噂話と、お酒の味
評価・ブックマークを入れて下さった皆様、ありがとうございます。
完結までマイペースに突き進みますが、失望させたらすみません。
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最近ミナヅキの様子がおかしい。
夜に布団へ入ってきて、背中から抱きしめて離さない。
寝たふりをしつつも、ミナヅキは頭を撫でるのが好きなようで、その心地よさに俺は早々に眠ってしまう。
目覚めると寝苦しさを感じつつ、彼女を引き剥がすのに苦労するのが日課となっていた。
「最近、元気ない?」
「……何でもないよ」
さり気無く質問するも、適当にはぐらかして答えてくれない。
ミナヅキは、少しだけ寂しそうな表情をしている。
この世界にやってきて、既に一ヶ月が経過した。
そう考えると、単にホームシックかもしれない。
俺も初めて親元を離れた時は、寂しさを感じた経験があるが、同じなのかもと思う。
冷静で大人びた印象のミナヅキが、時折見せる子供っぽさと合わせて、愛おしく思えた瞬間だった。
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鏡を見ると、薄着に身を包んだ寝起きの少女がこっちを見ている。
腰の辺りまで伸ばした黒髪に、虹彩の色素が薄いのか、潤んだ瞳は赤い色をしている。
窓から朝日が差し込んで、徐々にその姿がはっきりとしていく。
落ち着いて姿を確認するのは、この世界に来てから初めてだった。
浮き世離れして見えて、手に触れる鏡の冷たさがなければ、それが自分の姿だと信じられない。
こんな事ならキャラクターの見た目を、男前な美少年にすれば良かったと後悔している。
「おはよう……」
日の出と共に起きる俺と違って、ミナヅキの朝は弱かった。
しばらく呆然としながら、のろのろと起き上がって、着替えに移るのだ。
俺は既に着替えを済ませ、冷たく濡れた手ぬぐいをミナヅキに渡す。
季節は冬に近づいていて、寝起きは肌寒さを感じるが、顔を洗いに行かないミナヅキを見かねた俺は、こうして濡れタオルを用意するのが日課になった。
「おはよう、ミナヅキ」
生き直すという意味で、異世界の空気は新鮮だった。
伸びをしながら、今日はどこに遊びに行こうかと、考えを巡らせていく。
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「ドラゴンの卵?」
「ああ。この商都に、持ち込まれたらしい」
相変わらず酒場で働く俺達は、酔っ払いの噂話に耳を傾けている。
ミナヅキ目当ての常連が増えてきて、水商売と言われても否定できない状態になっていた。
「ドラゴンって、強いんですか?」
「討伐したら、歴史に名の残る英雄だ。少数で群れを作っているが、手出ししなければ人を襲うことはない温厚な魔物。俺も近くで見たことが有るが、見上げるほどの大きさだった」
懐かしそうに語るのは、俺によく話しかけてくる中年の冒険者で、様々なことを教えてくれる。
「あれは人が敵うレベルを超えている。近づいただけで、死の予感が頭を過ぎった。過去には数万の軍勢で攻めて、返り討ちに遭った国があると聞く」
目を細めるように、強めのお酒を煽りながら冒険者は語る。
「逆に、歴史上で竜殺しの英雄は何人か居るが、どれ程の怪物なのか想像もできない。あんなのと渡り合える人間がいたら、そいつは既に人間じゃない」
話を聞かせてくれた男性は、そこそこ名の通った優良冒険者だ。
その彼が恐怖を語るのだから、並の相手ではないのだろう。
「でも、そのドラゴンの卵が持ち込まれたって事は、それを産んだ親が襲って来ませんか?」
「どうだろうな。俺もドラゴンの卵なんて代物、今まで聞いた事がない。本当かも分からないから、今は様子見だろうな」
話に夢中で時間を忘れていたみたいで、店主に呼ばれてしまった。
少し怒られたが、噂話はここまでと、業務の中に戻っていく。
「お話、ありがとうございました」
「良いよ。嬢ちゃんと話すの、楽しいからな」
