第一話 滑腔砲とその砲弾(その1)
内容は多分今後扱う部分と重複します
はじめに
近代兵器といっても色々ありますが、仮に日本人が最初に知った物は何かと考えてみますと、大方1853年日本に来航したペリー艦隊の黒船が当たるのではないでしょうか。
図1
(右はその一隻である外輪フリゲート「ミシシッピMississippi」です)
鎖国下の日本で保有が許されたどの軍船よりも大きく、多数の大砲を備え、蒸気機関で風に頼らずとも航行できる姿は、西洋文明の先進性と脅威を当時の人々に刻み付け、日本という国のあり方にも大きな影響を与えました。
そしてアメリカ以外の当時の軍艦を見ると、世界をリードする海軍国であったイギリスやフランスでは同じような艦だけでなく、図2のような戦列艦にも蒸気機関を導入したものを建造していました。戦列艦は当時の軍艦の中でも最も大型で多数の大砲を積んだ艦種で、艦によっては100門を超える大砲を持ち、17世紀より海軍の主力を担ってきた、まさに海の女王と言うべき兵器です。
図2
(上は1853年に完成する戦列艦「デューク・オブ・ウェリントンDuke of Wellington」。大砲131門を搭載する、当時の英国で最大の軍艦の一つでした)
しかしながら、日本では幕末の動乱が繰り広げられたこの時代、幾つもの兵器革新の末に海軍艦艇は大きく変化し、10年後にはこれらの艦も旧世代の烙印を押されてしまうのです。
その間に何があったのか、結果としてどのような兵器が誕生したのか。本シリーズではこの変化とそれに影響を与えた兵器革新をメインに、当分書いていこうかと思います。
中でも最初の数話は大砲関連を横道に逸れつつ辿っていくと言う事で、初回は革新の前より長年艦砲として用いられていた、滑腔砲について述べていきます。
滑腔砲(smoothbore gun)
滑腔砲とは、砲身の内部(砲腔)に設けた溝(ライフリング)により砲弾に回転を与えるライフル砲に対して、内部が平滑で砲弾をそのまま撃ちだす大砲を指します。少なくとも14世紀前半には始まっていたとされる大砲の歴史の大部分はこの滑腔砲によるものですが、1860年ごろより実用的なライフル砲が普及し始めると主流からは外れてしまう兵器です。
(そして第二次大戦後に戦車砲として見直されることになりますが、ここで語る滑腔砲とは19世紀までの物のみを指すと理解してもらえるとうれしいです)
分類とサイズ
主な種類としては、長い砲身を持ち、砲弾を高初速・低弾道で撃ちだす平射砲(gunもしくはcannon)と、砲身が短く低初速・山なり弾道の臼砲(mortar)や榴弾砲(howitzer) といった曲射砲の2種類に分かれます。
艦艇同士の水上戦ではお互いが動くので曲射砲を命中させるのは難しく、より命中精度の高い平射砲を並べるのが基本でした。ただし曲射砲は後述するように、平射砲で使えない一部砲弾に対応していたのに加え、その弾道から陸上砲撃に便利として特定の艦種に用いられています。
この他にはサイズによる分類もなされますが、少なくとも平射砲に関しては後の時代とは違い、口径(砲腔の直径)よりも使用する砲弾の重量で表される事が多かったようです。
例としてナポレオン戦争の頃のイギリスの戦列艦は12から32ポンド(5.4~14.5kg)、フランスの場合は最大36仏ポンド(17.6kg)程度の砲弾を使用する砲を主な兵装として並べていました。
それ以外に舷側の胸壁上に設置される小型の旋回砲(swivel gun) は、日本でいうと大鉄砲・抱え大筒的な0.5ポンド(227g。こちらも日本的に言うと60匁)の小型弾を使用。そして砲身が短い分射程に劣るも、重量や運用人数の割に大口径化が出来るカロネード(Carronade)という砲は、最大68ポンド(30.8kg)の砲弾を使用する事が出来ました。
図3
上は滑腔砲の中でも最後の世代にして最大級の、ダールグレン(Dahlgren)11ならびに15インチ砲です。(19世紀以降には名称に口径を使うことが多くなるみたいです) 装甲艦も登場した南北戦争時代の砲だけあって、砲弾重量は前者が170ポンド、後者に至っては440ポンドにも達する巨砲です。
