明日、世界が滅ぶとしたら
明日、国や世界が滅ぶとしたら、貴方はどう過ごすだろうか。
きっと、一人では何も出来ないだろう。
国や世界が『滅ぶ』とは、そういう個人では太刀打ちできない次元にある。
俺はこの商都に『物凄く強そうな気配』が近づいているのを感じた。
誰も気付かない。
接客の手を止めて、ミナヅキの方へ視線を向けると目が合った。
思いつめたような表情をしていて、きっと同じ事を考えている。
誰もが日常という喧騒に酔っている。
何も変わらない明日がやってくる事を、疑っている様子はない。
『ガアアアアアアアアアァァァッァァァァァァァァァ』
刹那、世界の全てが止まった気がした。
町に響く魔物の咆哮に、住民全てが動きを止めた。
夜泣きの子供も、酒場で酔っていた男も、誰もが声の出し方を忘れてしまう。
「お、おい……、あれを見ろ!」
中には恐怖に打ち勝って、何が起きているのかを把握しようとする者もいる。
視線の先には、憎悪を湛えた二つの目が輝いて、空を覆い隠さんばかりの巨体が複数舞っている。
「あれは、ドラゴン……。何で商都の中に居る!」
伝説では、常に強者として語られる魔物。
黒曜石のように艶めいた鱗で、夜を照らす篝火に反射して、ゆらゆらと紅蓮に輝く破滅の存在。
『人間共。我は寛容だ。我が子を出せば、皆殺しにはしない』
知性ある魔物は、人の言葉を操るという。
直径八キロある商都の中で、城壁よりも大きい巨体がその中心に落ちる。
『五分待つ。その間に死ぬか戦うか、我が子を差し出すか。選ぶだけの自由をやろう』
四体のドラゴンが商都に舞い降り、民家や商店、宿が踏み潰されるて悲鳴が木霊する。
風下にいた者は血の匂いを感じ、攻撃ではないただの仕草で、幾らの人間が死んだのか見当も着かない有様だった。
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人は天災に遭遇した時、五分という短い時間で判断できる事は少ない。
それが、数万もの住人が住む商都なら、伝令や打ち合わせで数分の時間を要してしまう。
それも竜が放つ威圧で、周辺の人間は動けなくなっている。
時間と共にパニックを起こす者は増えていき、逃げ惑う狂気が商都を支配していく。
ドラゴンは頭が良い。
数分で何も出来ない事を承知していたし、子ドラゴンの居場所も気配から察していた。
竜のブレスで都市は灰燼に帰すし、ブレスだけではドラゴンは死なないので、子供が盾に取られようが意味が無い。
最初から皆殺し以外の選択肢を残していない。
しかし、ドラゴンは『試練を与える存在』である。
神話や創作の中で、最後に挑む絶壁を超えた先にある、希望という幻想が作り出す『最強』である。
例え世界が違えども、人の無意識が作り出す魔物の事を、竜やドラゴンと呼ぶのである。
故にドラゴンは、無理難題を成し遂げたなら、言った事を違えない。
残酷で無慈悲な天災であっても、超えた先には繁栄を約束する、人類神の使者でもあるから。
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俺もミナヅキも、酒場の更衣室で着替えに入る。
この世界に降り立った時と同じ装備を身に着けて、お互いに最も使い慣れた武器を持つ。
俺は『居合刀 黒鋼』を装備し、ミナヅキは『仕込み杖 叢雲』を持っている。
ミナヅキのそれは、抜刀した刀身が白く斑に見える様から、そう呼ばれている。
通常の『杖』には劣るものの、回復に対する補正がかかり、攻撃力も低くはない準前衛の装備である。
「竜退治なんて、御伽噺みたいだね」
「うん。思っていたより、早く機会が訪れたけど」
ミナヅキは、思いのほか気分が良さそうだった。
竜の姿は強大で、それが四体も居るなんて、普通なら悪夢以外の何者でもない筈なのに。