美味しそうにお酒を飲んで、そこそこ格好良いのに、その冒険者は独身だと言う。
稼ぎが良いと聞くし、容姿も悪くないのに、所帯を持たずに生活をしている。
踏み込んだ内容は聞けないが、周囲が放っておくとは思えないし、一途な恋でもしているのか。
本当のところは、分からない。
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金を積めば何でも手に入る商都、ファフニール。
一方で、珍しい商品を持ち込めば、いくらでも金を積む物好きが居る場所でもある。
ドラゴンの卵が持ち込まれた。
その速報は、瞬く間に商都を駆けて、商人を通じて隣国にも情報が渡る。
持ち込んだのは、三人の冒険者だった。
一人はある国の王子でありながら、国を出て旅をする冒険者となり、祖国では今生の『勇者』と期待された英雄らしい。
曰く、単独で国を荒らした魔物を討伐した豪傑である。
曰く、魔王を倒す旅をしている。
現代の英雄として、冒険者の間でも噂になる人物の一人であった。
そんな彼らが、ドラゴン討伐の偉業に挑戦しようと『竜の住処』へ足を踏み入れた時の事、そこにドラゴンの姿が無く、代わりに『巨大な卵』があった。
それを持ち帰り、売る場所を求めて商都に立ち寄った。
ドラゴンを研究する学者に見せると、間違いなく『ドラゴンの卵』と鑑定された。
そして、今に至る。
人々は知らない。
これから、そのドラゴンの卵を巡って、争いが起こる事を。
人々は知らない。
これから、ドラゴンの卵によって、災いが起こる事を。
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「お酒、飲んでみる?」
「少しだけ」
明日は、酒場の定休日。
俺は久しぶりに、酒を飲みたい気分になった。
買ったのは、果汁を混ぜたジュースに近い飲み物である。
「まずい……」
ミナヅキはそう言うと、普通に買ってあるジュースの方に手を伸ばす。
俺もあまり得意ではないが、飲みたくなる時もある。
今回は、酒場の雰囲気に感化され、久しぶりに飲みたい気分になっていた。
「うん、美味しい」
お酒の香りが広がって、果汁の甘さが口当たりを良くしている。
仕事で飲むお酒は美味しく感じないが、プライベートで飲むお酒は嫌いじゃない。
「カンナって、お酒を飲む人だったんだね」
この商都では、未成年に対する禁酒の法律は存在しない。
もちろん、成人の基準も国や地域が違えば変化するし、この世界では15歳を超えたら一人前と扱われる。
「普段は飲まないんだけど、今日はちょっと特別でね」
この体は、アルコールに強くなかった。
弱いお酒を少し飲んだだけで、酩酊感を感じるのがその証拠だろう。
「良い事でもあったの?」
酒の肴に買った『から揚げ』を食べながら、ほろ酔い気分でグラスを傾ける。
「この世界には、ドラゴンが居るらしい」
酒場で聞いた話を、ミナヅキにも聞かせる。
「ドラゴン討伐、してみたいな」
普段より口の滑りが良くなっていて、本音の部分が漏れてしまう。
この世界に来てから、本当は積極的に魔物の討伐などをしてみたかった。
「私も、ドラゴン退治は興味ある。カンナが行きたいなら、私も行く」
「その時は、よろしくね」
一杯のお酒しか飲んでいないのに、既に眠気が脳を支配し始めていた。
やっぱり、この体は子供なのだろうか。
だとしたら、飲酒は控えた方がいいのだろうか。
混乱するように、考えがまとまらなくなっていき、ついに机に伏して眠りに落ちる。
「おやすみ、カンナ」
体を持ち上げられた浮遊感を感じながら、俺は暖かく包まれている心地よさに酔う。
ミナヅキが布団に運んでくれたみたいで、薄く目を開けると布団の中に居た。
相変わらず抱き枕になっているが、今はその状態が気持ちよかった。
何を悩んでいるのか分からないが、ミナヅキの寝顔は幸せそうな表情であり、今のところは心配いらないだろうと結論付ける。
そして、夜は明けていく。
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