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私的近代兵器史話  作者: NM級
4:装甲艦時代の大砲~黒色火薬編
17/23

第16話 砲弾を回転させるには

費やした時間の割にあっさりした内容かと思いますが。何とか感覚を取り戻して行きたいです。 

はじめに

 前回までは艦艇への装甲の導入を主に見てきましたが、今回からは第二章以来触れてこなかった、艦砲の変化を追っていこうと思います。

 炸裂弾を用いるペクサン砲並びに各種シェルガンの登場から、装甲艦の時代に入った1860年代に至るまで、艦砲に生じた変化には様々な物があります。そこで最初の数話については、個別の砲を詳しく解説するというよりは、まず全体における変化などをまとめていく形で進めて行きたいです。


 実際その変更点を挙げていくと、目立った部分だけでも砲身の材質製法、砲架の構造や搭載方法の変化、後装砲の再登場などがありますが、最も大きな変化と言えるのはライフル砲の普及でしょう。

 砲身の内部に設けたライフリング(施条)によって砲弾に回転を与えるこの種の大砲は、不規則に回転する滑腔砲よりも弾道を安定させる事が可能で、さらに滑腔砲では横転してしまう球形弾以外の使用が可能になります。射程精度威力といったあらゆる面で大砲の性格を大きく変える革新的な存在でした。


小銃での利用 

 小銃の分野においては、ライフリングの利用は既に数百年の歴史を持っていました。そもそも飛翔体に回転を加える事の利点は弓矢の時代から理解されており、少なくとも16世紀にはライフル銃と言える物が登場しています。

 尤も当時のライフル銃は、弾丸をライフリングに噛みあわせる必要から装填するのに手間がかかり、近距離で戦列歩兵が撃ち合っていた戦場ではマスケットと比べても有効とは言えない物でした。そこで配備されたのは主力部隊ではなく、普段から扱いに慣れた一部の精鋭部隊に限られた時代が長く続いています。


 これを変えたのが、1849年よりフランスで採用されたミニエー弾の登場以降となります。

図1

挿絵(By みてみん)

 この弾丸は図の通り窪んだ尾部を持っており、この部分が発射薬の燃焼ガスを受けて拡張し、ライフリングに食い込んで弾丸に回転を与える仕組みです。つまり通常時の弾丸は銃腔よりも小さく、以前のような手間を生じずに装填が可能でした。 

 この種の弾丸を用いるライフル銃はクリミア戦争で仏英が最初に使用し、アルマ、バラクラヴァ、インケルマンと言った会戦においてロシア軍への大きな優位をもたらしました。 



ライフリングと砲弾

 大砲におけるライフリングの導入は、18世紀前半弾道学の研究でライフル銃の開発に多大な影響を与えた、英国のベンジャミン・ロビンスBenjamin Robinsが大砲での導入を主張しており、それ以前に製造された試作砲の存在も知られています。一方で実用化自体はライフル銃よりもかなり遅れ、実際にライフル砲が採用され、普及していくのは1850~60年代を待たなければなりません。

 これは砲身や砲弾の加工に必要な工作精度の違いに加えて、さらに銃と砲の間に存在する根本的な違いが関係していた点が指摘できます。

 

 まず大砲は当たり前ながら、撃ち出す弾丸など諸々のサイズが銃よりも大きい物を指します。そんな大砲で既存の球形弾よりも大型の砲弾を使用するとなると、必要な発射薬の量が増加し、また後述するようにライフル砲では遊隙(砲弾と砲身の間にできる隙間)が減少する事が多いので、砲身へ掛かる負担は滑腔砲よりも大きくなります。それに耐える強度を実現する必要がありました。

 この点については、砲身の材質構造の話として次話に扱いたいと思います。

 

 もう一つ忘れてはいけない点は、銃弾が基本的に鉛を用いるのに対して、砲弾は鉄製である点です。固い鉄は発射ガスを受けても簡単には変形せず、同じ鉄でできた砲身のライフリングに食い込ませる事も同じく難しいという事で、仮に砲弾サイズのミニエー弾を鉄で造ってもうまくは行きません。


