『異世界の中の棺桶の中の死人の中』
「まあまあ、とりあえず落ち着いてわしの話を聞いてみい。じゃからもう少し後ろに下がってもらえんかのう」
さっきまでの剣幕とはまるで違い、老人は落ち着いたそぶりを見せて、冷静になる。俺は怒っても仕方ないと思い、込み上げてくる怒りをほんの少し抑えながら、後ろに下がった。
このジジイのことだ。もしかしたら後ろに、イージートラップ的なバナナとか置いてあるかもしれない。
よく下を見て下がるとしよう。
「唐突じゃが、お前さんは、天国か地獄か、どっちに行きたい」
老人は背もたれに寄りかかるのをやめ、真剣な眼差しで俺を見てきた。
天国か地獄……?
俺自体、人生地獄を歩んできたようなものだから、もう地獄に戻りたくは無い。だとしたら天国。だが、天国とはどういう所なのだろうか?
「おい爺さん。天国ってどんなところだ?」
老人は少し考えてから、俺に言った。
「わしみたいな老人が沢山おって」
「あっ、じゃあ天国嫌だな……」
老人は椅子からガクッと転げ落ちた。
「ぬうぅ……その言い分だと地獄も嫌だと言ってるようなもんじゃな……」
その通り。当たり前。
というか地獄を選択する人なんて普通はいないだろう。
「ならば……お前さん。異世界というものには興味ないかの?」
「――っ! 本当にそんな世界あんのか!」
俺は異世界系のラノベが好きだった。唐突な告白であるが、毎日毎日読んでいるくらいだ。
飯に使う金を惜しんでまで新刊を買うほど、好きだった。そのせいで一度死にかけたが。
「丁度、お前さんと同じ境遇で死んだ者がおるのじゃが、その者にお前さんの魂を入れるんじゃ。そして生き返らせ、新たな生活を送る。どうじゃ?」
「いや、どうだと言われても……その人どうなるんだ」
恐る恐る訊いてみた。
「それは心配いらん。その者の魂は完全に朽ち果ててしまっているからの」
「は、はあ……」
ダメだ、そこだけは全く理解することができない。
「お前さんは、散々な人生を送ってきた。一日中の楽しみもそこまでなく、ただただ働いて生きるだけの、人形みたいなもんになっておった。ここらで一つ、のんびりとしているかつ、刺激のある人生を過ごしてみる気はないか?」
その言葉に俺は、微かな希望を覚える。
もし、本当に生き返ることができるのなら、くだらない日常の日々がないのなら、生き返って人生をまた、一からとまではいないが、やり直してみたい。そう思った。
「できるのなら……」
「ふぉふぉふぉっ、お前さんなら言うと思ったわい。なら、すぐに行くかの? ほれ、そこに扉があるじゃろ? それを左にスライドさせればすぐ行けるからの」
老人は俺の後ろを指差した。俺は、後ろにいつの間にかできていた扉を見て、少しずつ近づいて行く。
五角形の扉。まあ扉というよりも、ゲームなどで出てくる棺桶に近い形だ。
「いや、ちょっと待ってくれ。その前に気になることがある」
「なんじゃ、はよ行け」
のっそりと椅子に座り、また背もたれに寄りかかって、スイッチでマッサージ機能を動かしている。
このクソジジイ、性格も極限まで悪ければ口まですこぶる悪い。
本当に神なのか? とても信じられない。
「俺って、チート的なもの何も貰えない系?」
異世界転生チート系のラノベを見てきた俺は、少し憧れてもいた。だがしかし、
「うむ。刺激なくなるじゃろ」
老人は頷いてそう言った。何も言い返せない。
「んじゃあ……異世界って、空気とか言語とか大丈夫なの? 俺がいた世界とは別物だろうし」
「それなら心配はいらん。体に入れればその者の世界環境に適応することができるでな」
「へえ……」
少しだけホッとして、胸を撫で下ろした。
緊張のあまり、肩は依然、上がったままだが。
この扉をくぐり抜ければ、俺の新たな人生が待っている。そう考えると、逆に緊張しすぎて手が震えてしまい、ドアノブに手がかからない。アル中みたいになってる。やべえやべえ。
やっとの思いでドアノブに手をかけた。
そして、何回か大きな深呼吸をして、ドアノブを右に回す。そして、左にスライドさせる。
開けた瞬間、目の前は光に包まれて、俺の視界をすべて遮ってしまった。光が消えたと思うと、一気に暗く、カビ臭いところにいた。
体の身動きがあまりできない。死んだ人の体に乗り移ったとなると、おそらく今は棺桶の中だ。
体感は少し違和感を感じるくらいで、大きな変化はない。それに、ただカビ臭いだけで、空気は吸える。
どうやら転生的なのは成功したらしい。なんだか味気ない転生であった。
だが……この棺桶の中からはどうやって抜け出せばいいのだろうか。試行錯誤をしていると、棺桶の外から、響き渡るような大きな声が聞こえてきた。
まだまだ続くプロローグ。