「ミーシャさんに、声掛けていく?」
「うん」
何故、こんなにも落ち着いているのだろうか。
先程聞こえた『五分待つ』というドラゴンの言葉も、本当に待つ保障など無いのに。
誰だって、この状況で逃げたって文句など言わない。
でも心の奥底で、俺はこの異世界への転生を楽しんでいるのだ。
ミナヅキも同じ。零れ出す笑みの中に、恐怖の感情など一片も存在していない。
「ちょっと竜退治に行ってきます」
酒場には神妙な空気が漂っていて、強い冒険者ですら外の様子に青ざめている。
パニックになっていないだけ、ここの冒険者が強いことが見て取れる。
俺もミナヅキも、返事の言葉を待たずに歩みを進める。
明日、世界が滅ぶとしても、今の俺には力があるから。
例え、神様から貰った都合の良い力だとしても、今は神様に感謝した。
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『五分経った』
猛るように、大きな声をあげるドラゴンは、大きく息を吸い込み始める。
俺はそれを見ながらも、勢いよく刀を抜いた。
「【抜刀】【閃光】」
戦いの開幕に使用できる職業特有の技である。
騎士なら【威光】魔法使いなら【幻影】など、ヘイト(敵意)に対する補正を与えてくれる。
居合刀を抜き放ち、両手で握って顔の前に構えて、その側面にドラゴンの姿を映し出す。
その瞬間、紫にも似た閃光が、周囲を照らすように輝いた。
――。
『っ……!』
ただ輝くだけではない。
威圧、死の恐怖、見ている者に『不安』を与えるその輝きは、敵対する者に対して無視できない効果を発揮する。
ドラゴンは黒髪の少女の存在に気付いた。
背後には、金髪の少女が寄り添っている。
目を離せば、殺されるかもしれない。
この人間は、対等な者であると、本能が叫んでいる。
生まれてずっと『強者』だったドラゴンが、一歩だけ後ろに下がる。
一方で、高い知性とプライドが、自らの行動を許せなくする。
自らを叱咤し、その行動を戒めるかのように、大きな咆哮を上げる。
『我らの前に立つ者よ!戦意と取って、打ち滅ぼす!』
劈くような叫び声に、耳を塞いでしまいそうになるが、己の矜持が許さない。
「さあ来い。全力で。命を掛けて」
挑発するように、笑みを浮かべて受けて立つ。
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「【納刀】」
一番最初のスキル、次の一撃に対する『溜め技』としての納刀。
挑発により俺に意識が固定されているのが、第六感によって感じられる。
敵が突っ込んで来た所から、俺の本当の戦いが幕を開ける。
「【聖域】」
ミナヅキが少し距離を取り、ドラゴンを含めて戦場に居る者達全てを包む、魔方陣が展開される。
それは【聖域】と呼ばれる召喚師のスキル。
味方の有利判定により、一定確率で自身に対する有利が得られる技である。
「【召喚】」
そして、ドラゴンに対して【召喚】が行われていく。
この世界で、召喚を使ったらどうなるのか?それを試したことはないが、ミナヅキの勘が成功する事を告げてくる。
結果、呼び出されるのは「周囲に居る魔物」であった。
この商都の周囲は「強い魔物の居る森」である。
そこから転移するように、俺とドラゴンの間に召喚され始める。
都市内に魔物が現れた瞬間だった。
だが、戦闘の主導権は俺とミナヅキが握っている。
装備の効果もあって、俺の方へ魔物が殺到してくる。
『なんだ……これは』
ドラゴンは踏み出そうとした所で、結界に取り込まれたのに、己に対して実害が無いことに戸惑う。
それは、己の知識に無いものだったから。
そして召喚さる魔物達が、恐怖に駆られたように黒い少女に傾れ込む。
歩みを進めると、弱い魔物を踏み殺してしまい、困惑に拍車がかかる。