 それでは初期のライフル砲はどのような方法で回転を与えていたのでしょうか。今回は(ちょっと範囲を広げて)19世紀のライフル砲が用いた主な方式について、以下の5つを紹介したいと思います。



その1 鉛套式、被鉛式

図2

挿絵(By みてみん)

 まずこの方式は、簡単に言えば銃弾と同じく表面を鉛にすれば良いという発想による物です。

 鉛の層は側面のほぼ全体を覆う形で、弾径が砲の口径よりもわずかに大きくなるよう貼られます。これはライフリングに食い込むと同時に、発射薬の燃焼ガスを漏らさず受け、さらに砲身内で砲弾がブレるのを防ぐ効果がありました。

 この方式は1846年にスウェーデンのワーレンドルフWahrendorff男爵が実験を行ったのが最初で、主に初期の後装砲において使用されています。具体的には図Bの砲弾を用いるアームストロング後装砲、そしてCの砲弾を用いるクルップ後装砲の初期段階と、その時代を代表する革新的な両種の大砲において採用されました。


その2 翼式

図3

挿絵(By みてみん)

 砲弾の側面に銅や亜鉛といった軟金属で出来た突出部を設けて、これをライフリングに噛みわせて回転を与える方式です。突出部には図Bのような「筍翼」と呼ばれる鋲や、図Cの斜めに走る畝のような形状が用いられました。

 1842年にフランスで最初に考案され、その後1845年にサルデーニャ王国(のちのイタリア)の陸軍軍人カヴァリーCavalliが試験を行ったライフル砲(図A)で実際に用いられました。この砲自体は後装砲ですが、主に前装砲で採用されています。


 具体的な例としては、フランス軍は図Bのような筍翼を持つ砲弾を採用し、陸軍ではライットシステム(Système Lahitte)の一要素として新型砲に導入しています。幕末に活躍した四斤山砲もその一種です。そして海軍も13話で紹介した「グロワール」の備砲など、60年代までに採用された前装砲・後装砲の両方で、この方式を用いていました。

 またイギリス海軍はアームストロング後装砲が問題を起こした後、前装砲に回帰していますが、この際にアームストロングが新たに開発した「シャント式」(図C)は、やや変則的ながら砲弾の畝に真鍮の鋲を複数装着する形を採用。さらにそれに代わって採用された「ウーリッジ式」はフランス式に似た典型的な翼式の砲弾を用いました。

 

その3 拡張式

図4

挿絵(By みてみん)

 言ってしまえばミニエー弾と同じ原理になります。図AやC、Dなどで顕著なように、尾部に取り付けられた軟金属の円盤(サボットもしくはガスチェックと呼称されます)が発射ガスを受けて拡張、ライフリングに食い込んで回転を与える構造が主でした。

 やや異なる構造としては図Bのように、発射ガスを受けた尾部が前進し、間に挟まれた鉛の層(色の濃い部分)が押し出されてライフリングに食い込む形も、この方式の一種に分類されます。どちらも主に前装砲用になります。


 元々は1851年にベルギー陸軍のティマーハウスTimmerhausが考案した物(図A)が最初ですが、以降は主に米国で広まる方式です。

 図Bはホチキス式、図Dはパロット砲、そして図Cはイギリスのブレイクリー砲(ブラッケリー砲)の砲弾ですが、同じ方式をブルック砲が採用していたので、パロット砲と共に南北戦争での両軍を代表する国産ライフル砲がこの方式に分類されます。他にも名前を挙げるとシュンケル式やジェームズ式、リード式、スタッフォード式など特に種類が多い方式でもあります。

 この中でもシュンケル式のサボットは特徴的で、金属ではなく紙やパルプの混合物で出来ていました。これは発射後に役目を終えた後、粉々になって飛散するので、(他の拡張式砲弾のように)味方部隊の頭上で円盤が脱落する恐れがないのが利点とされています。