砲身の材質
ヨーロッパにおける最初期の大砲は、主に鉄製と青銅製の2種類が存在していたとされています。
まず下の図4に示した鉄製の物は、鉄の中でも鍛鉄(錬鉄)を用いたもので、当時の製造技術の制限から、複数の板や棒をつなぎ合わせて筒を形成していました。これだけでは強度不足なので、上から鉄の箍を多数焼き嵌めて補強しているのが外見上の特徴です。
このように筒に箍を嵌めて補強する事は、ちょうど樽の製造方法と同じ物でした。今日銃身や砲身の事を英語で「バレル」と呼称するのは、この種の砲身に由来しています。
図4
青銅砲は錬鉄砲と異なり、鋳造で砲身が作られています。こちらの方が強度に優れ、大砲を作る上では優秀という事で、一時期は大砲の多数を青銅砲が占めるようになります。青銅の別名として砲金(gunmetal)という言葉があるのもその名残でしょう。
なお図4の錬鉄砲は、1545年に沈没したイングランドの軍艦「マリー・ローズMary Rose」の引き揚げ品ですが、同艦からは錬鉄砲と青銅砲の両方が見つかっており、両種が混在していた時期の様相がうかがえます。
一方で鉄の鋳造は中世末までには可能となっており、青銅と比べると廉価で量産に適した材質となっていました。しかし鋳鉄は基本的に脆く、青銅砲と同じ強度の大砲を作ろうとすれば、重く扱い辛い物になってしまうのが大きな問題でした。
その問題を16世紀半ばのイングランドが解決し、実用に耐える鋳鉄砲を製造、以降の滑腔砲においては、青銅砲と鋳鉄砲という二種類の鋳造砲が主流となっていきます。
装填並びに発射方法
大砲の装填方法には主に砲口から装填する前装式と、何らかの機構を設けて尾部から装填する後装式があります。後者の後装式は16世紀の日本にもフランキ砲として伝わった原始的な物が存在しましたが、強度の問題もあり、これを克服するのはライフル砲の時代になってからになります。つまり一部の例外を除いて、滑腔砲は前込め式が主流でした。
その場合は、あらかじめ棒状の器具を砲口より差し込んで腔内を掃除した後、同じく棒を用いて発射薬(装薬)と砲弾を押し込みます。上のダールグレン砲のような巨砲でも、砲腔の長さは3m台で収まっていたので、何とか人力でも装填ができた時代でした。
装填後に発射薬を燃焼させる方式としては、砲の尾部には火門と呼ばれる砲腔内に通じる穴があり、この穴に充填した導火薬に火をつけて発射薬に引火させます。導火薬を発火させる方法は、火縄を巻いた棒(より小型の物はリンストックと呼ばれる)を手作業で火門に押し付けて着火する方式が長年主流でした。
後に撃鉄に火打石を取り付けたフリントロック式が17世紀に実用化され、さらに19世紀になると撃鉄で雷管を叩くパーカッションロック式や、引っぱった際の摩擦で着火する摩擦火管と言ったものが開発されました。ただしすぐに新式の方法に更新されたわけではなく、フリントロック式が導入され始めるのは18世紀以降で、19世紀中ごろでもフリントロック式はもちろん、火縄式すら一部では使われていました。
滑腔砲の砲弾
使用砲弾は砲丸(cannonball)や弾丸という言葉が今日に残るように、図3の右下にあるような球形が基本です。
初期の大砲で用いられた石弾に代わって、重く固い鉄が使われだしたのは15世末と言われ、それ以降も冶金技術の進歩という材質の変化はありましたが、弾道を安定させるには球形が最も有効という事で、滑腔砲が使うのは南北戦争でもこの形になります。
さらにナポレオン戦争の頃までの平射砲が用いるのは、中に何も入っていないただの鉄球が基本でした。英語圏では、中空の砲弾の中に爆薬などを詰めた物を「shell」というのに対して、こういった中に何も入っていない砲弾を「shot」と言います。日本語に訳すと中実弾、実体弾、実質弾など色々とありますが、旧海軍では単に「実弾」と称していました。
上で砲のサイズを砲弾重量で表していた、という話をしましたが、この際に基準となる砲弾もこの球形実弾のようです。
そして平射砲はこの砲弾を、音速を超える程度の初速で撃ちだして、運動エネルギーを以て敵艦の船体や城壁などを破壊するのが主な使われ方でした。
