戸惑いと生活と
「ゲームのように、アイテムリストが使えるんだね。あ、持ち物に色々入ってる」
ミナヅキは、機嫌が良さそうに『今出来ること』を冷静になって追求している。
俺も言われたように、自分のステータスや持ち物を確認していくと、資産として持っていた斧や片手剣、競売にかけようと持っていた素材が目に入った。
「ん?見覚えのないのが、ドロップにあるね」
「本当だ」
そこには、灰幻狼の爪、灰幻狼の牙、灰幻狼の皮と呼ばれるアイテムが並んでいる。
説明欄に記述はなく、ただ『灰幻狼の落とした爪』と書いてある。
「まずは、水辺を探そう」
分からない事は置いておき、俺はミナヅキを先導する形で歩き始める。
俺は幼少の頃、祖父の事が好きで狩猟やキャンプをして過ごしていた。
その為に、そこそこサバイバル能力は高いと自負していた。
今では、休日に外出なんて考えられないが、子供の頃はアウトドアの化身と言っても過言ではなかった。
「ミナヅキは、17歳の学生さんだったんだね」
「カンナは?」
ミナヅキは思いの他、喋るのが好きな性格をしていた。
休む間もなく話しかけてきて、最初はゲームの話題から始まって、今ではミナヅキの現実での生活の話になっている。
「私は……」
こんな時でも、俺は「私」なんて一人称を使って、男であったことをミナヅキに隠している。
俺は自分が嫌いだった、名前も容姿も、だからゲームに傾倒して生活していた。
「歳は29歳。恋人はいない。名前は……、好きじゃないから今まで通り『カンナ』でお願い」
「分かった。カンナは年上だと思っていたけど、かなり上だったんだね」
アイテムリストで先ほどドロップした『灰幻狼の皮』をつついてみると、綺麗に処理された皮が出てきた。
「これ、凄い綺麗に処理されてる」
話題が付きかけた所で、隣で歩くミナヅキにも皮を見せてみる。
「ふわふわ。匂いは……、臭くないね。それに高そう」
俺はそこで、ミナヅキが本当に女性であったのだと実感した。
ふとした仕草や、歩き方などが女の子ぽかった。
一方の俺は体の大きさが違う為、歩くにもかなりの違和感があった。
俺の方は幼女然とした見た目から、気にされないだけかもしれないが、ミナヅキは背丈や体形なんかも差異が少なく歩き方が自然だった。
「今の見た目だと、カンナは子供っぽいね」
「そう?」
そこで少し、寒気がした。
別に第六感が危険を訴えてる訳でもないし、ミナヅキに嫌悪感を示した訳でもない。
ただ……お手洗いに行きたくなっただけ。つまりトイレだった。
「どうしたの?」
このミナヅキという少女は、かなり洞察力が鋭い。
少しの変化も見逃さないし、今の状況を冷静に分析するから、頭も良いのだろう。
不意に止まった俺に、訝しげな視線を向けてくる。
「あ、あの……、ちょっとトイレ行きたくなって」
「ああ、分かった。ここに居るから、その辺で」
「うん。行ってくる……」
トイレがしたいのは良いが、俺は戸惑っていた。
だって、体のつくりが違うのだ。
男であった頃とは、勝手も違うだろう。
数分後、俺は涙目になりながらミナヅキに近づいていく。
「ミナヅキ……、回復魔法おねがい。何も言わずに」
はっとしたような表情をしたミナヅキだが、特に何も言わずに回復魔法をかけてくれた。
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森のような場所に着くと、運が良い事に早々に水辺を見つけることが出来た。
「キャンプしようか」
キャンプセットというアイテムがあって、ゲームではフィールド内で休憩する為の道具だった。
だが、キャンプセットはテントや、鍋のような小道具の集まりで、自動で展開されるものではなかった。
「よいしょ。これでオッケーかな」
俺は杭を打ちつけて、テントを張った。
見慣れない『魔除けの石』と呼ばれる物があって、見てみると『使い捨ての魔除け。周囲に敵を寄せ付けない』というイメージが出てきた。
「ゲームと現実の違いかな」
ゲーム時代、キャンプセットは確かに『使い捨て』の道具だった。
これが、使い捨てだった所以なのかと、裏舞台を知った気分で、テントの中に魔除けを置いた。
ミナヅキは、キャンプセットに気付くまでは良かったが、組み立てることが出来ずにおろおろしていた。
高校生だったというミナヅキは、キャンプの経験は皆無で慣れていなかったのだろう。
「私が替わりにやるから」
そう言って、俺が組み立てたのが、今目の前にある大きなテントだった。
