があります。また層成砲身に対して既存の構造は単肉砲身と呼称されます)


 これまで発射ガスに対する強度を増す上で、最も単純な対策は砲身を太く肉厚とする事でした。しかし単肉のまま厚くすると、先述した冷却速度や鍛造の不徹底という問題がある他に、そもそも内部に掛かる圧力に対しては、外側をいくら厚くしても負担する範囲に限界があり、強度が伸びないと判明していました。

 この対策として、多層構造により効率良く強度を得るのが層成砲身の目的です。


 層成砲は主に砲腔を有する内側の部品(内筒)に、たがや外筒と呼ばれる外側の部品を重ねる事で製造されますが、この際に強度を増す方法としては二種類があります。

 まず主流なのは中近世の鍛鉄砲でも行われた焼き嵌めなど、内側を締め付けるように外側を装着する事です。この場合、内側には鋼や鋳鉄など硬く砲腔に向いた材質を、外側には錬鉄や鋼など強度に優れた材質を使用する傾向があります。

 それに対してややマイナーな方式は、弾性分布による方式です。これは内側に弾性の高い材質を用いる事で、外側に圧力を伝えて砲身全体で強度を発揮する事を狙った構造です。弾性の高さは軟らかさとも関連する為、使用材質は内側が錬鉄、外側が鋳鉄など、焼き嵌め砲とは逆転する傾向にあります。


各国の使用状況

図3 各国の層成砲身 ※非同縮尺

挿絵(By みてみん)


 (中近世の鍛造砲を除く)層成砲の最初の例は、フランスのティエリーという人による物です。彼は1829年にまず鋳鉄砲の周りに青銅を鋳込んだ砲を、さらに1834年には発展して錬鉄の箍を焼き嵌めた砲を試作しています。

 この時点で採用に至る事はありませんでしたが以降も研究は進み、50年前後には米国のチャンバース、トレッドウォ-ル、1855年にはイギリス陸軍のテオフィルス・ブレイクリーTheophilus Blakely(ブラッケリー表記も)が層成砲身に関する特許を取得。また1857年には史上最大の火砲の一つであるマレット臼砲が試作されますが、これも錬鉄の箍を焼き嵌めた砲身を有していました。

 そしてこれらの研究や試作と同時期にアームストロング砲が登場します。


 初めて正式採用された層成砲となったこの砲は、主に中空鍛造で製造された錬鉄の部品からなり、図3Aで示す通り内筒に3~4層の箍を焼き嵌めて補強した構造を有しています。

 以降は先述したように63年に内筒が硬化処理を施した鋼に変更され、さらに海軍砲が先装砲であるウーリッジ砲に置き換わっても、このアームストロングによる構造は受け継がれました。

 1867年には外筒を1~2層に構造を簡略化したフレイザー式に置き換えられますが、図1に示した100トン砲のような巨砲では原型に近い3~4層の構造も採用されています。


 フランスは1858年式16cm砲(図3B)にて、鋳鉄の砲身に鋼の箍を複数焼き嵌める方式を採用、さらに1870年式では硬化鋼製の内筒を尾部付近に設けます。1875年式で全鋼製となった後も、層成砲身である事に変わりはありません。


 アメリカは上述のように鋳鉄単肉の滑腔砲が広く使われていましたが、この他には61年までに採用されたパロット砲(図3C)が鋳鉄製の砲身の尾部に錬鉄の筒を焼き嵌めた層成砲身を有していました。同砲は北軍の主要なライフル砲となりますが、これに対する南軍のブルック砲も酷似した構造の層成砲です。


 ドイツは当初、クルップによる単肉砲身を採用しており、同社は艦砲サイズであっても単一のインゴットから砲身を鍛造する技術力を誇っていました。しかしそれらの砲は他国で行われた試験にて兆候なしに突然破裂する傾向が指摘されます。それを受け、60年代後半から70年代とやや遅れて、大型砲は図3Dのような焼き嵌め層成砲へとシフトしていきました。


 上記のように採用された物は焼き嵌めばかりですが、それ以外の方式として、まずホイットワースは外筒内部を尾部にかけて窄まる形にし、これに水圧機で内筒を挿入する事で締め付ける方式を考案、使用しました。似た方法として圧搾鋳造と同じ要領で内筒を押し広げて外筒に密着させる方式も存在します。

 後者は焼き嵌めよりも砲身の分解が容易い利点があったようで、後の時代には劣化と共に交換が必要な内筒において、焼き嵌めではなくこの方式が採用される事が多々ありました。


 一方で弾性分布方式は、1862年英陸軍のウィリアム・パリサーが既存の鋳鉄砲をライフル砲に改造する際に、内部に錬鉄の内筒を挿入し成功を収めました(図3E)。同じくパーソンズは鋼の内筒、オランダでは青銅の内筒を挿入して改造した例があります。

 改造砲以外ではイギリスのブレイクリー砲が存在します。同砲には焼き嵌め砲を含め様々な種類の試作砲が知られていますが、その1種は内筒に低炭素鋼、外筒1層目に高炭素鋼(この層は焼き嵌めて装着)、外筒2層目に鋳鉄という、弾性の高い順に材質を並べる典型的な形を見せています。


・鋼線砲身

 最後に紹介するこの方式は、箍や筒ではなく、平たい鋼のワイヤーを何重にも巻き付けて内側を締め付ける物です。基本的に鋼線の上からさらに外筒を焼き嵌めて、砲身を形成しました。

 これは純粋な層成砲と比較して発射ガスに対する強度を向上させる事から、特に英国を中心に80年代以降の火砲にて主流となる形式です。(砲身自体の縦強度には寄与しないので、その後の長砲身化と相まって自重で砲身が垂れ下がる原因にもなっていきますが)

 一方でこの時代においては、砲内弾道学の権威であるイギリスのジェームズ・ロングリッジJames Longridgeがすでに試作を行っていた他、70年代の後半にアームストロング社が輸出用に製造した大砲に採用されていたなど、後の時代程ではないですが一部で存在が確認できます。



おわりに

 今回は砲身の材質と構造を大まかに見てきました。まとめると前者は混在時代から全鋼製へ、後者は単肉砲から層成砲へと統一されていく段階、前話で紹介したライフリングと同じように、決定的な様式が広まる前の発展期にありました。なので今回紹介できなかった中にも非常に興味深い構造の砲などもあるのですが、今後機会があれば扱っていこうと思います。


 次回は後装砲の開発史をまとめるとして、その後にはこれらの砲をどうやって搭載、使用していたのか、運用面にも一部入る形で紹介していきたいと思います。


それではご覧頂きありがとうございました。



参考文献

第16部分「更新再開と補足など」にまとめて掲載


画像出典(すべてパブリックドメイン)

図1上、図3A・B、D

Alexander Holley, Treaties on Naval Ordnance and Armor, 1865

図1下、図3C 

Thomas Brassey, The British Navy: Its Strength, Resources, and Administration Vol2, 1883

図2

Augustus Paul Cooke, A Text-book of Naval Ordnance and Gunnery, 1875


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― 新着の感想 ―
[一言] いつもすぐ読んでるのですが、ハイレベルすぎて何て感想かけばいいか分からず、書かずじまいでした。「良い点」については月並みな言葉しか出てこないので控えてます。 「装甲艦時代の主砲は、他の装甲…
2020/05/21 22:30 退会済み
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