少女が刀を振る度に、群がる魔物が死んで行き、そして少女達の気配が大きくなるのを感じる。
そこで、本能が「これは不味い」と告げてくる。
仲間であるドラゴンも気付いたようで、戸惑いながらも中心に居る少女達へ襲い掛かる。
尻尾が振り下ろされて、俺は地面を蹴って回避すると、途中で【納刀】し【居合い】の構えを取る。
『ガァァァッァア』
岩のような鱗でも抜刀しながら切り裂くと、ドラゴンの悲鳴が響き渡った。
切り傷が着き、そして浅いながらも確かに斬撃が通ることを確認した。
『フゥゥゥゥゥゥ』
息を吸い込み、そして全力の「ブレス攻撃」が俺とミナヅキへ放たれる。
炎なんて生ぬるい、岩すら溶かす灼熱の一撃。
それが、二人を包むように衝突する。
『倒したか?』
誰とも知れず、ドラゴンの一体が思わず呟いた。
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「【居合い】【縮地】」
俺の感覚が、カウンターの手ごたえを伝えてくる。
同時に発動するのは、射程外からの攻撃を受けた時に発動する、カウンター技の一つ。
通常であれば攻撃の相殺か回避に変化するカウンターが、スキル【縮地】で一気に距離を詰めて、攻撃を当てに行く。
横なぎに振るわれる斬撃が、ブレスを吐き出す口元へ叩き込まれる。
瑞々しい音を立て、そのまま地面に『何か』が落ちる。
口元から刃が入り、そのままドラゴンの頭蓋骨を通って両断する。
ドラゴンの一体が処理された。
「はぁ……はぁ……」
だが、俺も無傷ではなかった。
相殺されるべき攻撃は、頭を失った際に、不完全に『爆発』という結果を生み出したから。
熱波に皮膚を焼かれる痛みと、振り切った右腕の火傷が酷かった。
「【ヒール】」
ミナヅキの回復魔法により、癒しの光が体を包み込む。
火傷の傷と、そして焦げた衣服が綺麗に直って行く。
幸いな事に、俺の体はブレスや爆発を受けても、酷く火傷する程度で済んでいる。
明らかに人間の性能を超えているが、それは今更な疑問だった。
『『グアァァァァッァァァッァァァ』』
狂乱したように、残る三体のドラゴンが襲い掛かってくる。
もう侮りも、何もない。
全力で、三方向からのブレスが、俺とミナヅキを焼き払う為に襲い掛かってくる。
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周囲で見ている者には、既に人外の戦いにしか映らなかった。
ドラゴンのブレスが吐き出され、それを剣の一撃で切り裂いて防ぐ。
少女の体が早すぎるのか、影のように何人もの姿に見えてしまう。
攻撃をいなし、避けた後に必殺にも似た攻撃がドラゴンを切り裂いていく。
尻尾や体の一部では致命傷には成り得ない。
しかし、体にいくつもの裂傷が走って行き、時に尻尾や腕が切り落とされて、明らかに劣勢なのはドラゴンの群れであった。
少女も、背中からの一撃をもろに受けた事もあった。
ドラゴンの爪による切り傷で、血飛沫が上がったりもするが、それを金髪の少女が癒していく。
一撃で死にさえしなければ、倒されない。
まさに、そんな様相を呈した戦いだった。
これでは、どちらが化け物か分からない。
そして最後に残った一体は処理される。
ドラゴンは二人の少女によって討伐されたのだ。
竜殺しの英雄の誕生を、多くの者が目にした瞬間だった。
黒髪の少女が大立ち回りを演じているが、周囲に群がる魔物達の多くは金髪の少女が倒しても居た。
魔物を倒して強くなる少女達は、一体でも強いドラゴンを、四体も倒してしまったのだ。
この日、たくさんの者が、竜の一撃に死んでしまった。
悲しみに暮れる者も多く居たが、同時に、神話のような光景に酔う者も多かった。
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次、ラストです。