1850年代にフランスで行われた実験によると、各距離でのオーク材に対する貫通力(インチ)は以下のようになります。
距離(m) 100 600 1000 初速(m/s)
12ポンド砲 33.8 18.4 11.5 460
24ポンド砲 42.8 27.1 18.8 459
36ポンド砲 49.2 33 24 452
これに対して目標となる戦列艦の舷側は、一番厚い部分でも合計30インチ程と言われるので、近距離でならこれを十分貫通する威力を持っていたことになります。ただし実弾は爆発せずに穴を空けるだけなので、水線部付近にたくさん破孔を開けて大浸水でも起こすか、艦内の火種になる物を倒して火災を発生させない限り、砲弾のみで敵艦を沈めるのは難しいものでした。
極端な例な紹介すると、1816年のアルジェ砲撃ではイギリスの二等戦列艦「インプレグナブルImpregnable」が陸上砲台との戦闘で268発を被弾。水線付近だけでも50発、内3発の68ポンド砲弾が水線下の部分を貫通という被害を受けながらも、戦闘・航行能力を失わずに、自力でジブラルタルへ帰還しています。
といっても船内に砲弾が飛び込んで来ればその進路にある物は粉砕されますし、加えて船体の破片が高速で飛び散ることによって、乗組員を殺傷して戦闘能力を低下させます。また帆船なら船体だけでなくマストを倒して航行能力を奪うことも狙われました。
(比較的小口径の砲でも敵艦の舷側を抜けるとはいえ、破孔や飛び散る破片の量は砲弾のサイズが大きいほどこれも大きくなるので、基本的に大口径弾を当てた方が有利です。手軽に大口径弾が使えるカロネードが開発後に流行した理由もここにあります)
当時の海戦ではそういった損傷を与えて敵艦を降伏させたり、接舷して艦を制圧してしまう、というのが主な決着の付き方だったようです。
有名なトラファルガーの海戦も、フランス・スペイン海軍が失った22隻の戦列艦の中で撃沈されたのは爆沈した「アシルAchilles」一隻のみで、残りは降伏艦です。その中にはネルソン提督を狙撃した艦でもあり、激戦の末に乗員の八割が死傷した「ルドゥタブルRedoutable」のような艦も含まれていました。
ちなみに船体とマストのどちらに砲弾が当たるかは、砲撃のタイミングが深く関係しています。
砲撃を行うのに最も適した瞬間は艦の横揺れが治まった瞬間、つまり敵に面した舷側が上がりきった状態か下がりきった状態のどちらかです。ところが火縄や撃鉄による発火から実際に砲弾が発射されるまでには若干のタイムラグがあり、反対側への横揺れが始まりだした時に撃ちだされます。
これによって前者の場合は弾道が下がって船体の下部に、後者は逆にマストなど上部に当たりやすくなりました。イギリス海軍は上がりきった状態から船体を、フランス海軍は下がりきった状態からマストを狙う事を重視していたと言われます。
その他の砲弾
滑腔砲はライフリングに砲弾を合わせたりする必要が無いので、その分制約が少ないというか、射程や精度、安全性を気にしないのであれば入る物は撃てる大砲でした。
その為、球形実弾以外の砲弾も多数あり、用途により使い分けた他、近距離では2、3発の砲弾を一度に装填して撃ち出すこともありました。
次回はその中から代表的なものを簡単に紹介したいと思います。
参考資料
第二話にまとめて掲載
画像出典
図1左 ヴィルヘルム・ハイネ ペリー提督横浜上陸の図
図1右 USS Mississippi, 1863
図2左 GH Atkins HMS Duke of Wellington
図2右 British ship-of-the-line HMS Duke of Wellington in drydock at Keyham, Devonport Dockyard
図3 "Photo # NH 58734 Interior of gun turret on USS Passaic"
上記はすべてウィキメディアコモンズ(https://commons.wikimedia.org/)より、パブリックドメイン資料
図4 H. Garbett, Naval Gunnery, 1897(パブリックドメイン)