「勿体ないから、一つで良いんじゃない?」
もう一個のテントを展開しようとした時、唐突にミナヅキに止められた。
「え?あー……」
そこで、俺はどうしようか迷った。
今の体は確かに女性であるものの、中身はアラサーの男だったから。
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「ねえ、ミナヅキ。大事な話があるんだけど」
木の枝、湿気ているが太めの木材をいくつか置いて、付属の『着火剤』を振りかけた。
この着火剤は良く燃えるようで、しばらくすると、十分な焚き火を起こす事が出来た。
「なに?」
木を切る為にサブの武器、アイテムリストから斧を出して、装備する。
ゲームの武器は切れ味が良くて、振るだけで樹木が切れた。
俺は、それを適度な大きさにカットすると、焚き火を囲うように即席の椅子を作った。
「あのさ、ここに来る前の話なんだけど……」
歯切れが悪く、この世界に降り立って数時間、ミナヅキに話していなかった真実を語る。
俺が男であったこと。
どういう生活をしていて、なんという名前だったのか。
それをじっくりと話ながら、それでもミナヅキは落ち着いて聞いていた。
「なんとなく、気付いてたよ」
「!」
キーボードがあったら、同じようにびっくりマークを押下していただろう。
「大丈夫、そんな事じゃ嫌いになったりしない」
言葉を選ぶようにゆっくりと、ミナヅキはそう口にする。
きっと俺の不安など、この少女は気づいていたのだろう。
「気付いたのは、さっきだけどね?」
そこで、お互いに安堵の微笑が漏れた。
文字でのやり取りではなく、相対して分かる雰囲気のようなものだろう。
茶化したように、柔らかな笑顔を浮かべたミナヅキに、俺は少しときめいていた。
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キャンプセットには、カレーのルーが同封されていた。
だけど、肝心の具材が無く、お米と水はあるけどそれだけだった。
「肉類か何か、欲しいな。取りに行ってこようか」
半日を過ごし、俺はこの体が無駄に高性能である事に、今更ながら気がついた。
木を両断した時もそうだが、筋力が見た目に似合わず備わっている。
跳躍すれば、人の高さなんて容易に飛び越えられる。
周囲の獣の気配にも敏感で、気配のする方に目を凝らせば、前まで視力が悪くてメガネをしていたはずなのに、鹿のような獣の姿が良く見える。
「ちょっと行ってくる。待ってて」
「分かった」
一人、川沿いを疾走しながら、俺は出来る限り気配を隠しながら、獲物の近くまで忍び寄る。
幸い、川が近い事から、獲物の処理がし易く助かっている。
衣服を、煌びやかな勝負服ではなく、ちょっと地味な着物に着替える。
俺の装備は、和装メインにしてあって、忍び装束という動き易い格好になっている。
露出は多めだが、足に履いた強靭なタイツに、黒い軽量な布と鎖帷子という組み合わせ。
武器もメインに取り回す『黒鋼』ではなく、『忍刀 霧斬守』という刀。
忍刀は直刀のような見た目をしており、反りがそれほど無い。
黒塗りされており、地味な見た目をしているが、攻撃力は低くはなく高くもない。
主に、ゲーム内での『コスプレ用』に使っていたのだが、今はそれでも良かった。
戦闘プログラムを、対フィールド雑魚用に切り替えて、ソロで狩りに行く用に変更している。
驚いたのは、この世界でも、戦闘プログラムを自由に変更できたことだろう。
「ッ!」
目の前にいるのは、普通に『鹿』のようだった。
多少の見た目は違うものの、ニホンジカに近い見た目をしており、幼い頃に祖父と一緒に狩りをした記憶が蘇る。
掛け声も無く一閃、気合を入れるように背後を取って、鹿の首の辺りを勢い良く切り裂いた。
声を上げる事もなく、いとも簡単に絶命した様子で、血を流して倒れてしまった。
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鹿を川に着け、冷やすように血抜きを行った。
地方に寄って違いがあるかは分からないが、狩猟では、血抜きと一緒に獲物を『冷やす』事が重要だと祖父からは教えられた。
同時に勿体無い気もしたが、短剣の類は所持していない為、霧斬守を使って解体を行っていく。
ファンタジーな世界なら、それくらい『ドロップしても良いんじゃないか』とも思ったが、ゲームのようには行かなかった。