 また70年代になると英海軍も、翼式の欠点であった遊隙によるガス漏れと砲弾のブレ、砲身の摩耗などの対策として、ウーリッジ式と組み合わせる形で採用します。そして末期の前装砲では拡張式のみを使用する形に変化していました。(図E)


その4 楕円式、多角形式

図5

挿絵(By みてみん)

 腔内に溝を切るのではなく、ねじれた形にして回転を与える方式です。砲腔の断面は楕円もしくは多角形型となり、砲弾に軟金属の付属物を必要としないのが最大の特徴でした。


 例として楕円式は1854年に採用され、初めて実戦投入されたライフル砲であるイギリスのランカスター砲(図左)、多角形式は「ポリゴナル・ライフリング」とも言い、六角砲の別名を持つホイットワース砲(図右)が知られています。

 この内後者はアームストロング砲のライバルとしても有名で、図にもある砲弾には面白い機構もあるのですが、その点はいずれ紹介したいと思います。

 


その5 導環式、弾帯式

図6

挿絵(By みてみん)

 砲弾の周囲に口径よりもやや大きい銅の帯を設けて、これをライフリングに食い込ませる方式です(図A)。鉛套弾と同じく後装砲専用の方式になります。


 元々は1866年、イギリスのジョサイア・ヴァヴァサーJosiah Vavasseur(ヴァヴァシュア、ヴァヴァシュールなどの表記もあり)によって初めて考案されました。既に後装砲用のライフル砲弾としては、主に上述した鉛套式と翼式が用いられていましたが、こちらの方が優れる事から両種に取って代わり、ライフル砲弾での決定版として後の時代にも使用され続ける方式となって行きます。

(鉛套式に対してはライフリングに食い込む際に腔内に残る残存物が少なく、加えてエネルギーの損失が少ない点で、翼式に対しては装填が容易く遊隙が小さい点で優れていました)


 主に後装砲の実用性が大きく増した(この点は次回以降で詳しく扱います)、70年代以降に採用され始め、フランスでは70年代前半から導入、ドイツは70年代後半にクルップ社が日本海軍向けに製造した砲弾がヴァヴァサーの特許を侵害していると訴訟になっている事から、この時期には採用されていたと思われます。

 そしてイギリスは後装砲を再導入した80年代から採用(図B)し、主要国家の間に広まる形となります。





 以上が主な方式となりますが、これ以外にも滑腔砲で砲弾に回転を与える試みとして、砲弾に翼や溝を設けて、飛翔中に回転させる研究も行われていました。

 中でも15話にも登場したヘンリー・ベッセマーによる実験が知られていますが、基本的に回転を与える能力が低く、この時期に制式採用に至った例は存在しません。   

 

 なお上で見てきた方式では、滑腔砲で用いられたチェーン弾やぶどう弾は、撃つだけなら可能かもしれませんが、ライフル砲として使用する事はどうやってもできません。そして高熱に晒すと付属物や砲弾のサイズに影響が出るので、赤熱弾や溶鉄弾を用いる事も不可能でした。

(一応ぶどう弾はキャニスターの容器に大型の散弾を入れて代用が可能であり、溶鉄弾は楕円式を用いたランカスター砲などで使用可能だったという記録もありますが)

 未だに砲弾の種類には多様な物が存在(これは今後の内容でも見ていきたいと思います)していましたが、外見は砲弾らしい形に固定されていく点も、この時代の特徴かもしれません。



ご覧いただきありがとうございました。次回は砲身の構造や後装砲の話を主にしていきたいと思います。




参考文献

第16部分「更新再開と補足など」にまとめて掲載


画像出典

図1 Howard Douglas, Treatise on Naval Gunnery fifth edition, 1860(パブリックドメイン)

図3B、図6A Étienne Girardo, Organisation du matériel d'artillerie, 1896(パブリックドメイン)

図4E、図6B F. C. Morgan, Handbook of Artillery Matériel, 1884(パブリックドメイン)

上記以外 Alexander Holley, Treaties on Naval Ordnance and Armor, 1865(パブリックドメイン)

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