灰幻狼はドロップしたのに?と思ったが、肉はドロップしなかった事を思い出す。
もしかしたら、時間経過や放置しておくと、勝手にドロップするのかもしれない。
ランダム要素があるのであれば、必要な肉などは自力で取れるのなら、取っておくべきだと思った。
「ミナヅキー。回復お願い」
キャンプに戻り、俺は鹿の肉を持参して帰った。
衣服の汚れを落としてもらう為、ミナヅキに頼んで回復魔法を使ってもらう。
「お帰り、どうだった?」
他愛ない会話をしつつ、俺は肉を捌いてカレーを作っていく。
米と、キャンプ道具に付属していた道具で、てきぱきと料理をしていく。
「そういえば、ミナヅキは料理できるの?」
「……、料理は苦手なの」
以外にも、ミナヅキは料理が出来ないらしい。
短時間ではあるものの、俺もミナヅキもお互いに気を使わない程度に、打ち解けている。
少なくとも、俺にはそう思えたし、気持ちを察するほど洞察力も高くない。
「美味しい。野生の獣って、もっと臭み?があるって思ってたけど、鹿肉は美味しいんだね」
ミナヅキが意外そうにしながら、カレーを食べる。
二人で食事を終えた後、二人で一緒のテントに入り、そして何事もなく一日目は過ぎていった。
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家庭的に思われるかもしれないが、俺は自炊は出来たし、遊び歩く為のお金を作る為に、家計に優しい方法を常に考えていた。
本末転倒なのかもしれないが、遊ぶお金を得る為に、節制をしていた。
インドア派ではあるものの、インドアに引きこもっていられるのは、食生活がしっかりしていたからだと思う。
並みの引きこもりなら、体調を崩すか、不健康な生活を続けて長生き出来ないと思う。
数年働き、数ヶ月引きこもる生活というのは、体が資本と言っても過言ではない。
何を偉そうに?と思うかもしれないが、事実だから仕方ない。
「カンナって、なんか家庭的だよね」
朝食を食べている時に、ミナヅキにそう言われた。
「家庭的?」
「だって、最近は毎日ずっと、昼夜問わずログインしていたから、引きこもりかニートだと思ってた」
「引きこもりだけど、自分で稼いだお金で引きこもってたから、ニートじゃない……」
会話してて思うのは、テレビやパソコンが無いと、娯楽が少ない事だった。
今のところ、昔話と食事が唯一の娯楽で、俺としてもミナヅキのような美少女と話せる事は、楽しみでもあった。
外から見れば、俺も美少女に見えるかもしれないが、鏡を見るまでは現実逃避をしたって、許されるはずだ。
我ながら、男であるという自覚が今でもある事に驚いていた。
「戻りたいと、ミナヅキは思わないの?」
ふと、気になったので聞いてみた。
ミナヅキが顔を一瞬、顰めた気がしたが、すぐに元に戻る。
「カンナはどうなの?」
スルーされて、そのまま俺の方へ質問が返される。
「俺は……」
括りで言えば『俺っ娘』になるのだろうが、仕事やゲームでは『私』を使っても、素に戻ると『俺』を使ってしまう。
どこか、縋るような視線に思えたのは、俺の気のせいなのかもしれない。
「戻らなくても良いかな」
生きる上で、日本は柵が多すぎた。
この世界の住人と会った事はないし、この世界で人類を未だ見ていないので、居るのかも怪しい。
生きる事は『柵と付き合う』事ではあるが、俺は定期的に逃げている生活をしていたので、今のような生活が嬉しくもあった。
働かなくても掛かる税金、生きる上で必要なお金は、数年で貯金したお金を一年未満で散財できる程度には、重く圧し掛かって来るものだ。
だけど、もしこの世界に人間が居たとして、こんな僻地に飛ばされて、このまま一生、ここで過ごしても構わないと思えていた。
「まだ一日目だけど、こういう生活、悪くないなって。気軽に話せる友人が居て、一緒に冒険できる生活なら、幸せだと思える」
「……(良かった)」
小さく、聞き取れないくらい小さく呟くミナヅキは、しかし笑顔になって朝食を食べ始める。
「夜、燻製を作ったけど、食べる?」
鹿肉の燻製をあぶって、それをミナヅキに渡す。
「美味しい」
このひと時は、確かに幸せに感じられた。
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この二人が、この世界の騒乱に巻き込まれて行くのは、もう少し後の話である。
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